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氷ノ山、伊根の舟屋、天橋立

2020-09-21 | 旅行

三日間旅行して夜帰宅。

行先は鳥取、兵庫の県境の氷ノ山、京都府北部の伊根、天橋立など。

天橋立で昼食終えたのが13時半。そこから一般道と高速道で6時間かかって帰宅。

苛酷なロングドライブでした。いつまでこんなこと、できるのかと・・・・

鳥取から兵庫へ抜ける峠、氷の越まで急坂を一時間登ってきました。

目指す氷ノ山頂上が遠くに見えます。

山頂。標高1,510m。登山口から2時間半かかりました。

連休で人多し。

東方面。

北方面。ハチ高原スキー場など。

日本海側に多い芦生杉。下山中。

昔の街道の石畳。

山越えしてお伊勢参りしていたその街道筋とのこと。

山越えはとても大変だったことでしょう。

山では多分最高齢者グループ。登りも下りも若い人や子供たちに次々追い越されます。

悔しいので、下りるとき若い人の真似して走ったらすぐに膝が痛くなって中止。

年寄りは年寄りらしく。下山は2時間。

結局この日は4時間半、山を歩いていました。それから狭い林道を車で但馬方面に下りて、はるばる京都府北部の天橋立まで。さすがに疲れました。


いつか行ってみたかった伊根。家の一階に水を引き入れて船を仕舞っている独特の立て方。舟屋と言います。二か所公開していました。

水がとてもきれいでした。

仕掛けたびくの中には大きなアイナメが三尾、そのほかにも名前の知らない魚も。

伊根に先行った方がいいと宿で教えられて、遊覧船に間に合うように急ぎます。

まぶしい海。

「ニースからモナコへ行くみたい」と言って、それから「いやこちらの景色の方がいい」と言い直します。

「地中海には島はないけど、きょうは島まであるし、入道雲のおまけつき~」

宿から天橋立がよく見えます。

日本三景、あとは松島だけ。見られるかなあ~

ケーブルカーで丘に上がり、見下ろす。

大変な人出でした。連休のあと、感染者が増えてないといいけど。

山陽道は渋滞している恐れがあり、中国道で帰宅。

天橋立から播但道に乗るまでが遠くて大変でしたが、あとは流れもよくて時間通りに帰れました。

しかまあ、こんな苛酷な旅行、いつまで続けることやら。

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祖母の言葉・・・思いだすことなど

2020-09-21 | 断想

今年も収穫の季節


YASUOはのう、街のミョーケン(どんな字を書くかは不明)さんのお祭りで、回り灯篭買うてくれ言うたけど、買うてやれんかった。買うてくれ言うて泣いたのに。

修学旅行行って寒かった言うて、シャツ買うて来て帰った。シャツ、持たしたらよかった。小遣い、少ししか渡してなかったのに。

よその子が(戦争から)帰って来るのに、あの子はいつ帰るんかと毎日毎日待っとった。朝起きたらきょうは帰って来るんかと思うし、夕方になったら(市の中心部に通じる)西の道へ出て、北を向いて帰るのを待っとった。(それをいつ止めたかは聞いていない。多分復員した戦友に最後の様子を聞たあとで)

あの子は戦争で餓(かつ)え死んだんや。丈夫な子やったのに。


体の丈夫な叔父が農家を継ぐことになっていたらしい。私の父は病弱で、勤め人だったけど、叔父が戦死したので農家の跡取りに。しかし、私が中学生の時にはまた勤めを始めて、兼業農家になった。それは時代の流れでもありました。農地もいくつか潰して借家を建てたりと、都市化の波はひたひたと押し寄せてきたのであります。


母が気の強い人だったので、祖母は遠慮がちに暮らしていた。80過ぎて脳梗塞で寝たきりになり、10か月くらい家で介護受けていた。多分この時期がいちばん辛かったのでは。弟の結婚準備と式の間だけのつもりで、私設の施設に入居してもらい、それから家に帰ることはありませんでした。

介護保険の始まるはるか前、入居費は自費で賄うしかなかったのですが、戦死した叔父の遺族年金を充てたと聞きました。死んだYASUOさんがいちばん親孝行と叔父叔母たちは話していた。


個人的な記憶、人さまに読んでいただくほどの話でもないのですが、ごく身近な人が話す、戦争の記憶。深く心に残っています。軍国主義教育を受けていない分、祖母は天皇が大嫌いでした。息子を戦争に取って殺したと心底恨んでいました。

