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来年の年賀状

2020-01-18 | 日記

数日前、年賀状書いて出しました。

2002年年末から続けていた、パソコンでの作成はやめて、手書きです。

なんだなんだなんだーー???

はい、ポンカンと柿でございます。

柿?6お正月に柿?

ほんとは椿くらい山で拾って来ればよかったけど、赤つながりで。

このあと住所名前メッセージなど入れる。

春禮のはんこでおめでたい言葉は代用。

感想。

パソコンで作らないといけないと思い込んでいた年賀状。自分で書いたららとても時短になった。

下手な絵は下手だからこそ味わい深いと自分で慰める。

出典はこちら。

自分で描いた絵です。柿が小さすぎたけど、赤い色があるだけでいいかなと思ったので。


本日、夫は一人で山へ行った。じっと座って人の話聞くのが商売、歩くのが遅くなっている。

先月、嵯峨野の竹林で、あまりの人の多さに駆け足で通り抜けた私。それを追いかけるのが大変だったそうで。山でも遅い。でも私は一人だけ先には行かず、一番遅い人のさらにその後ろを歩くことにしている。←自慢モード深謝。

だって、自分がその立場でみんなに置いて行かれたら寂しいし、事故があっても気が付かないし。

20年以上前、山に誘ったある人♀、私が一番遅い女性の後ろ歩いているのに、さっさと男性陣と前へ行ってしまい、途中で、談笑しながら私たちを待っていました。

山の中では集団行動、先頭が普通に歩いてもなぜか最後尾は駆け足になるのです。車の渋滞とは逆ですね。

前行く人はなるだけゆっくり、それで後ろはちょうどいいのです。

待ってくれるのは好意ですが、先に休み始めたものが休む時間も長くとれる。不合理です。

前の人が見えなくなるほどに列がばらけるのははよくないと私は思っているのですが、そう思わない人もいるようで、残念な事でありました。

いえ、夫なら待ちません。待ちませんとも。で、先行って岩に腰かけて余裕の微笑で迎える。それが悔しいそうで、一日鍛錬してくる気になったようです。

頑張って。

年賀状から話はどんどんそれました。深謝。

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広島市現代美術館へ行く

2020-01-17 | お出かけ

いいお天気です。予報では最高気温9℃だったかな。

でも風もなく暖かいです。12℃くらいはあった感じ。

きょうは比治山の上にある現代美術館へ行くことにしました。

元は広島湾に浮かぶ島。長い間の堆積で地続きに。

トンネルは30年くらい前にできた。まっすぐ行くと平和大通りを経て広島平和公園です。

テイカカズラにサネカズラ。

トンネルの上の広場を通って近道を行きます。

椿が咲いてます。

上がって来ました。屋外の彫刻。

こちらも30年くらい前に整備。

地形を利用した斬新な外観。

アカルイカテイ。

https://www.hiroshima-moca.jp/bright_home/

家庭と言う概念は明治時代にできたそうですが、私たちの世代だと勤め人と専業主婦という高度経済成長期以後の核家族の家庭を連想します。

伝統から距離を置き、人が自由に生きられる明るいイメージ。

それが今や一般的ではなくなりつつあるのも、時代の流れ。

この展覧会では、昭和期以後の家庭を写真や、絵、工芸などで切り取ろうとする試み。

レトロだけど、今に通じる普遍的なものもあり、いろいろと面白かったです。

家の作りから家庭と家族を見る試みも面白いかもしれませんね。

週刊文春の「家の履歴書」みたいに。

帰ります。

まんが図書館前のサザンカ。

坂道下りて比治山神社。

原爆被爆後、比治山神社の垣根の石柱を利用してバラック建てていた人の話を聞いたことがあります。

当時二十歳前後の女性ですが、トイレはそこら辺の物陰で。バラックの中を外から見られても気にならないし、食べるものは配ってくれたそうで、寒いなと思ったら冬になっていた。親の店で働いていた人と一緒になって、島へ帰る人の家を安く買った・・・と言うような話でした。

