今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

またぎっくり腰に(涙)~一日即一生 

2019-06-14 07:13:55 | 暮らし

五月の爽やか陽気のせいか、体調は万全ではないのに、家事は驚くほど順調に捗っています。

この調子、この調子、と気分を良くしているところに、また「魔女の一撃」が襲いました。

「魔女の一撃」、と言えば、お分かりの方がほとんどでしょう。

そうです。

ぎっくり腰です。

 

お風呂上がりで、就寝の準備をしているときのことでした。

床の上にあるものを、取り上げようと腰を曲げた瞬間、キィ~ンと鋭い鈍痛が腰あたりで。

その後、途端に動くことができないほどに、体が不自由に。

 

この場所で起きました。

 

数年前、夫の墓参で、帰広する前々日の朝、同じ症状に見舞われて以来のことです。

その時は、泣く思いで、準備した新幹線の往復切符をキャンセル。

次女が緑の窓口まで足を運んでくれました。

 

ぎっくり腰は、年寄りにかかわらず、若い人も、突然見舞われることがあるようですね。

ですから、魔の一撃などといった名称が付くのでしょうか。

 

妹は過去に重症のぎっくり腰となり、玄関のところで、旦那様が帰宅するまで一歩も動けなくなったとのこと。

倒れたままの状態でいたそうです。

帰宅し、それを見た義弟は、仰天。

死んでいるように見えたのでは、とその時のことを思い出し、笑っていました。

 

私も前回は、かなりひどい症状で、通い始めたばかりの整骨院まで、妹に車で送り迎えしてもらいました。

今回は幸いにも軽く、私の処置が良かったのでしょうか。

回復も早く、数日後には、すっかり痛みが無くなりました。

折角良いリズムで働けているのに、ぎっくり腰で中断してしまうのはあまりに情けない事。

ですから、恐る恐る入浴して、腰を温め、鎮痛剤のシップをペタペタ張りました。

そして、「早く良くなりますように」と祈りながら、そっと床に就いた私です。

 

 

このような症状に陥ると、夫がいるときは、クリニックまでの往復タクシー利用は当たり前のことでしたが。

今はそれさえ無駄な支払いと思ってしまう私です。

今回は妹にも頼らず、バスで、整骨院まで往復しました。

随分逞しくなったものだ、と変な関心を自らにしています。

 

今では腰痛もすっかり治り、脊柱管狭窄症の症状も軽くて済んでいます。

快方が速いのは、恐らく整骨院の施術のお陰でしょう。

先生、さまさまの私。

もうすぐ通い始めて二年になりますが、一週間に一度の通院は、休んだことがほとんどありません。

体調を壊しでもして、通えなくならない限り、この施術は受け続けようと思っています。

 

 お花が無くなり、緑ばかり。
色と質感が違うので、
それでも雰囲気が良い花壇になってきました。

 

 

いつまで自力で歩行できるか、常に心の片隅で不安に思っている私ですが。

でもこれは、神様のみぞ知る領域。

くよくよ先のことを心配しても、良いことは何もないので、今日を精いっぱい誠実に生きることのみ考えて過ごすつもりです。

 

最近、「一日即一生」という言葉が目に留まりました。

「今日一日を生きることが、一生を生きることと同じことだ」という意味だそうです。

 

年老いた身には、本当に身に染みる箴言だと思いました。

このような気持ちで日々を過ごしたいもの、と願います。

 

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ありがとうございました。

 

 

花のように泉のように

 

 

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