クリスチャン新聞に先生のことが大きく取り上げられていました。
先生は、今から22年前まで中国にいました。
田中角栄元首相が、国交回復のため中国を訪問したとき、そこでチェロの演奏するような神童でした。演奏旅行のために、国が飛行機のチャーター便を用意してくれたほどだったようです。
しかし、時代は天安門事件の2年前。音楽に人生を託すことができないと判断をせざるを得ない状況になってきました。
先生はチェロを諦めたのです。
日本に行ってコンピュータか経済学を学ぼうと決めて、日本語もままならないのに、憧れの日本にやってきました。
まずは日本語を学ばねばなりません。
新大久保にあるシェル石油のガソリンスタンドで、夜の1時から朝8時まで、150台近い車の洗車をして生活費を稼ぎ、日本語学校に通いました。
中華料理店でも働きました。
24時間一睡もしない日も多かったそうです。
なかなか日本語も上達せず、蓄えも底をつき、中国に帰ることも考えたましたが、負け犬として帰るしかなく、とてもそれはできないと思いました。
そんなみじめな生活をしているとき、ふと東京交響楽団の練習場を見つけました。
新大久保に練習場があったのです。
中国にいたとき上海交響楽団に属していて、姉妹関係にあったのが東京交響楽団でした。
「自分は何をしているのだろう。音楽をやりたい!」
今の自分と、チェロを担いで練習場に出入りする楽団員とのギャップの深さに、惨めな思いをしたそうです。
そんな時、紹介してくれる人がいて、キリストの教会へ行くようになりました。
みんなとても親切で、救われたそうです。
そして、あなたにはチェロがあると言われ、求められるままチェロを弾き、教会の人たちが喜ぶのを見て、音楽の素晴らしさを知ったそうです。
中国にいるときは、技巧を極め、失敗しないことに注力していたのに、初めて音楽は素晴らしいと思ったそうです。
感動してくれる人がいると、これまでできなかった表現力も自然に備わり、神の栄光のために弾いているという気持ちと、奉仕の精神が身についてきました。
素敵な奥様とは、ここで知り合ったのでしょうか?それはまだ聞いていません。
ともあれ、そんなことがあってから芸大の先生の前で弾く機会に恵まれ、明日からおいでという感じで、授業料も免除されて芸大の大学院も卒業でき、晴れて東京交響楽団に入団することができたのです。
黄原先生の「鳥の歌」を聴いたら、もうたまりません。
一度お願いしてレッスンのとき弾いてもらいました。
私は、取り乱しそうになってしまいました。
そんな素晴らしい先生ですが、私とは友達みたいです。
しかし、チェロがんばらねば。。。