立ち直っていくしかない。そう思った時の人のたくましさ。教えられることの多い話でした。

人が二人以上いて、お互い必要な人と思えばそこに家庭が生まれる。家と庭。庭がなくてもベランダで鉢植え一つ育てても、それを一緒に楽しめば家庭なのでしょうか。

我が夫、狭い庭には無関心。庭木を切ることもなし。これって家庭なのかな・・・・

出光創業者の娘、写真家になったそうで。家への反発が芸術に向かわせたとか、そんな説明でした。

冷蔵庫の外観と中身、並べると壮観。

冷蔵庫って暮らしそのもの。我が家のも少し整理しなければと思いました。

電車の「比治山下」下りて少し山道上がります。

駐車場も山中に三か所ほど。

真言宗、多聞院の前を行きます。

こちらは原爆投下後、最初に臨時の県庁がおかれたところ。

立派な古刹です。


本日、道で近所の友達に会う。

新年のあいさつ。お互い介護を体験した身として、もう卒業したけど情報交換。

彼女は実のお母さん、排せつ物のことでは「もう、殺そうかと思った」とのこと。その修羅場は体験した者にしかわかりません。「分かるわあ」と言ってあげられる自分でよかったなあと。

私は姑だし、夫が主にしていたのでそこまで追い込まれることはなかったけど、いつまで続くのかなあと思ったのは確か。

きょうは義妹が来て施設へ行き、絵本を読んであげたとか。喜んだのかなあ。幸せな姑様です。体調はいいし百歳も見えてきましたね。

いゃあ、この私、とてもそこまでは生きる自信がありません。

 

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透明絵の具で描くスイセン

2020-01-16 | 水彩画

本日今年初めての水彩画の日。

友達二人と先生のお宅まで。年初めなのでお菓子を手土産に。

今日は庭のスイセンを描きました。

本日の先生の指導。

鉛筆の線はなるだけ少なく。色付けした後でまた足す。

描き過ぎない。輪郭線に囚われず、はみ出してもいいので自由に描く。

途中で逃げる。形と色を追求しない。追求するならよほど上手に描かないと人は納得しない。

などと言うことを。

自由に楽しく。

きょうは先生もたくさん話をされ、旅行の写真も見せていただき、お菓子とコーヒーで歓談、と新年らしく楽しく過ごしました。

春には教室の合同展に出す運びに。下手ですが頑張ります。

 