ソ連が、そして昨今は中国が脅威と言って日本の再軍備、憲法改正を主張する人たちは、戦後の講和条約締結後から延々言い続ける政治勢力がありながら、いまだにできていないのはなぜかと考えてもらいたい。その事実に学んでもらいたい。

それは二度と戦争は嫌。どんな犠牲を払っても戦争だけは嫌と言う庶民の肌感覚が、憲法改正を拒んだ一番大きな力と思います。

冷戦の時代は過ぎ、米中は小競り合いを繰り返しながらも、決して相手を滅ぼそうなんて思ってはいない。できるとも思っていない。どちらの国も国内向けのポーズを取りながら、共存する道を探るべきと本音の部分では冷静に考えていると私は思います。

さる政党が戦後延々、憲法改正を言い続けているのは支持者へのパフォーマンス。それでもできないのは国民の反戦への思い。現実には米軍が駐留し、自衛隊もあるけれど、それで極東で軍事的バランスを取りつつ、憲法だけは最後の砦、いじらないというのが国民大多数の意見と私は思います。憲法条文の日本語の意味と現実の乖離はもう説明不可能な段階にまで来ているけれど、それでも見て見ぬふり、とにかく憲法は守るべきと考えているのでは。

先日、久しぶりに外出したら右翼の街宣車に出くわした。大音量の軍歌。無内容なスローガンの連呼。気分悪くなり、軍歌を聞くうちに祖母の話と叔父のことをまた思い出して、涙が止まらなくなって困った。

若い時はこんなことなかったのに、どうしたもんでしょう。


祖母は、戦争と小さい時に病死した子供以外、全員成人して家庭を持ち、子供も生まれ、50代で産んだ末の叔母の子供四人の顔も見てから86歳で亡くなったので、まあ庶民としての人生を全うした人でしたね。

末の叔母の結婚が決まった相手が、戦死した叔父と同じ名前、不思議な巡り合わせでした。死んだ人は帰らないけれど、またその名前を呼べることが。

自分の産んだ子の孫は何人いたのでしょう。ちょっと計算してみます。えーと、19人ですね。この私、完全に負けています。。。。


コメントは許可制です。せっかく投稿していただいてもあなた様の貴重なご意見を反映しないことがありますので、前もってご了承ください。

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ミニマリストの部屋づくり

2020-09-20 | 読書

人気ブログ「ミニマリスト日和」のおふみさんによる片付け、収納の本。

先日出かけたとき、地下街シャレオの中央広場で中古本の催しがあり、買ってきた。

私はこういう本、読むのが好きで自分の暮らしに取り入れられることはないかと考えるのも楽しい。

バッグは3つ、帽子は2つだけ。ダイニングセット、リビングセット、食器棚は持たない。

ベッドは持たず、夏はマットレスにシーツ、タオルケット。冬はコールマンの寝袋。

潔く徹底している。掃除が楽で、物を持たないと時間も余裕ができて楽しく暮らせるそうです。

寝袋、どうやって洗濯するのでしょうか。内側にシーツ貼り付ける?

で、ちょっとだけ片付けしてみました。

台所のサイドテーブル下。ダイソーの書類整理用ファイル二つ。

コーヒーとお茶を入れる。濾紙受けが割れたけど、淹れた量が分かるので却って便利になり、買い替えてません・・・と言い訳。

ペットボトルはほとんど捨てたけど、山へ行くときに水入れるので少しだけ残しておく。

20年くらい、このかごに一緒に入れていた。

ぐちゃぐちゃになるし、かごの網目にホコリがたまる。そのホコリ、いつも見て見ぬふり。

かご・・・どうしようかなあ。

最後は庭で鉢カバー、または道具入れにして雨風に痛んできたら、踏んで壊して捨てるかなあ~

なんかすっきりした。ダイソーの書類入れ、汚れたらすぐ洗えそうだし。

流し台の下。

段ボール箱に食品入れていたけど、湿気で劣化、不潔なのでこちらもダイソーの物入れ。

これは大きくて200円くらいした。

食器棚の下で、密閉パック各種入れていたけど、使わないし、ほとんど捨てた。その入れ物を流用。

小さなスプーンなど、だいぶ捨てた。来客用はすぐ出せるよう、別の食器棚にカップなどと一緒に。

この別の食器棚と言うのが難関で、物がたまる元。

しかし、自分のこだわりのものは捨てなくていいそうで。

手芸材料などはどんどん捨てるべしとのこと。

見るたびに手芸しない怠けものの私と思い、気分が落ち込むからとのこと。

物を捨てるのは罪悪感がどうしてもあるけれど、捨ててしまっても生活に全然支障がないんですね。それはわかっているんだけど。って、なんでこんなにモノに振り回されるのでしょう。

片付け、収納が言われるようになったのは平成になってから?

