いやーーまいりました。
この前の三連休、実はkおばちゃんほぼ寝たきりだったのです。
先週は出稼ぎがあったりして疲れてはいたのですが、金曜の夜中に就寝中寝返りをうとう・・・とおもって動こうとしたら・・動けない。あまりの激痛に・・
そうなんで、人生で初めてぎっくり腰になりました。
しばらくはどうしよう・・とおもったのですが、時間をおいてそろりそろりと痛みを我慢しながら位置をかえました。
で、らくな姿勢にはなったのですが・・もう一度寝返りをうとうとするとやっぱり痛い・・
でも、しょうがない・・とおもって再び眠りについてしまいました。
朝、夕べのことは夢だったのでは・・と思いたかったのですが、起き上がれない。痛くて。やっぱり現実でした。
なんとか体を騙し騙し、這うように起き上がる。
で、ロボットのようにそろりそろりと動いて・・そんな繰り返しでした。
まあ、時間がたつにつれて痛みはひいてくるようですが、やはり痛い。
幸い翌日は土曜なので近所のクリニックに向いました。最初は専門のクリニックに言ったのですが(歩くのは割りと平気でした)休み。
で、いきなれているごくごく近所のクリニックへ。そこは内科だけれども、症状をはなしたらみてくれるとのこと。
待合室のイスに座るのも苦労でした。
診療室では、症状をはなすと、先生が謎の機械をひっぱりだしてきて・・『痛くも痒くも無い電気治療です』とのこと。
言われるままに施術してもらいました。
すると、アラ不思議。すっと立ち上がれるではありませんか。
まだギクシャクはしていましたが、さっきよりは全然楽チンでした。
塗り薬を処方してもらって『2~3日は安静にしているように』とのお言葉をいただいて・・三連休は寝たきりで過ごしました。
そのおかげで、れんきゅうあけからは通常の生活にもどり、腰の痛みはどこへやら・・です。
噂にはきいていたぎっくり腰。kおばちゃんも洗礼をうけてしまいました。いやーーまいったまいった。
○10月13日(日)
ワルトブルグのお城のツアーに参加したkおばちゃんです。ツアーそのものは英語ですが、その他の言語の人にはパンフレットを渡されました。kおばちゃんはもちろん日本語です。
15人ほどのツアーだったと思います。
ここは特別豪華なエリザベートの間です。
聖者に列せられているエリザベートErzsébetは1207年7月7日ハンガリー生まれのルートヴィヒ4世のお妃さまだったお方。4歳の時にハンガリーからやってきたときは別の人物(兄?)の婚約者だったそうですが、婚約者は幼くして亡くなり、ルートヴィヒ4世と結婚したそうです。
結婚して6年後には十字軍に従軍中だった夫を亡くして未亡人に・・あげくお城を追い出されるようなあつかいになったそうです。
その後、自らの財産をもとに病院を建設、その病院にて看護に従事しなくなったとか。
で、彼女の偉業を記念してこの部屋がつくられたらしいですが、それは20世紀にはいってからのことのようです。
この4匹のライオンに守られた?柱は、王の力の象徴だそうです。
こちらの広間はフェスティバルホールで催しもがよくおこなわれるそうです。
現在でも音響がとてもよくさまざまなイベントに活用されているとか。
しかも、この豪華さ!あの、日本人の大好きなノイシュバンシュタイン城をつくったルードリッヒ2世もこの部屋を模した部屋をつくらせたとか・・わかるような気もします。
本当は・・この城で一番有名な部屋があるのですが・・なんと修復中。でいろいろごたごたおいてありました。
説明はうけたのですが、画像をとる気力がありませんでした。
その有名な部屋というのは「歌の間」です。
13世紀の初めに、有名な歌手や詩人は、チューリンゲン方伯ヘルマンに招待されヴァルトブルクに滞在したそうです。そして、ここで歌合戦を繰り広げていたとか。
中には、歌合戦にまけて死刑に・・などという伝説もあるそうです。
そして、このことを題材にしたのがワーグナーのオペラ『タンホイザー』だそうです。
ワーグナー自身がこの城にはってきたのかどうか・・は知りませんが、ドレスデンで初演した時のスコア(総譜)が展示してありました。
そして何故かこの方の肖像画も・・
フランツ・リストです。彼はワーグナーのタンホイザーをもとに「序曲」、「巡礼の合唱」、「夕星の歌」と「ヴァルトブルク城への客人の入場」をそれぞれピアノ用に編曲しているそうです。
その中の序曲の自筆譜も展示してありました。
これは、途中にあった王の寝室だったとおもいます。
あの、望遠鏡でなにを眺めていたのでしょうね?
