先日、見逃した”三嶋神社”の”力石”も、ちょこっと寄って見てきました。
とても大きくて重そうです。
「北条水軍妻良衆の力石 重さ二八〇瓩
戦国時代、伊豆を平定した北条早雲の傘下に入った妻良衆は、村田一之助を頭領に仰ぎ、北条家中でも屈指の水軍であった。
彼等は、北条氏治世一〇〇年の中で伊豆衆と呼ばれ、その豪勇ぶりはつとに有名であった。
その勇士達が、平素身体鍛錬のためにかつぎ、差しあげたのがこの石で、その名も力石と名づけられ今日まで伝えられている。
特に、北条氏と豊臣氏との戦雲急な頃、妻良衆の一人小関加兵衛は、伊豆沖にて敵の斥候一人を捕らえ、北条氏直から感状を贈られ、その武勇を賞讃されたのであるが、この人などは、この石をいとも軽々と差し上げたと伝えられている。」
(境内案内板より)
それにしてもこんなに大きな石と案内板を見落とすとは・・・。どこまで狛犬に夢中なんだか・・・?
近くに置かれていた石
これも持ち上げ易そうなので、もしかしたら力石だったのかも・・・? きちんとしておかないといつのまにか神社の隅に押しやられて、普通の石としてしか存在できなくなってしまうのかもしれないと思いました。
この神社の詳細をご覧になりたい方は、いぜんのご紹介のページを見てね。
とても大きくて重そうです。
「北条水軍妻良衆の力石 重さ二八〇瓩
戦国時代、伊豆を平定した北条早雲の傘下に入った妻良衆は、村田一之助を頭領に仰ぎ、北条家中でも屈指の水軍であった。
彼等は、北条氏治世一〇〇年の中で伊豆衆と呼ばれ、その豪勇ぶりはつとに有名であった。
その勇士達が、平素身体鍛錬のためにかつぎ、差しあげたのがこの石で、その名も力石と名づけられ今日まで伝えられている。
特に、北条氏と豊臣氏との戦雲急な頃、妻良衆の一人小関加兵衛は、伊豆沖にて敵の斥候一人を捕らえ、北条氏直から感状を贈られ、その武勇を賞讃されたのであるが、この人などは、この石をいとも軽々と差し上げたと伝えられている。」
(境内案内板より)
それにしてもこんなに大きな石と案内板を見落とすとは・・・。どこまで狛犬に夢中なんだか・・・?
近くに置かれていた石
これも持ち上げ易そうなので、もしかしたら力石だったのかも・・・? きちんとしておかないといつのまにか神社の隅に押しやられて、普通の石としてしか存在できなくなってしまうのかもしれないと思いました。
この神社の詳細をご覧になりたい方は、いぜんのご紹介のページを見てね。