嵐山 天竜寺の塔頭 宝厳院(ほうごんいん)
1461年聖仲永光禅師を開山に迎え、細川頼之によって創建され、創建時は上京区にありましたが、応仁の乱の時に
兵火にあい焼失しました。
その後幾多の変遷を経て現在地に移転再興されました。
臨済宗 天龍寺派
庭園拝観は、春3月下旬より5月下旬までと秋は10月1日より12月中旬までです。
確認の上、覗ってください。
門前には『嵐山羅漢』が祀られております。
『羅漢』とは釈尊の弟子で崇高な修行者(悟りを得た人)を意味する。
『五百羅漢』を天下の景勝地・嵐山に建立する事により、人類の安心立命と嵐山の守護・景観保全を祈念するとともに、
有縁無縁の菩薩を弔うものであります。
夢窓国師曰く『山水ニハ得失ナシ、得失ハ人ノ心ニアリ』
『百人一首』で知られる小倉山の中腹にある常寂光寺は、日蓮宗の寺院でもとは藤原定家の山荘でした。
土地は当時の豪商角倉家が寄進したと言われており小早川秀秋らが堂宇の建立に寄与したと伝えられております。本圀寺から移築された仁王門は南北朝時代の藁葺きの門で、晩秋に、紅葉が散りかかる風情はみごとです。ここは京都屈指の紅葉の名所でもあり楓におおわれた石段を上がると、伏見城の客殿を移築した本堂、その背後に均整のとれた美しい重文の多宝塔が建っております。
仁王門
鐘楼前の銀杏の落ち葉です。
本堂の西側の庭園
妙見堂裏手の竹林
多宝塔
金城実作のレリーフ 1997年4月吉日
常寂光寺より大河内山荘に向かう途中にある池に写り込んだ景色です。
大河内山荘は、百人一首で著名な小倉山の南面に、時代劇の名優大河内傳次郎(1898~1962)が、昭和6年34歳から64歳で
亡くなるまでの、30年間の歳月にわたり、消えることのない美を求めて、こつこつと創り上げた庭園です。
お茶席 この山荘は入場料にお抹茶が含まれており、お茶席で戴いてから散策に向かいます。
庭園への入り口の中門
庭は回遊式借景庭園になっており、数多くの松、桜、楓などが四季を彩り、大乗閣からは嵐山や霊峰比叡山が望むことが出来ます。
御堂
滴水庵前の灯籠 少し上に上っただけで楓が落葉しておりました。
眼下に保津川を望める高台です。 山全体の紅葉も見ごたえがありました。
大河内山荘から亀山公園を抜けると保津川下りの終点の大隅川に出ます。
二尊院
『百人一首』で名高い小倉山の東麓にあって、本尊に釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を祀るため、二尊院とよびますが、正しくは『小倉山・二尊院華台寺(けだいじ)』といい、明治以降天台宗に属しております。
嵯峨天皇の勅願により慈覚大師が834年に開山したといわれております。
また、総門は豪商角倉了以が、伏見城の『薬医門』を移築したものです。
総門をくぐってからの参道(紅葉の馬場)
八社宮前の紅葉
勅使門(唐門)
釈迦如来は、人が誕生し人生の旅路に出発するときに送り出してくださる『発遣の釈迦』といい、阿弥陀如来は、
その人が寿命をまっとうした時に極楽浄土よりお迎えくださいます。
これを『来迎の阿弥陀』といいます。
共に鎌倉時代の春日佛師作と伝わっております。
百人一首発祥の地の石碑 この奥に坂東妻三郎のお墓があります。
階段左手に弁財天堂が有り階段上には湛空上人廟や
角倉了以の墓所などがあります。