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超簡単・パスタパエリアを作る

2020-01-16 | クッキング・ランチなど

鍋一つ、10分でできるパエリアです。

作り方

鍋でオリーブオイルを熱し、鶏肉に軽く火を通す。

パスタを人数分、長さの三分の一に折って鍋に入れる。

シーフード各種を入れる。

パエリアの元を振る。

これです。中の小袋ひとつ、二人分を使いました。

パスタが浸かるくらいに湯を入れて初め強火、沸騰したら弱火にする。

蓋は開けたまま、途中で茹で加減、湯の量を見ながら10分で仕上げる。

硬さはお好みで。

出来ました。

本日は鶏肉、アサリ、エビ、ハムなど。

イカやタコ、ホタテでもおいしくできそうです。

よかったらお試しください。

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久しぶりにパエリアを作る

2020-01-14 | クッキング・ランチなど

お正月料理やお餅に飽きたので、パエリア作ります。

鍋にオリーブ油入れ、鶏肉を炒めます。

表面に火が通ったら水切りした米3合を入れてさらに炒めます。

今回はエビとアサリのむき身(いずれも冷凍品)も入れます。イカとかタコでもおいしい。

強火で2分、中火で15分、蓋したままで10分蒸らし出来上がり。

出来上がり。

パプリカがないので、トマトをチンしてのせてみました。

粉チーズとしめ飾りの橙のしぼり汁落としていただきます。

サフランは高い。近所には売ってない。

これを使いました。味の素製です。

これはドンキまで自転車で買いに行く。

スペインで食べたパエリアはこんな感じ。

いずれも2016年6月

クリックで拡大

セビーリャのホテルで。おいしかったけど、具材少なめ、なんでだしとったのでしょうか。

パスタパエリア。イカ墨の色も混ざっている感じ。生クリームで食べる。バルセロナで。

ムール貝、エビなどのパエリア。

今こうして振り返ってみると、鮮やかな黄色のパエリアってなかったような。

サフラン高いからかな。

でもちょっと使うだけで、とてもいい色になるので、見かけたら一箱くらい買うかも。


本日の反省点は、トマト使ったこと。

冬のトマトは水っぽくてパエリアに合わない。

無理に赤い色がなくてもいいんだと気が付く私。

今度はもっとおいしく作りましょう。

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息子一家と遊ぶ

2020-01-13 | 日記

木登り

何かの遊具の撤去跡

砂場。

完成。

上る。

柱を登る。

姑様の施設に全員で訪問。そのあと食事に行く。

その後は我が家で一時間あまり話して解散。

日が少しだけ長くなった。

春よ来い、早く来い。

 

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認知症になる前にネット証券の整理

2020-01-12 | 日記

今朝は預かり分の納税後なので、貯金額などいろいろ確認した。

ネット証券のうち、ソニー銀行は普通預金のみでもう長い間放置していたので、今朝、家に一番近い銀行に送金するつもりがだいぶ手間がかかった。

ログインパスワード、取引暗証番号をメモしたノートひっくり返し、キャッシュカードも探し出して裏の番号を確認し、一度の送金額の設定を変更、あれやこれやで時間かかったけど、何とか出来た。

もう余計な欲を出さずに、余計な手間も掛けずに、お金はなるだけまとめておき、私が急にいなくなっても分かるようにしておきたい。

もう一つのネット証券は日経平均がノーロードで買えるけど、それで一度わずかに儲けが出たけれど、これも近々やめておこう。

手数料かかってももう証券会社も二つくらいに絞っておく。

なんて書くととてもお金ありそうですが、見栄張ってます。ありません。

我家は自営業なので、年金もごくわずか、夫仕事場の建物と土地の一部は姑様名義だし、仕事辞めたらいらねぇよ。。。と私は思うけど、夫親族がどう出るのかなあ。

例えばお金100万円と古いビル100万円ならお金の方がいいに決まっている。

姑様は九州の実家の家も持っていて、今は親族が住んでいる。そちらはどうなる?

ああ、人のことだけどどんどん暗い気分に・・・

夫ですか?

お金のこと、あまり頓着しない人で、あまり考えてなさそう。

墓地とタケノコ山も姑様のものだった。タケノコは茂りすぎて生えず、墓地の方へタケノコが出るようになった。やれやれ。


私は不動産全然持ってないけど、実母の死後はどうなるのかな。まあ、あまりいろいろ考えず、今日が健康で楽しければよし。

認知症と言えば、昨夜のNHK、認知症簡易検査を考え出した長谷川医師その人が認知症になったのを一年間ぐらい取材した番組、興味深く見た。

デイサービスというのも初めて考えたのだったかな、でもご本人は行かないと頑張っていた、娘さんから「お父さんが考えた制度じゃないの、行けば」と言われていた。

とても明るい方で、老いと認知症を淡々と受け入れ、要らないものを捨てて身軽になっていく・・・と言うようなことを話されていた。

さて、私の老後にはどんな景色が広がっているでしょうか。


取りあえず、きょうは一つ片付いてよかった。パスワード、合言葉忘れてなくてよかった。

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オリンピックなんてどうでもいい

2020-01-11 | 随想

四年前の冬。

何してるんだあ~

https://lite-ra.com/2020/01/post-5196.html

年始、久しぶりに元SMAPの稲垣吾郎さんをテレビで見た。

夜遅かったので寝てしまったけど、ずっと見ていた夫によると大変見ごたえがあったとか。

この中で司会の稲垣吾郎、大変いい仕事をしています。

某事務所所属のアイドルだった頃には到底言えなかったことを、はっきり言っている。

オリンピック、好きか嫌いかと聞かれれば、私はどちらでもないけれど、それに付随するもろもろのことがうっとうしい。

一緒に喜ばないといけない無言の強制が、私にはたまらなく嫌。

スポーツは純然たるスポーツとして、して楽しみ、見て楽しむだけでいいと思う。見るだけなら私も楽しめそうだけど、選手個人に日本代表みたいな期待と圧力かけるのはする方にも見る方にも不幸。