昭和の時代はものがたくさんあるのが豊かさのバロメーターだった。食器セットは進物、引き出物の定番。

夏のガラスのコップなど。それによく割れて5個セットがすぐ3個くらいに。今と違って弱いガラスだったのでしょうか。

ものも変わり、人も変わり、暮らしも変わる。

快適で楽しい暮らしのために道具はある。逆ではない。要は心の持ちようでしょうか。ないのを楽しむ。その境地にまで、なかなかなれません。

本もスキャンしてスマホかパソコンで保管、ほとんど捨てたそうで。そのスキャンが時間取りそう。タイトルだけ保管して後で探すのもいいかもしれない。

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友達が欝っぽくなってるみたいで・・・

2020-09-19 | 日記

いつも元気な友達にラインしたら、コロナ以後、出かけなくなり、ご主人以外の誰とも話さない日もあり、活舌悪くなったって。

おやまあ、それはいけない兆候ですね。

私と付き合う時には元気な姿しか見せないんだけど、別の友達があの人は躁欝の症状が時々出るって人から聞いたと話していた。

そうかもしれない。だいぶ前に連絡取れないことがあり、心配したけれど、2年くらいしたら会えるようになった。その時は心底安心した。

欝の人に元気出せと励ますのはよくないらしいけど、軽度なら誘い出して明るく話すのもいいと聞いた。友達がそれだといいんだけど。

で、来月はぜひ会いたいと思っている。

生きていたらいろいろ大変なこともある。特にこの新型コロナでは、病気になる、死亡するという被害より、仕事に影響が出たその被害の方がうんと大きいと思う。職を失った人も全国では多数に上るはず。失職したら心が平安ではいられない。

仕事はなくさないまでも、暮らしにいろいろ支障の出る人も大勢。人と会えなくて気がまぎれず、病気の恐怖が募って心が普通でなくなるのも当然あると思う。

人の心は壊れやすいもの。まじめで繊細な人ほど、世の中の変化に弱い。周りはその心の変化をそのまま認め、黙って寄り添うことで元気づけられると聞いたのですが。


私ですか。恐れてもそうでなくても、病気にかかる時にはかかる。リスクを避けるためにはにぎやかな場所へ出歩かないこと。それはまあできていると思います。

でも私が普通に元気で、それにあたって相手の心が弱ることもあるので、直してやろう、元気づけようと言う上から目線を止めて、話聞くだけにしよう。

しかし、人の心を壊し、人と人を会えなくし、価値観の違いをさらけ出して人間関係を壊し、つくづく罪作りな病気です。

早く、早く、収束することを願っています。

ワクチン、できるのでしょうか。自然に収まる前にできてほしいのですが。

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アウシュビッツ日本人ガイドのこと

2020-09-19 | 戦争反対

今朝の朝日新聞に、アウシュビッツ(オシフェンチム)公式ガイド、中谷剛氏の紹介記事がありました。

読んで、3年前に見学した時の気持ちを思い出した。

https://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/cc465d911feedb324c8e712ee304a615

思い出すと、今も心臓が締め付けられる感じ。感じではなくて、実際、心臓がぎゅーと縮んで息苦しい。

見学した夜は、いろいろな展示の残像が頭の上でぐるぐる回って、ほとんど眠れなかった。

アウシュビッツ収容所入口

アウシュビッツが手狭になり、ビルケナウに第二収容所が。


楽しい施設ではありませんが、見てよかったと思う。

日本語ガイドの方に案内されて大変よく分かった。日本からのツアーでも中谷氏に当たらない場合もあるとのことなので。

集団で人が人を差別排除してどんなことが起きるのか、人はどんなことをしてしまうのか。世界中で忘れないようにしたいものです。

とは言え、日本人ははるばるポーランドまで行くのに、南京やハルビンの虐殺記念館や731部隊の記念館にはまず行かない。ツアーなどもない。

中国旅行のツアーに参加すると、友達と来ているような男性参加者の一部が中国人を(具体的には手近な現地ツアーガイドを)見下す態度をとるのできわめて不快。

日常生活でも、南京大虐殺なんてなかったと必死で言うおばさんとかいて、日本人は被害ばかり言うけど、本当に深く考えているのかなと思う。何も考えない人間の素朴な差別感情を草の根ヘイトとでも名付けましょうか。

