音羽通りを越えた神田上水を追って、巻石通り(水道通りとも)を東に向かいます。「神田御上水 右者承応二年の頃掘割に相成候由、尤白堀通と相唱申候、右唱訳相知不申候、幅凡五間程、但不同に有之、且西の方関口水道町より当町内の地所に移り、北の方四町程相流、東の方津田外記様御組屋敷の方へ流行申候」「御府内備考」の小日向水道町の記述です。「右唱訳相知不申候」とありますが、白堀というのは素堀と同様、開渠の水路を指す言葉です。なお、承応2年(1653年)の当否については、今回のクールの冒頭で触れたとおりです。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- 1. 江戸川公園を出て音羽通りを越えるところから始めます。正面奥が巻石通りです。
- 2. 東側の鼠ヶ谷下水(水窪川)と交差します。
- 3. ほぼ真東に向かう巻石通りです。この右手の神田川(江戸川)までの間が、旧小日向水道町でした。
- 4. 大日坂の上り口です。坂の中腹にある妙足院大日堂が坂名の由来で、→ 「江戸名所図会」にも描かれています。
- 5. 文京総合福祉センター前です。センター建設前の調査で神田上水の白堀跡が発掘されました。