神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

巻石通り3

2019-02-19 06:09:46 | 神田上水

 巻石通りに戻ります。ここから先神田上水の維持管理の担当は、小日向水道町から小石川金杉水道町に移行します。「切支丹組屋敷より水戸様御屋敷迄小石川金杉水道町一手持に御座候」(「御府内備考」) 金杉水道町は元は金杉村に属する百姓地でしたが、神田上水の定浚いを命ぜられ、以来金杉水道町と称するようになりました。このあたりの事情は小日向水道町、関口水道町と同様です。ただ、明治に入り小石川水道町など、今は春日1、2丁目となって、金杉の名前は住居表示から失われました。なお、その名前の由来は不明ですが、「小田原衆所領役帳」に「金曾木内 法林院分 金剛寺分」とある、江戸開府以前からの地名だといわれています。

 

Makiisi3

    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 小日向交差点で、左手は茗荷谷へ至る唯一の道路の入口です。ここに「里俗切支丹御組屋舗入口橋」が架かっていました。 

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    2. 新坂(今井坂)下に差し掛かります。坂の左手は15代将軍慶喜が明治末に居を構えたところです。 

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    3. 金富小学校前です。金富町は金杉水道町、富坂新町、金剛寺門前町などの合成地名です。 

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    4. 左手には金剛寺がありました。地下鉄丸の内線敷設に際し、→ 「江戸名所図会」にも描かれた古刹、金剛寺は中野区上高田に移転しました 

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    5. 巻石通り交差点です。ここから新白鳥橋にかけて、「郵便地図」は水路を描いています。