後楽園内に入った神田上水は、深山幽谷をくねりながら流れ、ほどなく円月橋に差し掛かります。二代光圀が寛文5年(1665年)に招いた明の遺臣、朱舜水の設計になるというこの橋、日本最古の石造りアーチ橋だとか。この円月橋をはじめ、西湖堤、廬山を模したところなど、庭園には中国趣味が散見されますが、これは光圀の代になって採り入れられたものです。「後楽園」という名前自体、朱舜水の発案で、出典は漢詩(「岳陽楼記」)の一節、「先天下之憂而憂、後天下之楽而楽歟」(「天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」)だそうです。
- ・ 小石川後楽園案内図 園入口の掲示板にあるものですが、→ 「実測図」の描く池の形状、水路の配置とほぼ同じなので、江戸時代の様子を留めているのだと分かります。
- ・ 神田上水 円月橋を流れ出るところです。その後上水は二手に分かれ、本流は東に向かいます。もう一流は南に折れ、白糸の滝を経て大泉水へと至ります。
- ・ 神田上水 東京ドーム方向に向かう本流です。上水を取り巻く風景は一変し、藤棚、梅林、稲田、菖蒲田といった里山や田園の趣を持った空間が広がります。
- ・ 神田上水 雑木林の中に流れ込みフェイドアウトします。実際は舞台裏に水生植物を使った→ 水浄化装置(10年ほど前撮影)があり、その浄化水を循環させているようです。