同窓会がとても疲れる理由について、今日は記します。
疲れると言いながら、毎年、東京のミニ同窓会には、常連の一人として、ほとんど出席している私。
この同窓会が発足した理由は、7年前、私が高校時代、親友だったIさんの突然の死です。
ある日、彼女を交えて、7~8人の同窓生が、お食事会をしたそうです。
私はその会には出席していませんでした
ところが、その時はとてもお元気だった彼女が、その二日後に急死なさったのです。
会食ののメンバーだったお一人から、訃報の連絡がありました。
私は、彼女とはとても親しかったので、大変なショックを受けたまま、葬儀に参列したのですが・・・・・・。
その葬儀直後に、彼女を偲ぶ会をすることとなり、葬儀場に隣接する会席料理店に、十数人の同窓生が集まりました。
亡くなったIさんは、ふくよかで華やか。心優しくて上品。
そんな雰囲気のする、とても美しい人でした。
京都で同窓会があった時の、Iさんとの写真です。
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その時、いつも世話好きで明るいH君が、
「いつ僕たちにも、あの世からお迎えが来るか分からない。
今後は一期一会のつもりで、年に一回会いませんか」
との提案がありました。
同席した人たちは、みんな賛成。
この時のメンバーが中心となり、他の同窓生にも声をかけ、ミニ同窓会がその後、東京でも年に二回行われるようになりました。
本当は少しぼかしを入れたいのだけれど、今のパソコンには、その機能がありません。
私がこの会に毎年参加する理由は、大好きだったIさんの面影や思い出を大切に思うあまりかもしれません。
私は、賑やかな集団は苦手な方。
積極的にしゃべることができません。
今の年齢になっても、男性は特に。
身内は、別ですけれどね。(笑)
そうは言いましたが・・・・・・。
今春、同窓生のN君のお別れ会に参列するために、帰省することになった時のこと。
小学生時代、亡くなったN君同様に、母子ともにとても仲良しだったH君から、帰広の前日、声がかかりました。
前の夜、一緒に食事をしませんか、と。
喜んで承諾しました。
このブログでも、以前ご紹介したことがありますが。
郷里の市政の局長として、いろいろな部署で大変活躍された人です。
大学も、夫や娘たちの後輩、先輩に当たられます。
とても教養豊かで、社会経験も豊富。
お話し相手として、こんなに素晴らしく、身のためにもなる方は、そんなにいません。
H君も、私との会話を、とても愉しんでくれているのが、何となく雰囲気から分かります。
静かな環境で、人数が少なければ、男性の方でも私は饒舌になれます。
でも集団になると、静かになってしまう私。
女性の集まりでも、その傾向があります。
本来、私は内気なのかもしれません?
耳の聞こえが怪しくなり始めてからは、益々大勢の方がいる場所は、苦手になってきました。
話が聞き取れません。
話しかけられると、全神経を集中して、それを聴き取ろうとするため、異常に疲れてしまいます。
女性の参加者は、前回とは、かなり異なりますね
ですから、私は同窓会や十数人の集まりの時は、会話に加わらず、にこにこ笑って、聞き役に徹するのが一番気楽。
楽しい雰囲気に浸らせていただいているだけで、出かけた甲斐がある、というもの。
いつもそう思っているのですが、今回は、男性の同窓生が、私のもとにわざわざ寄ってきて、数十分話しかけられました。
聴き取るのが、わたしはやっと。
私も努めて話すようにしましたが、同窓会が終わり、帰宅すると疲労が半端ではなくて。
二日間くらい、体調がすぐれませんでした。
恐らく静かな場所で、このS君とも話せたなら、心から愉しめたでしょうに。
小学校時代、同じクラスだったMさんは、以前はこの同窓会の常連でいらっしゃいましたのに。
最近は欠席がちです。
彼女がおっしゃるには、「相手の人の話が聞こえなくて、最近は苦痛になってきたの」と。
彼女の気持ち、とても、とても理解できます。
次回は、この流れで、補聴器のお話を少しさせていただきますね。
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ありがとうございました。
花のように泉のように