三千院は、比叡山延暦寺を開かれた伝教大師が、東塔南谷に草庵を開いたのに始まりで、その後寺地は時代の流れの中で、京都市中を幾たびか移
転しました。その都度呼び名も円融房、梨本房、円徳院、梨本門跡、梶井宮と変え、特に応仁の乱後、梶井宮の政所であった現在の地を一時仮御殿と
されたのでしたが、明治維新までは御所の東、河原町御車小路梶井町(現・府立病院)に御殿を構えておりました。
御殿門 高い石垣に囲まれた大きな御殿門は、門跡寺院にふさわしい風格をそなえ、又、政所としての城廓、城門を思わせる構えで、2003年秋、修
復完成しました。
元永元年(1118年)堀川天皇第二皇子・最雲法親王が梶井宮に入室され梨本の正統を継がれて以来、皇族出身者が住持する宮門跡となりました。
妙法院、青蓮院、曼殊院、毘沙門堂とともに天台宗五箇室門跡のひとつとして歴代の天台座主を輩出してきました。
玄関を入り、まずは客殿に向かいます。
客殿南側の聚碧園庭園 客殿を介して初めに広がる庭園で、 声明の音がしみ渡ったであろう自然の美に、江戸時代の茶人金森宗和 (かねもりそう
わ・1656没)が感動し、自らの手を加え、今日の清楚にして 優美な庭が生まれました。
庭内の、永遠に満るがごとく清らかなる水を湛えた 池の源は、音無しの滝よりいでし清流の律川から引かれております。 往生極楽院の、杉木立ちの
間に見透かすように在るさまが、尚いっそう庭の 立体感を深めて伝わる自然の絵巻物の様と説明されております。
写経場の円融房から見た客殿
客殿と写経場を結ぶ渡廊下
客殿東側庭園、左手には、往生極楽院のを囲む木々がそびえております。
客殿と宸殿を結ぶ廊下より、右手宸殿
宸殿前
宸殿は三千院の最も重要な法要である御懴法講の道場として、大正15年に建てられたもので、宸殿では毎年5月30日、門主が導師を勤め、山門
(延暦寺)と魚山(大原寺)の僧侶が式衆として出仕し、歴代天皇の御回向である御懴法講が厳かに行われます。雅楽と声明がとけあった御懴法講は、
後白河法皇の御代からはじめられた宮中伝統の法要で、江戸末期までは宮中で行われていましたので、「宮中御懴法講」と呼ばれていました。
宸殿の東の端にある玉座の間から望む往生極楽院
天下泰平、萬民豊楽の祈願も併せて行われますので一般の参詣者も自由に献香していただけるようになっております。 白木造りの美しい本殿の正
面には、伝教大師作の薬師瑠璃光如来が安置されており、秘仏として非公開となっています。 向かって右には歴代天皇の尊牌を、左には歴代法親王
の尊牌が厳かにお祀りしてあります。
宸殿の東の端にある玉座 玉座に掛かる「鵞」の大字は、中国天台山國清寺内に今尚、現
存する碑の拓本で、王義之筆によるものです。
王羲之とは1600年もの昔に中国書道の革命家とも言われ、その後の書道家たちにも大き
な影響を及ぼしていると言われています。
「鵞」の意味を探しておりましたところ、王羲之はガチョウを可愛がっていて、多くのガチョウ
を飼っていたそうです。國清寺以外の紹興の蘭亭と言う所にも、「鵞池碑亭」と言う碑があり、
鵞鳥(ガチョウ)がいる池という意味で「鵞池」という字の碑があるそうです。
宸殿で玄関受付で脱いだ靴を履き境内を回ります。
宸殿前に広がる有清園 青苔にスギ、ヒノキ、ヒバなどの立木が並び、見るものをして心の安らぎを与えてくれる庭です。そして、御堂の東側にはまん
まんと水をたたえた池泉があります。山畔を利用して三段式となった滝組を配して、上部から水が池泉へと流れ落ちています。
有清園に佇む地蔵菩薩像
宸殿より往生極楽院に通ずるこの広い庭園は、その名の通り清らかな自然に抱かれています。園内の所々には、地蔵様が訪れる人々をあたたかく見
守られ、(地蔵菩薩は迷いの世界で人々を救うと伝えられ、とくにその慈悲深さより子供たちの守護尊として広く信仰を集めております。)また、春には
石楠花の淡い色が園内一面を染めます。
有清園の中央に建つ往生極楽院は、三千院の歴史の源とも言える簡素な御堂で、平安時代に恵心僧都(源信)が父母のために、姉安養尼とともに建
立したものと伝えられており、堂内には、阿弥陀三尊が今も変わることなく永遠の大慈大悲の御心を私たちに与えて下さっています。 千年の昔より、弥
陀の浄土に往生安楽を願い、ひたすら念仏を称え三昧にひたる常行三昧(阿弥陀様の周囲を念仏を唱えながら修行する)が行われてきた御堂内部に
は、有名な船底天井及び壁画は、金胎曼荼羅・二十五菩薩・飛天雲中供養菩薩(楽器を奏でる菩薩像)・宝相華(極楽の花園の図)などの極彩色の絵で
包まれ、あたかも極楽浄土をそのまま表しています。
境内の南に位置する朱雀門
往生極楽院の南側に佇むわらべ地蔵
有清園を抜け、さらに東側に広がる境内を回ります。
まず最初に左手に佇む妙音福寿大弁財天が見えてまいります。
京の七福神 妙音福寿大弁財天 とても優しいお顔をなされております。
金色不動堂の前の階段を登りますと観音堂があります。
こちらには、一万体を優に超える観音様が信者の皆様から奉納されており、今なお増え続けております。
観音堂の左手に広がる、二十五菩薩石庭は、中根庭園研究所が手掛けられました。
金色不動堂の横を抜け後方の庭園に進みます。
三千院の最北に建つ売炭翁石仏
石仏は、律川の北側に建ちます。
順路に沿い進みますと、六月に満開を迎える紫陽花園を通ります。
紫陽花園を抜けますと弁天像の横に出てまいります。
境内をゆっくり回りますと約1時間所要いたします。
門前では、これから最盛期を迎える千枚漬けの実演販売を行っておられました。
三千院の南側を流れる呂川
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