昔、期待に応えられないことに悩み自ら命を絶ったマラソン選手がいたのです。すべてをあきらめた後の、純粋無垢な心の結晶のような遺書は、涙なしには読み通せません。あんなことは二度とあってはいけないと思う。

オリンピックで誰も亡くならないで欲しい。選手や観客の中から熱中症の死者も出ませんように(不吉)。

それにしても、なんでそこまでしてオリンピック持ってくるの。謎??


コメント欄は認証制です。あなた様の貴重なご意見を反映しないこともあります。

あらかじめご了承ください。

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ミニアスレチックに行く

2020-01-10 | お出かけ

ヤッホー

滑り台

跳び降りる

また上がる

潜り抜ける。

おばあちゃん、上がっておいで~

黒い球に足を掛けて上がろうにも、穴を体が通らず、断念。残念。

中は家族、グループで休める個室がいろいろ。上が私たちの部屋。

子供はワンドリンク付き。

うどんのランチも食べました。

大人にもランチ各種、ドリンク、デザートなどあります。

一時間400円、おとなは場所代は不要。会員になると三時間800円だそうです。

ほんとのアスレチックよりはうんと安くて、安全に遊べそう。

大きい子はちょっと物足りないかもしれないけど。

ソファーの後ろへ隠れる。

元は銭湯だったそうで、平日の昼間、子供連れのお母さんたちで賑わっていました。

近所なので看板はちょっと隠して。。。。

昔なら公園の砂場で遊ばせるところですが、今はこんな施設に人が集まるようで。

子育てのころ、こんな施設があればゆっくり話できたのに。


夕方来たお姉ちゃんに話すと行きたがったので、近いうちに再訪予定。駐車場は満杯の予想通り。路面電車で行きました。

夫がくれました。

水を入れて加温し、一定の温度で保温する道具。鍋を浸けておけばいいそうですが、ポットでも代用できそう。

こんなに大きいと思わなかったので・・・

でもありがたく使わせてもらいます。今夜また、もち米浸けました。

先日の残りは息子に食べさせてと言ってお嫁ちゃんに持たせる。

 

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「暮らしの老いじたく」 南和子

2020-01-10 | 読書

クリックで拡大

著者は1930年広島生まれ、東大工学部を卒業、上智大学で教えていたと、この文庫本の紹介にある。

今年でちょうど90歳、2007年の八刷なので、今もご存命かどうか。

年取って体が不自由になった時の暮らしの知恵いろいろ。親本は1999年、筑摩書房刊。だから約20年前の情報と言うことになる。

読む本が無くなって、自分の本棚探すうち発掘。私も今より10歳以上若かったけど、こんな本読んでいたんだと感慨しみじみ。

理系の学者らしい分かりやすく過不足ない書き方、再び面白く読みました。

その時にはピンとこなかった内容も身近に感じられるし、逆にこの20年間で変わったこともある。

介護保険は始まったばかり、著者は64歳で骨粗しょう症から圧迫骨折を起し、3か月ほぼ自宅でねたきりのあと何とか体を動かせるまでに回復したそうです。その経験から、家の中を色々に変える話は体験者だけに説得力があった。

まだ充分に介護保険が認知されていなかった時代に、積極的に利用するよう勧めている。

若い人が持っている携帯電話は便利だから年寄りも使おうとか、メールだと相手に迷惑かけないとか時代を感じさせるのも面白かった。当時は電車の中で通話しても咎められなかったらしい。

介護保険で介護用品借りたり、家のリフォームしたりと、まだまだこの時代には広く認知されてなかったのだと思う。

参考になったのはバッグを軽く。中身含めて500gに収まるよう著者はしているそうで、この私も重くて硬いバッグ、普段は持ち歩かないようになった。

家のリフォームは姑様で体験済み。本人は一割負担、残りは介護保険から出るので低額のはずが、見積もり取ったら、夫が材料買って自分でつけた方が安いことが分かり、さっさとつけてしまいました。躯体がコンクリートなので、高くなるのかもしれず、他のお宅のことはわかりませんが。