遠くヨーロッパの地で起きたことに憤慨するのは簡単。しかし、身近なことに頬かむりしてはいけない。と気づかされたポーランドの旅でもありました。

感情的な言葉は排して、淡々と話されるその説明は深く胸にしみるものでした。死者をして語らしめよ。そう思いきっているような。

今日の記事では向こうでガイドになろうと思ったとありましたが、著作の中ではたまたまポーランドを訪ねて衝撃を受け、収容所にかかわる仕事がしたいと再びポーランドへ行ったとあった気がします。

いずれにせよ、中谷氏の末永い活動に期待します。

個人でも、メールで申し込んで案内を頼めるようです。

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お嫁さんのワイドパンツを縫う

2020-09-18 | 縫物いろいろ

「裂持ってきたら縫うよ」と言っていたら、秋用の木綿地を持ってきました。

背が高いので、次来た時、裾丈を決めます。

ウェスト細いので、次来たとき、ゴムの長さ決めます。

裾とポケットに柄をあしらいたいと言うので、(私の)姑様の型染布を使いました。

自分のでないので丁寧に縫いました。糸も新しいのがきれいに縫えるのかな。

手持ちの糸、30年くらい前のもありそう。。。。

今朝は起きたら夫は仕事に行った後。

テーブルの上に屋上菜園のナスが。

夏のナスと違って皮も実も柔らかくて、試しにサラダ風にしたらおいしかった。

秋ナス、嫁、大いに食らう。

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私の針仕事展2020へ行く

2020-09-18 | 縫物いろいろ

そごう広島店で15日まで。お嫁さんに招待券貰ったので出かけました。

昨年から写真OK、SNSで拡散どうぞということで、写真撮る人もちらほら。

今年は全体ではなく、細部を撮ることにしました。

見返り美人とクレージーキルト

見返りじゃなかった。

素朴な手縫い。

梅雨空。花弁が立体的。

和布を綴り合せて。

刺し子。ざっくりと素朴に。わざわざ作ったのでしょうか。それともどこかの蔵に眠っていた?

板染めの子供着物。

古いもののようです。

鱗型。鱗は繰り返すおめでたい柄だそうです。

こちらも福尽くし。

藤の花のイメージ。

今年も出品。三浦百恵さん。

全体。

細部。

畳縁で。

和布で。

これが一番迫力があった。

ネズミがかじったような古い布には裏打ちして、その時間とニュアンスを楽しむ。

古くならないと出ない味わいを楽しむ。

ぼろ布やぼろ布を綴り合せた古い野良着などは大変高価と聞きました。

ボロボロだからと捨てずに、ヤフオクに出されてはいかがでしょうか。

インテリアにしたり、服にしたり、いろいろ利用できるようです。

今年は例年より作品数が少なかった印象。会場外では今回もたくさんの手芸店、生地屋さんが出店していました。こちらは例年通り。

手仕事、手芸の好きな人はいつの時代にもいるようです。安くて丈夫なものがどこででも買えるからこそ、世界に一つの手仕事の作品が貴重。

それは豊かな時代の象徴だけど、昔の女性は実用品作るのにも自分の工夫を取り入れて、楽しんでいましたよね。何も考えずに、古い布を綴り合せて座布団カバーを作る。暮らしの中に小さな喜び。布を大切にするその気持ち、私も受け継いでいきたいと思います。

夫へのお土産。温いものが嬉しい季節。

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午後から水彩画に行く

2020-09-17 | 水彩画

今日はリンドウを描きました。

 

こちら八月。ヒャクニチソウ。

最近は果物や野菜より、花を描くのが好きになりました。

花の複雑な形と色、柔らかさに惹かれます。

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いつまで続く?この自粛

2020-09-17 | 日記

中軽井沢から見る浅間山 2017年9月


今年はなぜか長い連休が多いように思う。(理由はあるはずだけど、わざわざ考えるのが面倒)。

でも、百年に一度のパンデミック、せっかくの連休も心から楽しめない。

今年前半から、私の身の周りで中止になったものを思いつくままに上げてみる。

3月 孫の幼稚園の卒園式の父兄参加。近所の人との食事会(六月まで)。プロ野球がないので夫がっくり。

4月 孫の小学校入学式の父兄参加。県人会のハイキング。習いごと二つ(五月まで)。息子がマンション買って引っ越し。引き渡しまで、病気にならないよう緊張した。引っ越し祝いも延び延びに。

