美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

スヴィドリガイロフは夢の中から現われ、実在の裏口から夢の中へ戻って行った最も忘れがたい人物(メレジコフスキー)

2024年05月01日 | 瓶詰の古本

 偉大なる写実主義者であると共に偉大なる神秘主義者なるドストヱーフスキイは、実在的なものの中に幻想性を感じてゐる。彼から見ると、実生活は、ただ現象に過ぎない。被ひの布に過ぎない。そしてその現象の裏面に、被ひの布の裏面に人間の智慧の到達し得ない、人間の智慧から永久に隠されてゐる何ものかが潜んでゐるのである。だから、彼は故意に夢と現実との間にある境界を滅却してゐるかのやうである。次第に明瞭に生々と描き出されて来るある人物なども、最初は霧の中からか、或は夢の中からでも現はれて来たもののやうである。例へば、街路(とほり)でラスコーリニコフへ『人殺し奴』と言つた一人の見知らぬ町人などがそれである。次の日になると、その町人はラスコーリニコフには何だか幻影か錯覚のやうに思はれるが、やがてまた生きた人物に変つてしまう。スヴィドリガイロフが初めて現はれた時もやはりさうであつた。この半ば空想的な人物は、極めて実在的なタイプのやうに次第に思はれて来るが、かうした人物も夢から、ラスコーリニコフの混沌とした病的な夢想から生れ出たもので、ラスコーリニコフはかうした人物の実在性を余り信じてゐない。それは、丁度神秘的な町人の実在性を余り信じてゐないのと同様である。ラスコーリニコフは自分の友達である大学生のラズウミーヒンに『君はあの男を確かに見たのかね? 明白に見たのかね?――うん、さうだ僕ははつきり覚えてゐる。僕はあの男を千人の人間の中からでも見つけ出して見せる。僕は人の顔については憶えがいいんだ……ふむ……さうだ、さうだ、……』と呟いたかと思ふと、こん度は『実はね、君……あれは妄想かも知れん……ことによると、僕は本当に狂人(きちがひ)になつてゐるために、実は幻影を見たのかも知れん……と、かう僕は思つた。またどうもさう云ふ気がしてならなかつたんだ』とも言つてゐる。

(『ドストヱーフスキイ論』 メレジコーフスキイ 山内封介譯)

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