介護専用の材料ではなく、ホームセンターで木材買い、取り付けは強力な接着剤で。

廊下や階段はこれでよくなったのですが、結局部屋の中で、ふわふわしたコタツ敷につまずいて大腿骨骨折、それから階段を下りて行くようにいろいろな事が悪くなりました。

部屋の手すりは壁際の本棚に取り付けていたのですが、本人はベッドから部屋の出口までの最短距離を歩いていました。

机なんか並べて取りついて歩いてもらえばと私がいくら言っても夫は聞かなかったのです。自分の親がそこまで衰えていると思いたくなかったのでしょう。

やかんの湯をかぶって、冬で厚着していたので大事にはなりませんでしたが、火傷したともあります。

ガスストーブの上に餅焼き網を取り付けて(なくなった姑様の工作)、冬はいつも大きなやかんで湯が沸いていました。危ないとケアマネさんに注意され、私も反対したのですが、これまた夫が大丈夫と高をくくってていたら、よろけて手をついたとか。

その頃は一人で生活、一人で調理もしていたけど、危ないことは前もってやめてもらうべきでしたね。もっと強く言えばよかったと、この本読んでもう一度反省しました。

小さな段差、床に敷いた摩擦の多いもの、ストーブややかんは怪我の元。引き取って我が家で面倒見ればよかったのですが、そこまでなかなか決心がつかなかった。気丈な人だったので、息子の家で遠慮するのも潔しとしなかったのです。想像ですが。

へりくだって、人に助けを求める気持ちも大切とこの本にもありますが、結局は最後はそうですね。

昨日、施設を覗いた夫によると、ご飯こぼしながら手づかみで食べていたそうです。施設では手がかかるので、そうなっても自分で食べさせるようで、夫は「お腹すいたら人間どうやっても食べる」と淡々としていました。

あの姑様がと思うと寂しいけど、長生きすれは誰もが行く道。それでも生きているのはそういう運命だから。いつか私もそうなるかも。

 

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甘酒できました

2020-01-08 | クッキング・ランチなど

昨夜は遅くに保温を止め、80度で5分加熱して発酵も中断。

味は、おかゆ感と麹感が残ってイマイチ。

きょうは一日放置して、夕食後過熱して飲んでみたら、あら不思議。

とってもまろやかな甘酒になっていました。

生姜をすりおろして、いただきまーーーす。

こんな簡単なら、もっと早くから、何十年も前から作るんだった。

子供たちにも食べさせるんだった。残念。

食べる点滴って言うんでしたっけ。甘酒のこと。

カロリー高くて消化が良くて、胃に負担なく栄養取れる。消化能力の衰えた病人にもいいんじゃないでしょうか。

私は病人でないので、何度も味見するうち、ついカロリーオーバー。今朝は体重が増えてたけど、夜には何とか元に戻りました。

子供の頃の実家では、甘酒は10月初めの秋祭りに作っていた。

その季節にどうやって発酵させてたか知らないけど、発酵が進んで少しアルコール分もあったかも。

弟が飲みすぎて、赤い顔して寝てしまったことがあるから。


農文協発行のこの本によると、

秋祭りのお土産として、一升瓶に甘酒入れてお持ち帰り。我が家ではそこまではしなかったけど。

秋祭りのお膳、左下も懐かしい。ちらしずし、揚げもん(天ぷら)、醤油豆、などなど。

鰆の押し寿司は五月、てっぱいは冬に、醤油豆は田植えのあとと決まっていたけど、じゃ代わりに秋祭りには何食べていたか、ちょっと思い出せない。

冷蔵庫のない時代は刺身の代わりにタコを茹でて辛子醤油で食べていた記憶がある。

そうそう、親せきを呼ぶのは年に四回、盆正月に春秋のお祭り、春は市と言っていた。

市にも神社へお参りする。境内に子供相手の駄菓子の店のほかに、鍬や唐鍬の頭などを売る店が出ていた。これから始まる農繁期に供えて?