本屋、公民館、図書館も閉鎖で、本はアマゾンで買うだけ。

5月 連休は家でおとなしく。近場の山で山菜、夫実家の山でタケノコ採って家計の足しに。

毎年恒例、香川と愛知の友達の同窓会旅行。

三男の帰省。三男は連休明けから自宅で仕事。今に続いているらしい。

学校が長期休暇で孫たちとも会えず、パズル、ゲーム、本など三回くらい送った。

孫の運動会。

6月 県人会の日帰り旅行。(香川県のうどん店巡り) とうかさんのお祭り。

7月から個人的には国内旅行を再開したけど、毎年、私一人で参加していた海外旅行はいつ行けるやら。でももう行かなくてもいいかな。そのお金で国内へ。

地元の花火大会。

8月 テレビで見るだけだけど、平和祈念式も大幅に規模縮小。三男の帰省とお盆の我が家の集まり。

9月 三年に一度の高校同学年の同窓会。従妹との誕生日旅行。従妹は介護施設で働くので県外へ出ないようにとのきついお達し。東京、神奈川の娘一家も帰省せず。

10月 地区のお祭り。県人会総会。県人会主催のうどん教室など、行事はすべて中止。

このほかに、夫の仕事関係の夜の会合が一切なくなり、ずっと夕食作るのは辛い。最近やっと復活。

と、思いつくままに書いてもこんな感じ。

夫の仕事も影響大で、売り上げは大幅減。同業者の中には持続化給付金を申請した人もいると聞いた。

いつまで続くかと考えたらしばらくは続くとしか考えられない。今までの暮らしを振り返り、無駄なことは省くのはいいことかもしれない。けど、世の中全体の経済活動が縮小していくのが長い期間、ボディブローのように日本人全体の暮らしに悪い影響が続くのを心配しています。


100年前のパンデミックでは、私の祖父の最初の連れ合いがなくなったとか。20代だったと思う。子供二人はまだ幼く、下の子は子供のない大阪の親戚の養子になった。

再婚した相手との間に生まれたのが私の父。伯父は結婚しても同居していたけれど、やがて嫁姑の間がこじれて分家し、戦前のことなので父が跡取りということになった。

父が亡くなった後、初めて戸籍見て三男から長男になっているのでびっくりした。生まれた順番は変えようもないはずなのに、家単位で考えるとそうですよね。分家した時、スペイン風邪で亡くなった人の位牌も持って出たそうで、お墓も分家した伯父が新たに作ったと、それも10年くらい前に知った。

今回、私の周りでは幸運にも今のところ死んだ事例はないけれど、100年前には人の運命も激変。私の祖母は昔では超遅い28歳で嫁いだのは、戦争から帰った弟に母親代わりに嫁を取ってから嫁に来たと本人が話していた。その母親は病気で早くに亡くなったそうです。

祖母は30歳くらいから男4人、女5人と子供を産み続け、最後の叔母は50過ぎてから。もう孫の年ですよね。それでも母乳でちゃんと育てたらしい。それでその叔母と私は8歳しか年が変わらない。

日本で最高齢の出産記録は何歳なんでしょうか?今ならギネスに申請してもいいかもしれないけど、祖母は高齢出産に触れるとちょっと恥ずかしい風でもありました。

今ググったら日本での最高齢は53歳、50代で分娩はわずか8例とありましたが、戦前の我が祖母は多分厚労省の統計には入ってないのでは。

戦争、パンデミック、人は昔も今も多く亡くなっていたけれど、スペイン風邪で我が実家で一人しか犠牲が出なかったのは幸運でした。後添えの祖母が多産で我が家は親戚が多く、いつも賑やかに人が出入りしていたのは、子供のころ、楽しかったし、大人の話を聞きながら大人になる準備していたと、今になったら思う。

大阪に養子に行った伯父の長男は、母親が病死して母の実家の養子になり、小学校では同級生だった。全然付き合いはなかったのに、相手は何となく私と親戚と知っていたようで、大学生の時、下宿させていた京都の叔母が本当のこと、聞かせたらしい。

この人はわが一族で一番頭がよくて、某旧帝大の理学部の教授だったけど、もう退官したはず。昭和20年代に亡くなったお母さんが生きていたらどんなにか嬉しかったことでしょう。

