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「日本の伝統」という幻想

2021-03-04 | 読書

20年以上前に読んだ上野千鶴子著「近代家族の成立と終焉」の中で、すべての時代を貫く伝統というものはない、前の時代の都合のいいところを出してきて、伝統という名で利用しているに過ぎない…という意味のことがあった。

その時はなるほどと膝を打ったわけです。家族制度も時代によって変わり、そもそも家族という言葉の意味も時代とともに変化していると最初に問題提起していたと思う。

先日、夫が読んでいた、鉄道会社が作った初詣みたいなタイトルの新書があった。そもそも昔はお正月に神社にお参りなんかしてなかったそうで、鉄道会社が観光のオフシーズンに「電車に乗って初詣」のキャンペーンを始めたとか。

伊勢神宮、川崎大師や成田山新勝寺、あと全国のいろいろな神社へ鉄道を利用して初詣するのは大正頃から・・・うろ覚えですが、の割と新しい伝統。 


この本でも、昔からの習慣と何となく思っていることの多くが、案外新しく始まったものであると解き明かしている。

なぜそんなことが起きるかというと、商売のタネにするため、または昔からの伝統と言って人に言うこと聞かせるため。何かしらのメリットがあって前の風俗習慣から都合がいいところを取り出し、利用しやすいようにアレンジしたもの。それが伝統の実態と言われると、なあんだと拍子抜けするというものである。

この本の結論は「日本古来の伝統」と言われるものは変えていい。「昔からそうやって来た」かどうかは不明。「伝統的な文化・しきたり」は絶えることがある、それを今楽しむだけでいいのではと、うまくまとめてくれている。

分かりやすくて、ものの見方が風通しがいい。気にしなくていいということでしょう。


さて、この私も長く生きてきたので、その間にも「伝統」は激変したと思う。まずは冠婚葬祭。カジュアルに、簡素になったと思う。

初詣、実家では全然したことなかったのですが、結婚する前、広島へ遊びに来て初めてお正月に護国神社へ行くと、女性はほとんど着物着ていました。50年位前です。私は着てなかったけど。小紋、中には訪問着の人も。その頃は自分で着物が着られる。着られなかったら家族が着せる。それが普通だったのでしょう。

40年くらい前の姑様の着付けの本見たら、若いミセスは紅絹裏の留めそでがいいとか、名古屋帯も角出しのいろいろな結び方があって驚きました。伝統と思っているものも激変する。

この本では触れていませんが、近代の統一国家を作る要に、古代からの天皇制をリニューアルして持ち出したのは日本的特性。天照大神から続く万世一系って、戦前は学校で教えていたんですよね。天皇家はずっと神道と私はある時期まで思っていましたが、近世以前は仏式で葬儀を営み、泉涌寺が担当でしたよね。嵯峨の二尊院にも宮中の法事に行くときの駕籠というものが展示されていました。

頭を柔軟に、歴史の中で作られたもの、自然発生的にできたものも、時代と暮らしに合わなければ、変えていく、変わっていくでいいのでは。

普通の庶民がストレスなく暮らせる世の中が一番いいのではと思います。

コメント (2)
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