神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

江戸川公園

2019-02-05 06:39:13 | 神田上水

 大洗堰跡から音羽通りまでの神田川左岸は、神田上水跡や段丘斜面を含む、延長500mほどの細長い公園になっています。公園として整備するきっかけとなったのは、明治43年(1910年)の大洪水のあと、大正に入ってから着工された神田川の護岸改修工事でした。完成は大正8年(1919年)ですが、同じ年に公園も開園し、当時の神田川の名前から江戸川公園と名付けられました。(音羽通りに面した公園入口には、「江戸川公園」と表書きのある大きな石碑が建っていますが、裏面には大正14年の日付が刻まれています。)

 

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    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(昭和4年第三回修正) / 早稲田」  江戸川公園を薄いグリーンで重ねています。公園開設後も神田上水が一部開渠で併存していたのが分かります。

 さらに、昭和の初めの取水の廃止、大洗堰の撤去や堀割の埋め立てを経て、現在の形に整備されました。江戸川公園といえば、お花見のスポットでもありますが、神田川の拡幅工事に伴い、昭和58年(1983年)に植えられた、比較的新しいものです。なお、神田上水は上水としては明治34年(1901年)に廃止されましたが、その後も、水戸藩邸跡に建てられた砲兵工廠の工業用水として存続、その移転に伴い昭和10年(1935年)頃までには取水が停止されました。

 

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    ・ 江戸川公園  大瀧橋左岸を振り返って撮影しています。江戸川公園のなかで最も幅の広いところで、江戸川と神田上水はこのあたりで分かれていました。

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    ・ 江戸川公園  一休橋の下流の最も幅の狭い個所です。「御府内備考」によると、この付近の江戸川と上水は「高八尺幅五間程」の中堤で隔てられていました。