生きているのは辛いことも色々あるけれど、たまに嬉しいこと、楽しいこともある。それに気づかせてくれたのもコロナ禍でした。今あることに感謝し、真面目になろうと誓う私。(長続きしたためしがないけど)

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簡単ヨーグルト

2020-09-16 | クッキング・ランチなど

自分でヨーグルトを作ります。

用意するもの。

牛乳とヨーグルトの空きパック

パックを洗わずに牛乳入れます。昨日の午前8時。このまま蓋をしてそこら辺に放置。

本日15時ころ。とろとろに固まってきました。

食べてみましたがまだ緩いのでこのまま放置して様子見ます。

気温30度のころは24時間くらいで、しっかりした食感のヨーグルトになりましたが急に涼しくなって、乳酸菌もおとなしくなりました。

これは個人で作るもので、思わぬ雑菌が増えても行けないので、作る場合は各自の責任でお願いします。

また空きパックの利用は一度だけ。

何年か前、二度目を作るとちょっと違う味になっていたので。

湯煎もいいかもしれませんが、いまだ経験なし。秋は速足でやってきているようです。日暮れもずいぶん早くなりました。

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歩行と咀嚼が老化の目安・・・かな

2020-09-15 | 断想

昨年9月、雲州平田で。絵絣。


同世代の人と食事して、私は普段から食べるのが早いので、人と食べる速度を合わせるのに苦労することがある。

考えてみればごく若い時からそう、子供の時からそうしつけられていたことに思い当たる。

話をせずにさっさと食べる。母は特に作るのも食べるのも早かった。これは我が実家特有の事情があったのだと今になれば思い当たる。

高校のころは学校周辺に食べ物屋が多く、昼休みでも出入り自由な我が母校は県庁や、隣の・・・会館で友達と食事することもあったが、私はいつも早く食べるので恥ずかしかった。

この年になると、さらに恥ずかしい。うーーーむ、あっと言う間に食べてしまう。夫から、呑み込まずによく噛めと注意される。

友達と食事しても、食べ終わってふと見ると、相手、半分も食べていない。

うーーーむ、どうしたものか。せかしているわけではないのですが。

早く食べると食べ過ぎるそうですが、食べ過ぎない程度に、今の速度を維持したいと思う。

姑様も次第に食べるのが遅くなり、施設では11時半ころから食べ始めて、終わるのは一時過ぎるらしい。施設の人は見守りながらも手出しはしない。


いつのころからか、たぶん二、三年前から夫と山を歩くと、どうしても私が先になってしまう。彼の人、ゆっくり。ゆっくり歩いてペースを乱さないようにしているのかと思うと、そうでもないそうで。早く歩けないと言う。

えーーー、と驚く。一日中、座っているのが仕事なので、足腰、いつの間にか弱っているのかも。

たまに会う人が、歩くのが遅くなっていると、自分ももうその年になっているのだと自覚する。

早く歩いて(転ばない程度に)、早く食べて(胃を悪くしない程度に)、家の中でも外でも素早く行動。それで老化が少しでも遅くなり、認知症が先延ばしになれば嬉しいなあ~

昨年9月、雲州平田で。

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おばあちゃんの茶話会

2020-09-14 | 日記

午前中、近所の女性ばかりの茶話会がありました。

一年前に誘われて参加。コロナ禍で3月から6月までお休み。7月、8月は私は用事で不参加。(旅行の申し込みにお嫁ちゃんと一緒に行ったのと、別の旅行・・・九州へ行っていた)

今回から私がお世話することになりました。その心は85歳の人に準備してもらうのに、この私の(わずかに残っているらしい)良心が痛んだので、私の方から申し出て。

以前は白いご飯炊いてきて、お惣菜各種、会場で配膳して大変でしたが、お菓子とお茶に変わり、楽になりました。

全部は食べきれないので持ち帰ったもの。

この他には小さなヨーグルト、スティック状のクッキー、紙コップ、ビニール袋、ウーロン茶2リットル、スティックコーヒーを買い、合計で4,489円。

8人から集めた会費が4,000円。489円の赤字ですが、繰越金5,889円を取り崩して、残金5,400円となりました。

こんなこと、世間に明かすことではないのですが、備忘のため。何卒お許しを。


今回からの改善点。

ゴミ袋も配って、ゴミは各自で持ち帰り。

事前にパック入りお茶、スティックコーヒーもすべてセットして袋に入れておき、会場では袋を配るだけ。

なるだけ添加物の少ないものを買う。個別包装したものを買い、感染に気を付ける。

反省点。

繰越金はあるけれど、なるだけ赤字出さないようにする。それにしても、消費税8%はいたい。


皆さん80歳以上、未婚の娘さんと暮らしている一人を除き、全員一人暮らし。話が合うかと言えば微妙に合わない。しかし、私も立派な年寄りなので、10年前よりは合っているはず。

