長崎、中丸両村の境沿いの水路を追っての続きです。山手通りを越えたところで、北に向かう旧村境からは離れますが、水路単独の狭い路地が連続しており、迷うことはありません。特に→ 「段彩陰影図」で谷端川本流の流域を離れ、左岸段丘に食い込む狭い谷筋となっているところは、区画整理の対象外であったため、本来の流路そのままのクネッた路地が今でも残っています。なお、豊島区立郷土資料館の企画展図録「歩く・聞く・写す」(2006年)のなかに、大根の洗い場に関するコーナーがありますが、「高松小学校付近からの湧水の流れの巾は約50cm。各家ごとに洗い場があり、ある農家では、昭和5年頃まで利用していました」との一文があります。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- 1. 郵便局脇から続いた路地がいったん途絶え、水路プラス道路の区画です。
- 2. 水路は道路の右側を並行していました。なお、田圃はこのあたりまで広がっていました。
- 3. T字の先に路地が顔をのぞかせています。路地入口の右手には享保6年(1721年)建立の→ 庚申塔が祀られています。
- 4. このあたりに野菜の洗い場があったのでしょう。
- 5. このように微妙にクネッた狭い路地が、百数十メートル続きます。