秋も出てたかな。忘れた。何しろ半世紀以上も前なので。

昔の甘酒はもっとお酒だった。わざと発酵を進めてアルコール分を作り出していたのかもしれない。その作り方は、清酒がまだ贅沢だった時代の名残だったのかもしれない。

母の親戚に甘酒の大好きな男性がいて、お祭りには一升くらい飲んでいたとか。

で、そのせいかどうか、胃悪くして亡くなったそうですが、日本昔話のように教訓の詰まった話ではあります。

次はひな祭りの頃に作りましょうか。

夫が、要らなくなった業務用の保温器くれると言うので次はそれで作ってみます。

昔の甘酒は酵母も精製されてなかったのか、もっと複雑で雑多な味がしたように思う。あの味はもう再現不可能かもしれない。


本日、納税各種。やれやれ。これで一山越してきょうは、あとは休息日。

駅までバスと新幹線のチケット受け取りに行く。

駅のエスカレーターは上がらず、階段を駆け上がる。広い階段は人が少なく、上がりやすい。一段ずつゆっくり上がるよりは駆け上がる方が、勢いに乗って軽く上がれるのですが、くれぐれも人にぶつからないように、転ばないように。

明日は孫が来て、二日に会ってから8日しか経ってないけど、今度はどんな芸を見せてくれるでしょう。

明日に供えて本日は早めに就寝ですね。

 

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甘酒、製作中

2020-01-08 | クッキング・ランチなど

元旦に、海田春日神社でいただいた甘酒がおいしかったので、作ってみます。

買い置きの乾燥麹。一袋200g。

もち米一合を昨夜から水に浸け、午前中におかゆを炊きました。

水を足して60度まで冷まします。

乾燥麹を入れ、混ぜ合わします。

タオルでくるんで保温。

50度以下に下がったら60度に加熱してまた保温。

19時にはこんな感じになりました。

まだ甘みが足りないので、今度は一人用コタツの傍に置き、様子見てみます。

おいしくなるといいけれど~心配。


申告事務三日目。以前は税務署から届ていた申告書各種のうち、総括表は国税庁のホームページから探して打ち出すようになっている。支払調書も同じ。

今や電子申告が主流。紙に書いてチャリンコで税務署へ届けるのは少数派に違いない。気が付くといつの間にか立派な昔人間。

税理士さんに丸投げすれば楽だけど、経費はなるだけ節約。できることは自分で。それで何とかやってきた。

専門教育受けたわけでなく、用語の意味さえ分からないのに、試行錯誤しながら、分からないことは教えてもらいながら何とかやってきた。計算は初めは電卓。パソコンでするようになってとても楽になった。

やれやれ、夢のように過ぎた31年。いつまでやれるか分からないけど、これからもいろんなこと変わっていくはず。ついて行くのに精いっぱい。どこまでやれるかな~と新年早々心細い話になりました。

本日美容院へ。だいぶ長くなったので、きつめにパーマ当ててふんわりと(クシャクシャに)。昨年から美容院替えて、余計なこと言わない人なので助かっている。

姑様施設至近。帰りに寄るつもりだったけど、マスク持ってなくて断念。

明日も仕事頑張ります。

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姑様、施設入所して丸一年

2020-01-07 | 介護

きょうは現在96歳の姑様が施設に入所してちょうど一年の日です。あっという間の一年でした。

それまでは週に4回、通所で介護を受け、一日はヘルパーさんが2回入り、土日は私たち夫婦でお世話していました。

介護度は4、そのまた一年前、部屋で転んで大腿骨頸部を骨折、金属入れる手術とリハビリして3か月後に退院。

家ではベッドに横になって眠っているのがほとんどで、しかも、すぐに行ける隣の家なので、ずっとお世話している拘束感はなく、楽な介護だったと言えると思います。

食事は自分で食べるけど、歩けないのでオシメを当て、それは夫がお世話していました。ビルの四階に住んでいたのですが、あとでつける予定のエレベーターは今に至るまでつけていないので、デイサービスのある日は、夫が介護用の背負い紐で運んでいました。

