大原三千院門跡界隈は、この時期大変に賑わっておりますが、平日の午前中と云う事もあり、思ったほどの人出もなくスムーズに回ることが出来ました。
参道を進みますと、右手に三千院の御殿門を見つつさらに突き当りまで進みます。
三千院門跡の北側を流れる律川
律川に架かる橋を渡り、正面に勝林院を見ながら、参道右手に有る天皇陵です。 後鳥羽天皇と順徳天皇が祀られております。
天皇陵の正面の山々と手前、実光院の屋根。 正面の山の左裾野に寂光院があります。
京都を囲む三山には、どこに行っても歴代の天皇陵に出会う事が出来ます。
実光院の白壁。
天皇陵の北側に位置する法華堂は、後鳥羽天皇ご冥福のため、梨本主尊快親王母公修明門院御計らいにて水無瀬の御所を以て仁冶元年(1240)
に建立されました。享保二十一年(1736)類焼いたし現在の堂宇は、安永年度(1764~)に再興されております。 御本尊には、普賢菩薩を祀ります。
勝林院・本堂 平安時代の847年に唐から帰朝した慈覚大師円仁は、中国仏教の伝統的な儀式音楽である声明音律業(声明 しょうみょう)を日
本に伝え、その後弟子たちにより比叡山に伝承されてきました。そして、平安中期の1013年に慈覚大師の九代目の弟子・大原入道こと寂源上人が、
この大原に声明道場として大原寺(現在の勝林院)を建立しました。 1186年(文治2年)には顕真と法然との宗論(いわゆる大原問答 念仏により極
楽往生ができるかどうかの問答のとき、大光明を放たれて念仏衆生摂取不拾の証拠を現わされたという)で、ともに如来が証拠に立たれたところから、
証拠阿弥陀如来と称し、この堂を証拠堂と呼んでいます。江戸時代には4坊(理覚坊・実光坊・法泉坊・普暁坊)がありましたが、現在は宝泉院・実光
院の二院が残るのみとなりました。
本堂の中心に祀られている本尊・阿弥陀如来像は、平安中期の仏師康尚の作といわれております。現在は、本堂のみが残っており境内の規模も入り
口から見渡せるため、中に入る方も少なく、勝林院左手の宝泉院に向かわれます。
勝林院左手(西側)の宝泉院への参道
宝泉院の入り口から見た勝林院の本堂。
宝泉院(ほうせんいん)は、1012年寂源が大原寺(勝林院)を創建し、その住職の坊として平安末期頃よりの歴史をもち現在に至っております。
正面に見ますのが、樹齢600年以上と言われる宝泉院を代表する五葉松(近江富士)です。
宝楽園庭園は平成17年3月に宝泉院境内南側の低地に 新しく誕生した庭で、(仏神岩組雲海流水回遊花庭)を
趣向し、地球太古の創世に遡り、その原初の海を創造した庭園です。作庭は長野県に本拠を置く、造園の園冶(え
んや)庭園研究企画創作所─空間総合プロデューサーとなっております。
庭園北側の築山や橋の石組に使用されている銀石は、金属の輝きを思わせる三波峡の石を使用しております。 三波石峡(さんばせききょう)は、
神流川上流に位置し、群馬県から埼玉県に跨る景勝地です。また、緑色の結晶片岩は石英が緑色の紋様を示し非常に高価な庭石としても重宝されて
おり(三波石 さんばせき)と呼ばれております。 天橋立玄海のぞき橋
海の濁流を表現した白川砂は、夜半にその砂に月光が照り映えて、銀砂幽玄の世界がそこに現れるそうです。
庭園中央にある三尊石は、東北の念珠関から運ばれてきた念珠石で、阿弥陀仏・観音菩薩・勢至菩薩の来迎の姿を表した岩組みになっております。
環状列石蹲い(つくばい) 古代先人仏舎利を表現した、蹲踞
四季折々の花木が配置されており百花繚乱と言われる庭園です。
宝楽園を回り、石畳正面が、書院への玄関口になります。
玄関を入りすぐ右手にあるお部屋です。宝泉院は四方を庭に囲まれており、どの部屋からでもそれぞれの庭園を鑑賞することができます。
こちらの庭園は、玄関の左手にある鶴亀庭園です。江戸中期の作で、部屋の中から格子ごしに観賞する庭園で池の形が鶴、築山が亀、山茶花の古木
を蓬莱山とみる名園と云われております。 この庭園も園冶の修復、管理と説明されております。
本堂の右手のお茶室からみるお庭の景色です。
額縁庭園 客殿の西方にあり右手に御本尊が祀られる本堂の柱と柱の空間を額に見立て観賞する庭園です。 庭の名前を盤桓園(ばんかん)と言い
立ち去りがたい庭園という意味だそうです。 拝観料にお抹茶代が含まれておりますので、毛氈に座り待っておりますと、御茶菓子と共に運んできてく
ださいます。
庭園南側に鎮座する樹齢6百年を誇る五葉松
西側庭園の右手の軒先のつくばいにある水琴窟 竹筒に耳を傾けますと心地よい水の音色が響きます。
この時期は、本来ですと右手のモミジが燃えるような紅色に染まっているはずなのですが、今年は色づきが遅く葉先が枯れ始めておりました。
血天井 慶長五年(1600)関が原合戦前、徳川の忠臣・鳥居元忠以下数百名が豊臣の大軍と戦い伏見城中
で自刃し、その武将たちの霊をなぐさめ、供養のために、自刃した場所のものを天井にして祀ったものです。
鷹峰の源光庵の本堂にも同じものがあります。
本堂東側のこちらが、本来の玄関になります。
玄関横の花器には、いつも可愛らしい花が活けて有ります。
山門前
宝泉院を後にして、石垣の右手の実光院に寄って行きます。
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