この前の三連休、実はkおばちゃんほぼ寝たきりだったのです。
先週は出稼ぎがあったりして疲れてはいたのですが、金曜の夜中に就寝中寝返りをうとう・・・とおもって動こうとしたら・・動けない。あまりの激痛に・・
そうなんで、人生で初めてぎっくり腰になりました。
しばらくはどうしよう・・とおもったのですが、時間をおいてそろりそろりと痛みを我慢しながら位置をかえました。
で、らくな姿勢にはなったのですが・・もう一度寝返りをうとうとするとやっぱり痛い・・
でも、しょうがない・・とおもって再び眠りについてしまいました。
朝、夕べのことは夢だったのでは・・と思いたかったのですが、起き上がれない。痛くて。やっぱり現実でした。
なんとか体を騙し騙し、這うように起き上がる。
で、ロボットのようにそろりそろりと動いて・・そんな繰り返しでした。
まあ、時間がたつにつれて痛みはひいてくるようですが、やはり痛い。
幸い翌日は土曜なので近所のクリニックに向いました。最初は専門のクリニックに言ったのですが(歩くのは割りと平気でした)休み。
で、いきなれているごくごく近所のクリニックへ。そこは内科だけれども、症状をはなしたらみてくれるとのこと。
待合室のイスに座るのも苦労でした。
診療室では、症状をはなすと、先生が謎の機械をひっぱりだしてきて・・『痛くも痒くも無い電気治療です』とのこと。
言われるままに施術してもらいました。
すると、アラ不思議。すっと立ち上がれるではありませんか。
まだギクシャクはしていましたが、さっきよりは全然楽チンでした。
塗り薬を処方してもらって『2~3日は安静にしているように』とのお言葉をいただいて・・三連休は寝たきりで過ごしました。
そのおかげで、れんきゅうあけからは通常の生活にもどり、腰の痛みはどこへやら・・です。
噂にはきいていたぎっくり腰。kおばちゃんも洗礼をうけてしまいました。いやーーまいったまいった。
○10月13日(日)
ワルトブルグのお城のツアーに参加したkおばちゃんです。ツアーそのものは英語ですが、その他の言語の人にはパンフレットを渡されました。kおばちゃんはもちろん日本語です。
15人ほどのツアーだったと思います。
ここは特別豪華なエリザベートの間です。
聖者に列せられているエリザベートErzsébetは1207年7月7日ハンガリー生まれのルートヴィヒ4世のお妃さまだったお方。4歳の時にハンガリーからやってきたときは別の人物(兄?)の婚約者だったそうですが、婚約者は幼くして亡くなり、ルートヴィヒ4世と結婚したそうです。
結婚して6年後には十字軍に従軍中だった夫を亡くして未亡人に・・あげくお城を追い出されるようなあつかいになったそうです。
その後、自らの財産をもとに病院を建設、その病院にて看護に従事しなくなったとか。
で、彼女の偉業を記念してこの部屋がつくられたらしいですが、それは20世紀にはいってからのことのようです。
この4匹のライオンに守られた?柱は、王の力の象徴だそうです。
こちらの広間はフェスティバルホールで催しもがよくおこなわれるそうです。
現在でも音響がとてもよくさまざまなイベントに活用されているとか。
しかも、この豪華さ!あの、日本人の大好きなノイシュバンシュタイン城をつくったルードリッヒ2世もこの部屋を模した部屋をつくらせたとか・・わかるような気もします。
本当は・・この城で一番有名な部屋があるのですが・・なんと修復中。でいろいろごたごたおいてありました。
説明はうけたのですが、画像をとる気力がありませんでした。
その有名な部屋というのは「歌の間」です。
13世紀の初めに、有名な歌手や詩人は、チューリンゲン方伯ヘルマンに招待されヴァルトブルクに滞在したそうです。そして、ここで歌合戦を繰り広げていたとか。
中には、歌合戦にまけて死刑に・・などという伝説もあるそうです。
そして、このことを題材にしたのがワーグナーのオペラ『タンホイザー』だそうです。
ワーグナー自身がこの城にはってきたのかどうか・・は知りませんが、ドレスデンで初演した時のスコア(総譜)が展示してありました。
そして何故かこの方の肖像画も・・
フランツ・リストです。彼はワーグナーのタンホイザーをもとに「序曲」、「巡礼の合唱」、「夕星の歌」と「ヴァルトブルク城への客人の入場」をそれぞれピアノ用に編曲しているそうです。
その中の序曲の自筆譜も展示してありました。
これは、途中にあった王の寝室だったとおもいます。
あの、望遠鏡でなにを眺めていたのでしょうね?