宝泉院の南側に位置する、実光院は魚山大原寺下院(ぎょざんたいげんじ)の本堂・勝林院の僧院とあります。勝林院は、長和二年(1013)に慈覚大
師円仁(天台宗の入唐求法僧・中国から仏教儀式音楽である声明を伝えた)の九代目の弟子寂源が、 天台声明を伝承するために建立した寺院であり、
後に聖応大師良忍が来迎院を建立し、この地が天台声明の中心地となり、以後この二院を本堂として魚山大原寺と総称するようになりました。勝林院
には実光院のほかに、宝泉院、普賢院、理覚院などの子院が建てられ、歴代の住職は日々天台声明の研鑽に励んでまいりました。
実光院ははじめ隣の大原陵(後鳥羽天皇・順徳天皇陵)の地にありましたが、大正八年に普賢院と理覚院を併合し、普賢院跡地である現在地に移転
いたしました。
庫裡の玄関を入りますと、客殿の西側に広がる庭園が、目に飛び込んでまいります。
玄関の左手が、客殿になっており客殿南側には、池泉観賞式庭園が望めます。
現在の客殿は、大正十年に建てられたものであり、(庫裡は江戸末のものを移築)欄間の三十六詩仙画像は、江戸時代中期の狩野派の画家の筆であ
ります。床の間を始め、各所に楽器が陳列してあるが、これらはいずれも声明研究の一助にと歴代住職が収集したものであるとの説明があります。
庭園は、旧普賢院庭園(契心園けいしんえん)客殿の南に広がる池泉観賞式の庭園となっており、江戸時代後期の作庭とされております。心字の池に
律川から導いた滝の水が流れ落ち、滝口の近くには蓬莱石の石組があります。 築山の松は鶴を、池の島は亀を表象しており、また、築山には石造の
五重塔を配置し、池のこちら側を俗世間、向こう側を仏の浄土に見立てております。
客殿でお抹茶を頂きながら南庭園を鑑賞した後は、庫裡からスリッパを履き西庭園に出ることが出来ます。
西庭園は、 旧理覚院庭園を再興したもので、客殿の西側一帯にある池泉回遊式庭園となっております。理覚院が廃寺となり実光院に併合された後、
荒廃していた土地を近年前住職が作庭したものだそうです。中央にはひょうたん池があり、配置してある石の多くは寺領の山や谷から運びこんだもの
で、西の金毘羅山や小塩山を借景に取り入れるために庭木を低く仕立てており、極めて解放的な明るい印象を与えております。
庭園の中央にある不断桜は、例年初秋より翌年の春まで花を咲かせる珍しい品種で、秋の紅葉の季節には観桜と紅葉狩りが一度に楽しめます。
庭園の西北隅にある茶室「理覚庵(りかくあん)」は、前住職の設計によって昭和50年に建てられたもので、桧の変木床柱を始め、材木のほとんどは実
光院領の山林から調達したものだそうです。
茶室前の蹲踞
茶室前のこちらにも不断桜が花を咲かせております。
理覚庵
石垣の向こうに三千院の庫裡が見えます。
三千院北側を流れる律川
石垣の先に三千院の御殿門が見えてまいります。
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