この日の夕食は、18:00~、私たちがホテルに着いたのは、16:30頃だったので、少し休んで、お出かけすることにしました。
2日目は、朝から13:00までがフリーということなので、(希望者はオプションで、市内観光に連れて行ってくれるそうですが・・・)私は、その半日で、「長町 武家屋敷跡とせせらぎ通り散策」という計画を立てていました。
夜、時間があったら「主計町(かずえまち)」と「ひがし茶屋街」の街並みを見てみたいとも思っていましたので、フロントで伺ってみることにしました。
「長町 武家屋敷跡とせせらぎ通り散策」は、1時間あれば大丈夫、夜の主計町とひがし茶屋街は、普通の街灯くらいしかなく、お茶屋さん以外のお店は閉まっていること、「兼六園」はライトアップされていて、歩いて行けることなど親切に教えて頂きました。
そこで、計画変更、夕食前に「長町 武家屋敷跡とせせらぎ通り散策」に出かけることにしました。
薦(こも)かけされた土塀
『 薦かけ
薦かけは、雪から土塀を保護するもので、浸透した水分の表敬津による土の剥がれを防いでおり、毎年12月から翌年3月まで、設置され、”金沢の冬の風物詩”となっています。』(案内看板より)
大野庄用水、石垣、薦かけされた土塀、雪つりなど、”金沢”の風景
『 大野庄用水
【延長】約10.2km
【完成年】不明
【成り立ち】灌漑、物資運搬、防火、防御、融雪などの多目的用水だが、金沢城築城に大きな役割を果たしたと伝えられている。旧宮腰(金石港)から大量の木材を運ぶために造られたことから、御荷川(または鬼川)と呼ばれていた。ちなみに、当時、木倉町には木材集積所や材木蔵があり、ここで資材を荷揚げし貯えていたと思われる。旧戸板村・旧鞍月村・旧大野村・旧金石町を灌漑している。
【現在】犀川桜橋の上流右岸地点で取水している。長町武家屋敷周辺では土塀沿いを流れ、その流れは今でも屋敷内庭園の曲水に利用され、時折、ホタルも見かけられる。また用水沿いの縁台に鉢植えを飾っている家もあり、その風情は金沢の伝統景観そのものである。』(金沢市ホームページより)
完成年は、不明とあるが、別の資料によると、
『金沢で最も古い用水で、天正年間(1573~92)に富永佐太郎によって完成したと伝えられています。』とある。なあんと400年以上前に造られていたことになります。現在も悠々と流れる水に豊かさを感じます。
武家屋敷跡 黄昏時 中級武士たちが、今でも住んでいそうな雰囲気。
武家屋敷跡「野村家」 残念ながら16:30までなので、内部は、見学できませんでした。
このあたりを西に向かい、「鞍月用水」に沿って夕暮れの「せせらぎ通り」を歩きます。
『 鞍月用水
【延長】約14.6km
【完成年】正保年間(1644〜48)
【成り立ち】名前の由来は、鎌倉時代から室町時代に存在した鞍月庄にもとづいている。藩政初期の正保年間(1644〜48)に改修されたという記録が残っているが、いつ頃から流れているのかは定かではない。水力を利用して菜種油を採る目的や灌漑用に造られたらしいが、当初は水量も少なかったため、犀川に堰(油瀬木の名が残る)を設け水量を豊富にしたと伝えられている。その後、一部区間は金沢城の外堀(西外惣構堀)に利用された。明治に入ると、油車町周辺では油絞りに代わり、精米・製粉用の水車が増加。昭和初期までその姿が多数見られたという。また、里見町と柿木畠の境には、用水を利用して軍用の旗や指物を染めていた茜屋があり、橋名の由来となった。さらに明治〜大正期に、中央小学校近辺では、当時全国第二の規模を誇った金沢製糸場の原動力として利用されていた。その後も、撚糸・機業・精錬業など近代工業に不可欠な存在だった。旧戸板村・旧鞍月村・旧弓取村を灌漑している。
【現在】犀川上菊橋の上流右岸、城南2丁目地点で取水している。平成5年、柿木畠界隈では開きょ化・ポケットパーク整備が完了し、平成11年、香林坊〜高岡町間で、開きょ化・私有橋の整理が行われるなど中心市街地に潤いとにぎわいがよみがえりつつある。』(金沢市ホームページより)
お店に入っていく橋が同じなので、統一感のある景観になっています。
武家屋敷跡に続く道 こちら側が現在、進むと江戸時代にタイムスリップ?
「せせらぎ通り」 ネーミングも素敵ですね。
大きな交差点(109のビルがありました)まで戻ってきました。
暖かい光に包まれる赤レンガの建物 「石川四高記念文化交流館」
金沢のメイン通りかな? 香林坊あたり
ホテル近くのお店屋さん 鞍月用水沿いになるのかな?
