数多い仕事の計画が彼の心を占めてゐました。殊に、着手し掛つてゐたテルモピレに関する短篇(※)のことを話してゐました。彼は著作をするに当つて、その準備的な研究にあまり時間を使ひ過ぎたことに気が附いて、余世を芸術のために、純粋に芸術のためだけに費さうと思つてゐたのです。形式に対する執着は益々深くなつて来て、或る日、例の烈しい突拍子もない思ひ附から、恁んなことを叫びました。((思想なんてえものはどうだつて構はない!)) さう言つて置いて、直ぐに大声で笑ひ出して、((どうだい、一寸良いだらう? 仲々抒情的な文句だらう。私にも芸術が判り掛けて来たよ))
彼に取つては、真の芸術家が悪人である筈はなかつたのです。芸術家は何よりも先づ観察者であつて、そして観察するための第一の資格は、良い眼を持つといふことでした。若しも眼が偏見に依つて、即ち個人的な利害関係に依つてゐたならば、対象は逃げて行つて了ひます。善良な心には、それだけ智慧が宿ります!
美を崇拝するあまり、彼は恁んなことを言つてゐました。((道徳は審美学の一部分にしか過ぎないが、然しその根本條件にも違ひない))
彼の特に好まない人間が二種類あつて、さういふ人達に対しては彼は苛酷でした。その一つは批評家で、何も生産しない癖に何でも批評する人間です。さういふ人間よりは寧ろ蠟燭屋の方が好ましい位でした。今一つは学問のある人達で、さうした連中は芸術家を気取つて、世の中に愛想をつかし、勝手にヴィーナスを信じてゐるのですが、それは飛んでもないヴィーナスでした。恁ういふ種類の人間の一人に出会ふと、彼は辛辣な返事をするか(自分では、なんにも想像したこともなく、なんにも考へたこともなく、なんにも知らないのだと言つてゐましたが)、さもなくばもつと昂然として黙つてゐるかして、その人に対する軽蔑をぶちまけてゐました。
※註四六 フロオベエルは『テルモピレの戦』といふ短篇を書かうとして、そのため希臘旅行が必要になつたが、財政が之を許さず遂に断念した。
(『追憶』 カロリイヌ・コマンヴィル 北原由三郎譯)