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信州一人(途中から二人)旅  その3 ( 上田 町歩き 海野町 )

2012-08-13 12:58:46 | 不思議紀行
 上田駅前から松尾町をゆるやかな坂道を上がっていきます。
この日まで七夕まつりを開催中の「海野町」をぶら~り歩くことにしました。

 上田城下町の形成
『天正11年(1583年)真田昌幸は、上田城を築くと同時に城下町づくりに取りかかりました。現上田市街地の上田城下町の始まりです。
 上田の場合、城の周辺に侍町ができ、その外側に商人・職人町がつくられました。そしてその中核となったのは、今でも上田の中心街として存在する海野町(うんのまち)と原町(はらまち)です。
 真田氏がその祖先としている海野氏の本拠地海野郷(現東御市本海野)と真田氏の居館通称「御屋敷」のあった原之郷(現上田市真田町本原)、真田氏に縁の深いこの地の人々を城下へ移住させて、中心街をつくったのです。また海野町、原町に続いて、鍛冶町、紺屋町ができ、両町ともに、本海野から、鍛冶職人および紺屋職人が移されました。
その後、横町、田町、本町、柳町という、城下の町人町が整備されていきました。』(上田観光課 幸村の浪漫絵図より)



     
     海野町は、七夕まつり、最終日。


     
     高市神社

 <御祭神> 大国主神・事代主神
  この社に祭祀される御両神は福の神の代表とされます恵比寿様大黒様でございます。
 <御神徳・御利益> 商売繁盛・男女結縁・家内安全・無病息災・交通安全・受験合格(案内看板より)


          
          真田親子が九度山より勧請したといわれる 運の石(海野石?)

『海野にまつられております白鳥神社より霊力宿る石を授かり、町の神としておまつりしたのが、この神社の御神体の霊石です。
  御神体には直接触れていただくことはできませんので、この度、真田昌幸公、幸村公雌伏の地、高野山のふもと、九度山よりゆかりある神石をお移しし「運の石」としておまつりいたしました。
   霊石を 右から左(陽の東から陰の西)へなでれば、悪運をはらい
       左から右(陰の西から陽の東)へなでれば、良い運が開け、
輝かしい未来が約束されるといわれております。
  御神体の霊力をお移ししました「運の石」をなでて悪運を払い良運を授かってください。(案内看板より)


     
     森鴎外も宿泊したという 旅館 上田館跡



     
     流しそうめん大会? 子供たちが楽しそうでした・・・。


     
     六文銭と真田の赤い兜 


 海野町の元、「海野宿」には、2年ほど前、家族で訪れています。「海野宿」の様子を見てみた~いという方は、以前のご紹介のページを見てね。

 実は、今回、上田市を訪れたいと思ったのは、大好きな森雅弘氏の本以前のご紹介のページの影響かな?

                                              つづく


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