今から20年前、WindowsNTが出た。
ちょうど花王で販社の基幹システムを作ろうとしていた舛巴(ますとも)さんは、これだ!と飛びついた。
メインフレームからの脱却、ダウンサイジングの流れの中、舛巴さんは、NTでACSESSとSQL-Serverで作り、現場サイドですべて運用することを考えた。
現場の上司は予算内に収まるならOKということになった。
上司の奥野さんがそれを支持してくれ、情報システム部長を説得してくれた。
プロジェクトがキックオフした矢先、部長が異動となり、上司が替わった。
そんな時期プロジェクトは悪戦苦闘していた。
そんな様子を見ていた舛巴さんと奥野さんたちの上司は、悲鳴を挙げて、おまえら何をしているんだ!失敗したらどうする!と迫った。
お二人は「首を覚悟でやりますから、やらせてください」と懇願した。
すると上司は「お前ら二人の首じゃ足らん!」と叫んだ。
それでも強行して、大成功した。
世界初だった。
この話題はマイクロソフト本社にも聞こえ、当時のマイクロソフトの副社長が花王を訪問したという。
1980年から90年前半にかけて、日本の大企業は、若者が大活躍した。
夕べは奥野さんが定年退職ということで、慰労会。
なぜか私がここにいる。
ちょうど花王で販社の基幹システムを作ろうとしていた舛巴(ますとも)さんは、これだ!と飛びついた。
メインフレームからの脱却、ダウンサイジングの流れの中、舛巴さんは、NTでACSESSとSQL-Serverで作り、現場サイドですべて運用することを考えた。
現場の上司は予算内に収まるならOKということになった。
上司の奥野さんがそれを支持してくれ、情報システム部長を説得してくれた。
プロジェクトがキックオフした矢先、部長が異動となり、上司が替わった。
そんな時期プロジェクトは悪戦苦闘していた。
そんな様子を見ていた舛巴さんと奥野さんたちの上司は、悲鳴を挙げて、おまえら何をしているんだ!失敗したらどうする!と迫った。
お二人は「首を覚悟でやりますから、やらせてください」と懇願した。
すると上司は「お前ら二人の首じゃ足らん!」と叫んだ。
それでも強行して、大成功した。
世界初だった。
この話題はマイクロソフト本社にも聞こえ、当時のマイクロソフトの副社長が花王を訪問したという。
1980年から90年前半にかけて、日本の大企業は、若者が大活躍した。
夕べは奥野さんが定年退職ということで、慰労会。
なぜか私がここにいる。