京の四季 名勝散策 写真集

京都の観光、散策の参考にしていただければ幸いに思います。

嵐山 車折神社 秋紅葉 11/30/2011

2011年12月26日 | 洛西 嵐山・嵯峨野 高雄

      

      車折神社(くるまざきじんじゃ)は、京都市右京区嵯峨にある神社で、その昔は、社名を「車裂」「車前」とも書かれておりました。三条通りを太秦広隆寺

      から車で5分位の位置に建ちます。 写真は、第三鳥居から中門まで長い参道が続いており、駐車場は写真右手奥に30台程停めることが可能です。

      第三鳥居から境内社・芸能神社までの参道の左右には崇敬者が奉納された朱色の石玉垣が連なります。

 

 

 

 

 

      

      第三鳥居の手前右手にある祠は、火の神様である「愛宕大神様」をお祀りする神社です。

 

 

 

 

 

 

      

      車折神社のご祭神には清原頼業公が祀られ、頼業公は平安時代後期の儒学者で、天武天皇の皇子である舎人親王の御子孫にあたり、一族の中に

      は三十六歌仙の一人である清原元輔、その娘、清少納言らの名も見られます。頼業公は大外記の職を24年間も任められ、和漢の学識と実務の手腕

      は当代無比といわれ、晩年には九条兼実から政治の諮問にあずかり、兼実から「その才、神というべく尊ぶべし」と称えられた程だそうです。

      大外記とは、律令制で、太政官(だいじょうかん)に属し、少納言の下にあって、内記(ないき)の草した詔勅の訂正、上奏文の起草、先例の勘考、儀式

      の執行などをつかさどった官職とあります。

       

 

 

 

 

 

      

      頼業公は平安時代末期の1189年(文治5年)に逝去され、清原家の領地であった現在の社地に葬られ、廟が設けられました。やがて頼業公の法名

      「宝寿院殿」に因み、「宝寿院」という寺が営まれました。この寺は室町時代に至り、足利尊氏によって嵐山に天龍寺が創建されると、その末寺となりま

      した。 

       

 

 

 

 

 

             

             また、頼業公は生前、殊に桜を愛でられたのでその廟には多くの桜が植えられ、建立当初より「桜の宮」と呼ば

             れていましたが、後嵯峨天皇が嵐山の大堰川に御遊幸の砌、この社前において牛車の轅(ながえ)が折れたの

             で、「車折大明神」の御神号を賜り、「正一位」を贈られました。これ以後、当社を「車折神社」と称することになり

             ました。車折神社は頼業公のご学徳により学業成就・試験合格はもとより、特に、「約束を違えないこと」をお守り

             下さる霊験あらたかな神様として全国的に強い信仰があります。 

 

 

 

 

 

      

      参道の右手に建つ芸能神社は車折神社の境内社の一社で、昭和32年に他の末社より御祭神・天宇受売命を分祀申し上げ創健した神社です。 天宇

      受売命が芸能・芸術の祖神として古来より崇敬される所以は、<神代の昔、天照大御神が弟である素戔鳴尊の行いを逃れ、天の岩戸にお入りになり

      固く扉を閉ざされたためにこの世が暗闇になった。 その時、天宇受売命が岩戸の前で大いに演舞され、天照大御神の御神慮をひたすらにお慰め申さ

      れたところ、大御神は再び御出現になり、この世は再び光を取り戻した。>という故実にもとづくものだそうです。

 

 

 

 

      

      あらゆる芸能・芸術の分野で活躍する人たちに強い信仰があり、芸名・ペンネーム・劇団等の団名を記した朱塗りの玉垣が境内に2000枚以上奉納さ

      れております。

 

 

 

 

 

      

      石鳥居の先に見える中門 中門から本殿まで参道が続きますが普段は通ることができませんので向って右側の参道を進み、本殿の東側からお入り下

      さい。 

 

 

 

 

 

      

      中門 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

           

