平安時代に白河天皇の勅願により創建されたと伝えられています。当初善入寺と称しましたが南北朝時代に夢窓疎石の
高弟黙庵が復興し、室町幕府二代将軍、足利義詮によって一時観林寺と改名されました。
さらに義詮の没後、その院号、宝筐院に因んで現在の寺名に改められた、以後、足利氏歴代の崇敬を得て栄えましたが
室町幕府の衰亡と共に寺も衰徴していきました。
現在、宝筺院は小さい寺院ながら、もみじで埋め尽くされた庭園を見に新緑と紅葉の時期には特に観光客で賑っております。
清涼寺もそうでしたが、11月に入り冷え込みが足りなかったせいか、色付きは鮮やかさに欠けていると言いましょうか、
昨年よりは劣っておりました。
宝筺院をあとにして、祇王寺に向かいます。
祇王寺は、右京区嵯峨野にある真言宗大覚寺派の尼寺で、祇王・祇女とその母、および仏御前が隠棲した往生院の
跡地にあります。 宝筺院から徒歩で10分の距離にあり、こちらの寺院も小さいながら大変人気があり沢山の観光客の
方で溢れております。平日でこの様子ですので、土日は想像を絶するものと思われます。
現在の祇王寺は、昔の往生院の境内であり、往生院は法然上人の門弟良鎮に依って創められたと伝えられ、山上山下
に亘って広い地域を占めていが、いつの間にか荒廃して、ささやかな尼寺として残り、後に祇王寺と呼ばれる様になりま
した。
あと何日か早い時期に来れば、枯れる前の紅葉が見られたと思いますが、一番いいタイミングを図るのは京都に住んで
おりましても難しいですね。
草庵の中には清盛、祇王/祇女(妹)/刀自(母)/仏御前の像が安置されています。
山門
山門の外側、庭園の中、唯一鮮やかな紅色を出しておりました羽衣紅葉
草庵前のつくばい 誰も使わないのに水が勢いよく出過ぎてましたが、緩める栓が分かりませんでした。
祇王寺の色付きも残念ながら今ひとつでした。
写真は、祇王寺への参道右側にある、檀林寺の土塀です。
祇王寺から化野念仏寺に向かう途中にあるお稲荷さん
ここも途中にある清和天皇陵
こちらは、一般の方の家だと思いますが、とても綺麗だったので失礼をして撮ってしまいました。この道をもう少し歩けば
化野念仏寺です。祇王寺から10分位です。
クリックをお願いします。
高弟黙庵が復興し、室町幕府二代将軍、足利義詮によって一時観林寺と改名されました。
さらに義詮の没後、その院号、宝筐院に因んで現在の寺名に改められた、以後、足利氏歴代の崇敬を得て栄えましたが
室町幕府の衰亡と共に寺も衰徴していきました。
現在、宝筺院は小さい寺院ながら、もみじで埋め尽くされた庭園を見に新緑と紅葉の時期には特に観光客で賑っております。
清涼寺もそうでしたが、11月に入り冷え込みが足りなかったせいか、色付きは鮮やかさに欠けていると言いましょうか、
昨年よりは劣っておりました。
宝筺院をあとにして、祇王寺に向かいます。
祇王寺は、右京区嵯峨野にある真言宗大覚寺派の尼寺で、祇王・祇女とその母、および仏御前が隠棲した往生院の
跡地にあります。 宝筺院から徒歩で10分の距離にあり、こちらの寺院も小さいながら大変人気があり沢山の観光客の
方で溢れております。平日でこの様子ですので、土日は想像を絶するものと思われます。
現在の祇王寺は、昔の往生院の境内であり、往生院は法然上人の門弟良鎮に依って創められたと伝えられ、山上山下
に亘って広い地域を占めていが、いつの間にか荒廃して、ささやかな尼寺として残り、後に祇王寺と呼ばれる様になりま
した。
あと何日か早い時期に来れば、枯れる前の紅葉が見られたと思いますが、一番いいタイミングを図るのは京都に住んで
おりましても難しいですね。
草庵の中には清盛、祇王/祇女(妹)/刀自(母)/仏御前の像が安置されています。
山門
山門の外側、庭園の中、唯一鮮やかな紅色を出しておりました羽衣紅葉
草庵前のつくばい 誰も使わないのに水が勢いよく出過ぎてましたが、緩める栓が分かりませんでした。
祇王寺の色付きも残念ながら今ひとつでした。
写真は、祇王寺への参道右側にある、檀林寺の土塀です。
祇王寺から化野念仏寺に向かう途中にあるお稲荷さん
ここも途中にある清和天皇陵
こちらは、一般の方の家だと思いますが、とても綺麗だったので失礼をして撮ってしまいました。この道をもう少し歩けば
化野念仏寺です。祇王寺から10分位です。
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