いよいよ七月二十七日は来た、豊前島の一部に場所を選び、その周囲には竹矢来をめぐらし、三方には桟敷をかけ、一方には人の通路として一面の鯨幕をひき、正面の桟敷には、小笠原侯自ら出座あると言ふことで、定紋を染め抜いた幕を又一方の桟敷は加藤家の立会人に充てたもので、こゝには、加藤家の紋のあるもの、今一つの桟敷は、他の諸臣の参観所、何んと言つても達人と達人との立会のことゝて、見物の多い事立錐の余地もない、武蔵はその日の扮装。
水色帳子に、菖蒲革縁取りの野袴を着し、足には小紋の脚絆に切緒の鞋、三條小鍛冶宗近の大刀と、不動國行の小刀を帯てゐた。
さて岸柳はと見れば、薄茶の帳衣に、菖蒲革の野袴、鞋脚絆に、襷鉢巻の用意、腰には朱鞘の大小を厳しくさしてゐた。
いよいよ合図の太鼓が鳴つた、数万の群衆の眼は、武蔵と岸柳にそゝがれた、今や小倉全市は武蔵のために祭礼のごとき有様であつた。
やがて、二人とも両桟敷に目礼がすむと、傍の役人が土器をとつて水を与へる。
それから、厳かに仇討作法の條項を読み聞けらる、そして後、
『双方とも用意整ひたるか』
と尋ぬる声に、二人は恐れ入つてお受けした。
又もや、合図の太鼓がドンと鳴つた。
この時一足退つた武蔵は、
『父無二齋及び師匠、石川巌流の敵覚悟いたせよ』
と両刀ズラリと抜いて身構えた。
『云ふにや及ぶ、何をツ』
と岸流、大剣手にして睨んだ、何といつても達人と達人、一振りを無駄にせぬ。
暫しは気合を計つてゐたが、武蔵はエイと一声斬りこむを、危く岸流身を躱して、ヤツと切りつけた大太刀は武蔵の小鬢をかすめた。
『アレ……』
と思はず見物手に汗を握る暇もなく、岸柳得意の燕返しの術、武蔵、真つ二つに曲斬りされたとおもひきや、武蔵軽く七尺あまりに飛び上がつた。
『しまつた』
と岸柳が叫んで、ワザとかゝらなかつた、武蔵の飛び返す二刀の刃、岸柳の肩先き深く、父の恨みの一刀、師匠の恨みの刀は、脇腹を五寸あまりも切り下げた。
その早業電光よりもはやく、武蔵が岸柳の燕返しの術により切られた袴の裾が、地に落つる時間がなかつた位とか。
『わツ……』
と俄に歎声が湧いて、海神を驚ろかした。
武蔵は恨みの止めを刺し、太守に礼を述べた。
その時、加藤の諸臣が助太刀と騒いだが、有馬と關口彌太郎のために手強い眼に逢はされた上、魚腹に葬られ、反つて恥を豊前島の千鳥の声に残したとか。
(「神免二刀流宮本武蔵」 榎本進一郎編)
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