ケアマネさんは退院後、介護度が4になったところで施設入所を強く勧めてくれましたが、夫が自分で看ると、頑として聞き入れなかったのです。

当時の介護の様子はこうです。

7:40 オシメ替え、汚れていたら服の着替え、食事の世話、歯磨き、うがい。

8:20 施設の連絡ノート確認。替えのオシメと中当てパッド2枚、ノートを入れてバッグの準備。夫が背負って1階まで下ろし、施設の迎えを待つ。

16:00頃帰宅。背負って上がり、ベッドに入れる。

18:30  私の作った食事2人分を夫が運び、オシメ替えのあと、お茶淹れたりして一緒に食べる。私は自宅で一人ごはん(寂しいとは全然思わず好きなところで食べていた。リビングの座卓で大きいテレビ見ながら食べるのが、温泉旅館みたいでくつろいだ。あれ取ってこれしてと言われず、一人でゆっくり食べてよかった~)

食後の歯磨きは毎食後。

22:00頃、最後のオシメ替え。

週に一度ヘルパーさんが入る日は、9:00からオシメ替え、朝食の世話、歯磨き。洗濯機で洗濯開始。台所の流し台の掃除。

12:00からオシメ替え、私の作った昼ご飯を食べてもらい、その間に洗濯物を干す。歯磨き。

夜は通所の日と同じスケジュール。

土日は三食夫が世話。オシメ替えは4回。洗濯は私か夫のどちらかがする。

夫が夜の会合や、土日の用事の時は私が一部を替わっていた。

一番緊張したのは、ベッドからキャスター付きの椅子に移すとき。落としたら、本人は立てないので女ひとりではどうしようもない。幸いそんなことはなかったので良かったけど、筋力のない体はたとえ40キロでも砂袋のようにずしりと重い。よく持てていたなと今になれば思う。

コツは脚の間に自分の太ももを差し入れ、体をこちらに倒して、自分の体全体で移動させること。腕の力だけでは到底無理です。

10キロの米袋4つ、重ねて手で持ち上げるのはどう考えても不可能。それと同じこと。

夫と二人でお世話している時には、あれこれ言い合う余裕もなく、ケンカしたところでお世話はあるのなら、お互い気持ちよくしたいと思っていた。

人に夫がオシメ替えすると言うと、皆さん驚いていた。そこまでする男性はいないと。夫は仕事柄、人の世話は慣れている。便秘気味で週に一度の浣腸、とその始末。それでも出ないときは摘便(薄いゴム手袋嵌めて手で取りだす)していました。私は現場へ行ったことありません。後で話聞くだけです。一緒にすると言えば拒まれなかったと思うけど、夫は一人でしていました。

こうして書いてみたら、私の介護なんて、介護とも言えない楽なものだったと気が付きました。お世話したことで、自分の老後のことも具体的に考えられるようになったし、人の役に立っているいう気持ちいい体験をさせてもらったので全然悔いはありません。

昨年の1月6日日曜日夕方、夫が作りためたスピーカーボックスをお正月の間に壊してゴミに出す準備していて、重いものを持ち運びするうち、ひどいぎっくり腰になったのです。全然腰が動かせず、その日は私がオシメ替え、食事の世話は夫がした記憶があります。

ケアマネさんに相談したら、ショートで入れる施設を紹介され、翌朝、施設の職員さんが姑様を運び下ろし、とりあえずの着替えと歯ブラシ、コップだけ持って家を後にしました。

二週間の予定が夫の腰痛は回復せず、二か月後にはショートステイから特養枠で介護を受け今に至る。

と言うのがこの一年のあらましです。

初めは気になって、週に三度くらい見に行ってました。徒歩で15分くらいの施設なのです。家で看ていた時から軽い脳梗塞を何度か繰り返してものが言えなくなっていましたが、私たちの姿を見ると泣きそうな顔をするので、帰りたいのかなとも思っていました。