     中門前を右手に進みますと、三船祭りで使われる船の舳先に飾る龍と鳳凰のレプリカが飾られております。三船祭は5月14日の車折神社(くるまざきじ

     んじゃ)例祭の延長神事(行事)として昭和御大典を記念して昭和3年より始められたお祭りで、毎年5月第3日曜日に嵐山の大堰川(おおいがわ)におい

     て、御座船・龍頭船・鷁首船など20数隻を浮かべて、御祭神である清原頼業公が活躍された平安時代の船遊びを再現する雅やかなお祭りです。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      参道左手に祀られている石は、説明を見つけることが出来ませんでした。 

 

 

 

 

 

             

             社務所前の五葉松 

 

 

 

 

 

      

      社務所前の手水舎(てみずしゃ)は本殿で参拝する前に手を水で清める場所です。 決して水を飲んだり、うがいをする所ではありませんとの説明です。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

       手水舎の北側の本殿への入口

 

 

 

 

 

 

      

      本殿はご祭神である清原頼業公をお祀りし、当社において最も重要な建物であり、その前に建てられている「拝殿」(はいでん)はご祈祷(特別祈願)や

      神事を執り行う建物です。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      現在の拝殿は昭和63年に新築されたもので、銅板葺・総檜造の建築です。 奥の本殿は宝暦2年(1752年)に造営され、入母屋造・銅板葺総檜造の

      建築です。拝殿(賽銭箱上)の天井画は当社の隠れた見所で、作者は文化勲章を受章した画家・山口華楊(やまぐち・かよう)の実兄である画家・山口

      玲熙(やまぐち・れいき)氏の作品だそうです。

 

 

 

 

 

      

      祈念神石(きねんしんせき)でお願い事が成就した方はこちらにお礼の言葉を書かれた石(ご自身で拾われた石)をお納められ、願い事が書いてある

      石は基本的に間違いですのでご参考になされないで下さい。 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

      中門の内側から表参道方面 

 

 

 

 

 

      

      拝殿・本殿の西側を通り奥の八百萬神社を回ります。 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      八百萬神社(やおよろず)は、当神社以外の日本の全ての神様をお祀りしている神社です。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      本殿を出て、北側に伸びる裏参道を北に進みます。       

 

 

 

 

 

      

      裏参道の石の鳥居のすぐ左手にある清めの社は、車折神社の末社で金銭・良縁・容姿・人気に関する悪運・悪因縁を浄化する神社です。清めの社の

      ご神力(パワー)により、車折神社の境内全体(敷地)は「悪運・悪因縁の浄化」「厄災消除」のご神力が充満しており、全国各地より大勢の方が、厄除

      け・八方除けのご祈祷を受けに来社されます。 また、清めの社の円錐形の立砂は石をモチーフにしており、車折神社が石(パワーストーン:祈念神石

      (パワーストーン:祈念神石)との関わりが深いことを物語っています。 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

      

      裏参道を北に向かい右手に有る弁天社  弁天様(市杵島姫命)をお祀りする神社です。

 

 

 

 

      

      弁天社のさらに北側の地主神社は、 嵯峨天皇様をお祀りする神社です。

 

 

 

 

 

      

      裏参道の突き当たりは、京福電鉄の車折神社駅になります。 

 

 

 

 

 

      

      裏参道を引き返し本殿横を通り表参道に出ます。 

 

 

 

 

 

      

      表参道の芸能神社の向側に建つ葵忠社(きちゅうしゃ)  幕末に勤皇の志士として活躍した、 贈従五位福田理兵衛を祀る神社です。福田理兵衛と

      は、現在の京都市右京区嵯峨の豊かな材木問屋の長男として生まれ、京都洛西下嵯峨の庄屋、総年寄、村吏として勤め、村人の信頼を一身に集め

      た人物で、明治維新の時、家産を傾けてまで長州藩の勤皇倒幕運動を支援して、維新の実現に貢献した勤皇家で、1911年(明治44年)6月1日、贈

      従五位の位を頂戴しております。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

      

      表参道を戻り、三の鳥居の東側の駐車場内には、小唄小堀派祖霊舎や当社の元宮司で近代日本画の巨匠として知られる富岡鉄斎の筆塚などがあ

      ります。 

 

 

 

 

 

      


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