美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

堕落した天使の考え出した愚か(で魔魅的)な手品に取り憑かれないようにするのも中々むずかしい(ホフマン)

2023年01月15日 | 瓶詰の古本

 或る晩皆が集つた時、心霊の作用だの、奇怪な磁気に関する方面の事などに話が弾んだ。遠く離れて居ても心は通じるものだと云ふ色々な実例が持出された。中でも或る若い医者で磁気療法を研究してゐる男は、いくら遠く離れてゐても、一念を凝らしさへすれば催眠術にかゝつてゐる男を自分の意の儘に動かすことが出来る、と弁じ立てクルーゲやシューベルトやバルテルス等の説が引合ひに出された。すると観察の鋭い点を買はれてゐる一人の医学生が云ふには、
「さうですね、一番大切なことは、磁気術と云ふものは、普通何でもないと思つてゐる事柄にもいろいろ神秘なことがあるのを教へるものだと云ふことでせうね。勿論さう迂闊に物を云つてはなりませんがね。しかし、外面から云つても内面から云つても、われわれに少しの関りのないやうな人物のことゝか事件の真相などが、自分でもびつくりするほど明瞭りと判ることがあるのは一体どういふわけでせう。殊に奇妙なのは夢の中での飛躍でね、全く忘れ去つた事が、突拍子もない夢の中ではつきり出て来て、遠い場処や思ひも掛けぬ人に会ふものです。それどころか、数年後に知り合ふ人を、夢に見ることがあつて、『おや、何処かで見た人だが、』なんていふのはこの類ひです。特殊な能力だなんて言ふが、何か思ひもよらぬ刺戟が心に働くのぢやないかしら。何の準備もなく霊気の交流作用が行はれるなんて、普通の人には出来るわけのものぢやないですからね。」
「どうもこれぢやあ、妖精だの、魔法だの、大昔の馬鹿々々しい迷信や想像を信ずるのと大差ないね。」
 と誰かゞ笑つて言つた。
「いや、何もそんなに大昔に限つたものではないですよ。人間の考へることなど、いつの世でも愚かなものです。法律上厳密な確証の上つた事なんかでも頗る怪しいもんでね。心の故郷の様な不可思議な国があつて、其処には盲ひた眼を照す微かな光すらもあるとは思へない、たゞ土龍(もぐらもち)のやうな天性だけがあるのだと思ひますね。暗闇の下を盲滅法に突つ走つてゐるのです。けれど、盲人が木々の葉音で森を知り、水のせゝらぎで小川を知ると同じやうに、霊の息吹でそれと判る神の高鳴る翼音を聞いて、盲ひた眼が開かれる光の源へ辿りついたことがわかるのです。」
「では、われわれには全くわからない或る精神の原理があつて、それが心を左右してゐるといふ訳ですか。」
 僕はその医学生の方を向いて尋ねた。
「えゝ、さうです。さうした精神のはたらきが有ることも可能であれば、またそれは磁気術にかゝつて外に現れた行動とも同じものだと考へてゐますがね。」
「ぢやあ、われわれを破滅させる悪魔の力もあると信じますか。」
「堕落した天使の考へ出した愚かな手品ですか。そんなものにとりつかれちや困る。附け加へて申しますが、僕は或る精神原理が絶対の支配力を持つてゐると云ふのではなく、さう云ふ性質の人も居るし、意志の薄弱と云ふこともあるし、又心の転機(はずみ)でさうなるんですよ。」

(「小夜物語」 ホフマン 石川道雄譯)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« そもそも操り人形が立ち上が... | トップ | 均一台を漁る古本病者にして... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

瓶詰の古本」カテゴリの最新記事