夫は一度家に連れて帰りたいと言っていましたが、それも無理だと悟り、せめてなくなったら通夜は家でしたいと言ってましたが、棺桶、どうやってビルの四階まで運ぶの、斜めにしたらお母さんがずれる、通夜のお茶出し、近所に頼む時代じゃないし、と私が反対し、諦めたようです。エレベーターだって縦に入れるわけに行かないですもんね。

ああ、長くなった。

長い私の人生の中で、姑様の大変なお世話はわずか一年間。今ではいい経験させてもらったと思えるようになった。

その只中にいる時は、いつまでこんなことが続くのかと閉塞感一杯。夫親族がたまに来ても私のことは全く無視、空気のような扱い。母親囲んで話している時は、その場に加わるのも遠慮しないといけない無言の雰囲気。

悪気ではなく、その立場にならないと分からないのだと思う。かつての私のように。ここは大いに反省しています。感謝は言葉に出さないと相手に伝わらない。

昨年の今頃、たった一言、夫親族から「お世話になってます」と言われたらもう少しは頑張れたと思うけど、夫から「いつもすまんのお」とシャボン玉ホリデーの植木等みたいに言われたら(古ッ!!)する気も持続したと思いますが。

頑張れたのはヘルパーさんとケアマネさんのいたわりの言葉、実母の「あんたが一番大変」という娘びいきの言葉、それに役に立てていると思うささやかな喜びと、時たま見せる姑様の無垢な笑顔。それだけかな。

夫は腰が治ったらまた家で自分が看ると言っていましたが、「私はもう知らない。私がしても自分がお世話したと思っているかもしれないけど、私とあなたは別の人間。感謝されたらするけど、誰からも感謝の言葉がないのでもうしない」と言いました。

たった一年しかたってないのにずいぶん昔の気がする。

一度、私の料理をわたしの親を引き合いに出してけなされたことは未だにとても悔しい。義妹が来て作ったもの食べて、自分の親の作ったのに似ていたので嬉しかったそうです。

そのことは三度くらい強く抗議しましたが、そのたびに何のかんのと言い逃れして、いまだに頭を下げません。

私の母は料理はとても手早い。それは農家で、ゆっくりつくる時間がなかったからだと思います。冠婚葬祭に春秋の親戚を呼んでのお客、大量の料理も手早くやっていました。手先はとても器用で、和裁は呉服屋の仕立てしていたし、子供の頃は私の服は全部は母が縫っていました。

それをあれこれ言われて、その時うんと言い返していればよかった。いまだに悔しい。まあ自分の中で折り合い着けてますけどね。

実にいろいろな教訓の詰まった介護生活でありました。以上。

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「月下の恋人」 浅田次郎

2020-01-06 | 読書

 


今世紀初め、オール読物に掲載された11編の短編集。

この作家らしい、ちょっとした人情の機微に触れる出来事、運命に翻弄される人の戸惑いなどが描かれる。

作品はどれも短いけれど、終わり方に余韻があり、読んだ後では知らない人の知らない人生に触れてちょっと世間やものの見方が広くなった気がする。

その心地よさがこの小説群の美点かと思う。

今朝から申告に向けて仕事開始。はかどらず。エクセルファイル、一部、保存したのが見当たらないところで本日分の根気、切れる。

残りは明日以降に。やれやれ。

 

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暖かい毎日

2020-01-05 | 日記

午後から出かける。

一月とも思えないいいお天気。

袋町小学校となり、もう沈丁花のつぼみが。日ごとに兆す春の気配。

マルセルジュノーはアメリカ人。広島の原爆被災後、大量の医薬品を携えて広島入りした人道主義者。広島の恩人。

記念する広場が袋町小学校に隣接してあります。

冬物バーゲン覗いたけど、特に欲しいものもなく、久しぶりに食器の店へ。

食器もたくさんあるのでもう増やしたくないけど、古いのは捨てて新年に新たな気持ちになりたいもの。

普段使いのカジュアルなマグカップ、二客買いました。

ポップなデザイン。たまにはこんなものも。


いよいよあすから仕事が忙しくなります。焦らず、怠けず頑張りましょう。

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