旧嵯峨御所 大覚寺(だいかくじ)は、真言宗大覚寺派大本山の寺院で、山号を嵯峨山と称します。嵯峨天皇の信任を得ていた空海が、離宮内に
五大明王を安置する堂を建て、修法を行ったのが起源とされております。開基は嵯峨天皇で、嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院で
あり、また、後宇多法皇がここで院政を行うなど、日本の政治史に深い関わりをもつ寺院としてしられております。
また、嵯峨天皇に始まるという華道嵯峨御流を今に伝える寺でもあります。 こちらの門が表門となり拝観の入口になっておりますが、今日は寺院
東側に広がる大沢池の方だけを回ります。
表門から見る宸殿
寺院を囲むように流れる有栖川
大沢池を回るには、別に拝観料が必要になります。 なお、この時期は夜間ライトアップもなされております。
大沢池の畔に建つ「茶席 望雲亭」の由来は、嵯峨天皇と弘法大師空海が、秋の一日大沢池に船を浮かべ茶を汲み清遊され夕方に空海が山に
帰るにあたり嵯峨天皇が詠まれた漢詩の中より名付けられたと説明されております。
大沢池は中国の洞庭湖を模して嵯峨天皇が築造したものといわれ、当時の唐風文化の面影を今に残す園地は池の北方約100メートルにある
「名古曽の滝」とともに1923(大正12年)に国の文化財として名勝に指定されております。この池の造営は嵯峨院からの傾斜を利用して有栖川の
流れを堰き止め造られた人工の池として知られ、また周辺水田の灌漑用水として重要な役割を果たしてきたことが知られており、平安時代前期の
名残をとどめ、日本最古の庭池と説明されております。
十五夜には、池に屋形船を浮かべ観月の夕べが毎年執り行われております。
五大堂前の鐘楼
五大堂の池を望む舞台
大沢池の北側、放生池を挟んで望む「心経宝塔」
昭和42年(1967年)建立の心経宝塔(多宝塔)
池に見えるのは、蓮の葉です。
護摩堂
大沢池に浮かぶ天神島
聖天堂
弘法大師閼伽井(あかい) この閼伽井は、およそ1200年前、大覚寺が嵯峨天皇の離宮「嵯峨院」であった頃、天皇の命により弘法大師が嵯峨
院持仏堂「五覚院」を建立するにあたり掘られた歴史ある井戸で、大沢池と共に当時と同じ場所に現在いたしております。
閼伽(あか)とは、仏教において仏前などに供養される水のことで、六種供養のひとつとされており、サンスクリット語のアルガの音写で、巧徳水と
訳されております。
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