「いっぱい御馳走がある~」

「ミカンは初物~」

最近退院した人は「ここへ来てみんなと会えてよかった」

など、喜んでもらえたので、それを次のエネルギーといたしましょう。

もっと大変な世話しても、全然喜ばれずに完全に無視されて、という経験をした私にはこんなささやかな言葉でも、乾いた土地に雨水がしみこむようにしみじみと嬉しく、元気が出る。

今日の話で、町内会の世話している人♀は、一人暮らしの人から電話があればその家に行き、ベッドから起こして移動したりと、介護までされていることを知った。大変なお世話で頭が下がるけれど、そこまではしなくてもいいのでは。

「男の人なので、前から抱えるわけにいかないので後ろから持つと毎回二人で後ろへ倒れる」と言われるのでびっくり。親切でしたことでも、自分がケガしても、人をケガさせてもいけない。それはしない方がいいと私は言ったけど、他の人は全員、ピンとこない顔していたので、介護の経験がないことが分かった。

街中なので、自分や配偶者の親が近くにいた人は稀。親はどこか遠くの田舎に住んでいて、田舎の身内が面倒みたことでしょう。

介護するしないは全くの行きがかり。

そう、娘さんと住んでいる本日の参加者は、姑さんと同居していたけど、30年くらい前、姑さんは前日まで元気で自分の洗濯もして、翌朝には布団の中で亡くなっていたという、本当に嫁孝行な人でした。

「おばあちゃんらしいとみんなで話した」と当時言ってたけど、そういう亡くなり方をするのはよほど徳を積んでいたのでしょうか。面倒見てもらいたくなくても、それもこの世の行きがかり。さんざん面倒掛けて嫌がられるのは辛いし、その辛さを味合わなくてよかったのは、姑さんの幸運でしたね。

でも、誰とも別れを言えずになくなるのは困るので、私はこれからは「あなたたちと出会って私は本当に幸せだった」と普段から言っておくつもり。

とは言え、いきなりそんなこと言ったら、「えっ、何かあったん?どしたん?また急に」と、不審がられるのが落ち。それもこれも日ごろの不徳の報い。


最近の我が家の遊び、夫の舅姑の真似して遊ぶ。

でもすぐ行き詰まる私。まず「あなた」と呼ぶはずが、そんな気恥しい言葉、大昔、他の男の子と付き合ってる頃に気取って言ってたけど(夫にもちょっと言ってた気がする。喫茶店で待ち合わせて街歩いたりしてた頃には)、もう言えるはずもなく。

長い名前なので最初の一文字に撥音、ちゃんずけで、20年くらい前からは三男のつけたあだ名で。人前では一応「先生」と。お父さんとか、おじいちゃんとか、どうしても出てこない。

しかしまあ、心を少し入れ替えて感謝の日送り。

土曜日に息子にきついこと言ったと書いたので、まあなんてきつい人と思われたと思いますが、ここには書けないけど、それには前段があって。。。

総じて、私は農業が簡単と思う人にはちょっと反応するわけで。生活をかけて作るのと、家計の足しにとか、心の癒しなど趣味で作るのは全然違う。そういうのを否定するのではありませんが。

こんな感じで、稲を作って季節感感じるとか。


息子は日本は農業国に戻るべき、昔の不便な暮らしをしてみんな少しずつ不便を忍ぶべきと言うエコロジストにいつの間にかなっています。じゃ今の仕事やめて自分がそれやると、家のローンすら払えないことには気が付かない。昔の暮らしがどんなに大変か分からないと言っておきましょうか。

農業・・・私が結婚するころすでに、娘は農家には嫁がせたくない、しかし、農家の息子には嫁が来てほしいと願う親がほとんど。

いえ、初めはね、お嫁さんは手伝わなくていい、と言っていても、知らんふり出来ないその良心に期待していたのでしょう。それはまあ、他の家業でもありますよね。

しかし、農家はお嫁さんにまで日当出せません。働く家族全員に世間並みの給料出してやっていける農家が今現在、どれだけあるのか。

いゃあ、話がどんどんずれまくって、それも久しぶりに人の話聞いたからでした。

来月もあります。皆さんに喜んでいただけるよう頑張ります。

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千石岳とスズメバチ、そして山野草のエキ

2020-09-13 | 山歩き

本日は山口県周南市の千石岳を歩きます。

中国道鹿野インター下りて徳山方面へ、途中から県道9号、さらに林道へ入り、登山口を目指します。

家からは約二時間の予定が、いろいろあって30分遅れ。気を取り直していきましょう。

手洗いの向こうに車を停めて

登山口はすぐ近くです。

 

