おゝ、何と云ふ華麗な太陽が、此の田舎にあれば我等の頭脳に近づいて来ることであらう。それに、人々を或る程度まで狂気に驅る力のあることは疑ひもない。が然し、既に自分は些かその道に傾かされた。今は只愉快にそれを楽しむのみである。
自分は今半ダースの向日葵を以つて、仕事場を装飾することを考へてゐるが、それは複雑な青の背景に対して濃黄(クローム)の輝調や破調が生き生きとして浮び上る、装飾的な効果になることだらう。最も淡く優美な淡緑色(エメラルド・グリーン)から最上青色(ローヤル・ブリユー)に至るまで順に排列して、それに黄金色(ゴールデン・ヱロー)の細い筋で縁取(へりと)りをする。丁度Gothic(ゴテイク)寺院の窓の様な感じを編み出すことにならう。
あゝ、或る狂人である我々! だが我々の眼は何と云ふ喜びを我々に与へるのだらう。――それ共与へないかしら? それは兎も角、自然は我々の内にある獣性にその復讐を加へるのだ。我々の肉体は憐む可きものである。そして多くの場合恐る可き重荷である。之れは彼(か)のヂヨットー以来常に変らぬ状態である。彼は或る病弱な一個の人間であつた。だが我々は、頭に布を巻き手に調色板を持つた老いたる獅子、レムブラントの歯の抜けた笑ひ声から、何と云ふ喜ぶ可き状景と歓楽とを得ることであらう。
(『エミル・ベルナールに宛てた手紙』 ヷン・ゴオホ 木村莊八譯)