「大野庄用水」沿いの武家屋敷跡、「鞍月用水」沿いのせせらぎ通り、過去と現在(少しレトロな雰囲気)、そして109などのビルの立ち並ぶ風景、どの風景もここで暮らす人々の日常です。
武家屋敷の中や尾山神社を見学できなかったこと、せせらぎ通りで是非見てみたかった建物を見ることができなかったことなど、少し心残りでしたが、早めに切り上げてホテルに戻ることにしました。(kaoも私も遅刻が苦手なので・・・。)
つづく
2日目は、朝から13:00までがフリーということなので、(希望者はオプションで、市内観光に連れて行ってくれるそうですが・・・)私は、その半日で、「長町 武家屋敷跡とせせらぎ通り散策」という計画を立てていました。
夜、時間があったら「主計町(かずえまち)」と「ひがし茶屋街」の街並みを見てみたいとも思っていましたので、フロントで伺ってみることにしました。
「長町 武家屋敷跡とせせらぎ通り散策」は、1時間あれば大丈夫、夜の主計町とひがし茶屋街は、普通の街灯くらいしかなく、お茶屋さん以外のお店は閉まっていること、「兼六園」はライトアップされていて、歩いて行けることなど親切に教えて頂きました。
そこで、計画変更、夕食前に「長町 武家屋敷跡とせせらぎ通り散策」に出かけることにしました。
薦(こも)かけされた土塀
『 薦かけ
薦かけは、雪から土塀を保護するもので、浸透した水分の表敬津による土の剥がれを防いでおり、毎年12月から翌年3月まで、設置され、”金沢の冬の風物詩”となっています。』(案内看板より)
大野庄用水、石垣、薦かけされた土塀、雪つりなど、”金沢”の風景
『 大野庄用水
【延長】約10.2km
【完成年】不明
【成り立ち】灌漑、物資運搬、防火、防御、融雪などの多目的用水だが、金沢城築城に大きな役割を果たしたと伝えられている。旧宮腰(金石港)から大量の木材を運ぶために造られたことから、御荷川(または鬼川)と呼ばれていた。ちなみに、当時、木倉町には木材集積所や材木蔵があり、ここで資材を荷揚げし貯えていたと思われる。旧戸板村・旧鞍月村・旧大野村・旧金石町を灌漑している。
【現在】犀川桜橋の上流右岸地点で取水している。長町武家屋敷周辺では土塀沿いを流れ、その流れは今でも屋敷内庭園の曲水に利用され、時折、ホタルも見かけられる。また用水沿いの縁台に鉢植えを飾っている家もあり、その風情は金沢の伝統景観そのものである。』(金沢市ホームページより)
完成年は、不明とあるが、別の資料によると、
『金沢で最も古い用水で、天正年間(1573~92)に富永佐太郎によって完成したと伝えられています。』とある。なあんと400年以上前に造られていたことになります。現在も悠々と流れる水に豊かさを感じます。
武家屋敷跡 黄昏時 中級武士たちが、今でも住んでいそうな雰囲気。
武家屋敷跡「野村家」 残念ながら16:30までなので、内部は、見学できませんでした。
このあたりを西に向かい、「鞍月用水」に沿って夕暮れの「せせらぎ通り」を歩きます。
『 鞍月用水
【延長】約14.6km
【完成年】正保年間(1644〜48)
【成り立ち】名前の由来は、鎌倉時代から室町時代に存在した鞍月庄にもとづいている。藩政初期の正保年間(1644〜48)に改修されたという記録が残っているが、いつ頃から流れているのかは定かではない。水力を利用して菜種油を採る目的や灌漑用に造られたらしいが、当初は水量も少なかったため、犀川に堰(油瀬木の名が残る)を設け水量を豊富にしたと伝えられている。その後、一部区間は金沢城の外堀(西外惣構堀)に利用された。明治に入ると、油車町周辺では油絞りに代わり、精米・製粉用の水車が増加。昭和初期までその姿が多数見られたという。また、里見町と柿木畠の境には、用水を利用して軍用の旗や指物を染めていた茜屋があり、橋名の由来となった。さらに明治〜大正期に、中央小学校近辺では、当時全国第二の規模を誇った金沢製糸場の原動力として利用されていた。その後も、撚糸・機業・精錬業など近代工業に不可欠な存在だった。旧戸板村・旧鞍月村・旧弓取村を灌漑している。
【現在】犀川上菊橋の上流右岸、城南2丁目地点で取水している。平成5年、柿木畠界隈では開きょ化・ポケットパーク整備が完了し、平成11年、香林坊〜高岡町間で、開きょ化・私有橋の整理が行われるなど中心市街地に潤いとにぎわいがよみがえりつつある。』(金沢市ホームページより)
お店に入っていく橋が同じなので、統一感のある景観になっています。
武家屋敷跡に続く道 こちら側が現在、進むと江戸時代にタイムスリップ?
「せせらぎ通り」 ネーミングも素敵ですね。
大きな交差点(109のビルがありました)まで戻ってきました。
暖かい光に包まれる赤レンガの建物 「石川四高記念文化交流館」
金沢のメイン通りかな? 香林坊あたり
ホテル近くのお店屋さん 鞍月用水沿いになるのかな?
「大野庄用水」沿いの武家屋敷跡、「鞍月用水」沿いのせせらぎ通り、過去と現在(少しレトロな雰囲気)、そして109などのビルの立ち並ぶ風景、どの風景もここで暮らす人々の日常です。
武家屋敷の中や尾山神社を見学できなかったこと、せせらぎ通りで是非見てみたかった建物を見ることができなかったことなど、少し心残りでしたが、早めに切り上げてホテルに戻ることにしました。(kaoも私も遅刻が苦手なので・・・。)
つづく