途中、ダム湖が見えます。(高瀬湖)

山頂近く、ツリフネソウが。

山の上だけど、水が流れる場所。たくさん咲いています。

早くおいで~

人の声が聞こえて、山頂が見えてきました。人がいます。

山頂はアンテナ施設が。消防無線だそうです。

三日続きの雨が明けた秋の日曜日。空気が澄んで、遠く大分県の国東半島も見えます。

山口県の東部から、九州が見えるのは珍しいです。以前、光市の冬の茶臼岳で見て以来。

行きたい食事処は、問い合わせると県外者お断りとのこと。残念。

結局自分でお弁当作る。

50人くらいのグループは山口県の山の会とのこと。縦走するそうです。

先に発ちました。

下山途中、スズメバチに遭遇。後ろからブーンと羽音立てながらついてきてなかなか離れない。

「スズメバチ!!」と言うと、夫が「追い払うな。知らんふりして通り過ぎる」と言うので速足で歩くと、やがて離れていきました。

びっくりです。私がフェロモン出していたのではなく、裏が黒い帽子かぶっていたからかも。スズメバチは黒に反応するらしいのです。

織りの友達がスズメバチに刺されて、二度目だったせいか息苦しくなって病院へ行ったそうです。

「黒い服がいけないみたいよ」とみんなで言うと、「法事なので黒い服着ていたーーー」

私もうっかりしていました。9月のスズメバチ・・・本当だったんだあ。これからは黒いもの身に着けないよう、気を付けます。

あとで聞くと二匹ついてきていたとのこと。おーこわ。私が下手に払ったら、友達たくさん呼び寄せたかも)))))

老女、山道でスズメバチに襲われるという記事にならずにやれやれでした。


続いて山野草を集めて育てている施設に行きます。

造った方の遺志を受け継ぎ、ボランティアグループが管理しているとのことです。

イベントもいろいろ。楽しそうです。

http://blog.livedoor.jp/hananosetumei/archives/30439202.html

エキは山かんむりに谷の字を当てていますが、和製漢字かも。

今の時期の花。

川の先がその山野草のエキです。

シュウカイドウ

シュウカイドウ

ベニバナヤマシャクヤク(実)

ツリフネソウの白いのは初めて見た。

赤に交じってたくさんありました。

黄色は安芸冠山の登山口、中軽井沢のセゾン美術館中庭の二か所で見ました。

赤、黄、白・・・不思議ですね。

キレンゲショウマ

フシグロセンノウ

ツルニンジン

シラヤマギク

ハギ

レース模様

ミズバショウの谷

ツリフネソウ(白花)

キレンゲショウマ

テンニンソウ

ヤマウド

???

オヤマボクチ

そのほかにもいろいろありました。

放っておくとすぐに藪になる山で管理されるのは大変なことと思います。入り口の箱に少しだけ志納金、入れてきました。

隠れた名所でした。

後は来た道を広島へ。息子宅は不在だったので、忘れ物置いて帰宅。

山は上りが一時間弱、下山は30分くらい。勾配急で、途中石仏が88体置かれていた。石を組んで祠にしているのが、ここの特徴。優しい心遣いを感じてほっこりしました。

いいお天気でいい山歩きになりました。

 

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千石岳山頂

2020-09-13 | 山歩き
いいお天気。九州の国東半島が見えます。

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千石岳山頂

2020-09-13 | お出かけ
goo blogからの10の質問に答えます。

【10の質問・出身編】

1.あなたの出身地は?


2.どのくらいの期間そこに住んでいましたか?


3.名産品は何ですか?


4.地元民しか知らなそうな事実を教えてください


5.一番おいしいお店、おすすめのお店を教えてください


6.地元で有名人に会ったことある?


7.出身地にどれくらいの頻度で行ってる?


8.都市伝説はある?あったら内容を教えてください


9.不満や、こうだったらいいのにな~と思うところある?
 あれば教えてください


10.その地域の魅力を一言で


お疲れさまでした。
読んでくれてありがとうございます。

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