Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

ウィーン川に面して(ウィーン)

2012-10-19 17:52:17 | オーストリア
今日は一段と涼しく・・というのを通り越して寒くなった。
なんだか良い季節というのがあっという間に終ってしまった感じ。

昨日お仲間と話していて、やっぱり・・と思ったのは『チデジ難民』のkおばちゃんはあまりニュースを見ていない体と思っていたのだが、やはり、あの西の訳のわからない事件の主犯と思しき女性の画像というのが出ていないということだった。

いや、てっきりいつもの調子でワイドショーあたりが、高校時代くらいの画像をひっぱりだしてくるんじゃないかとおもっていたのだけれども、まったく現れていないとか。何ででしょうね?
まったく出てこないっていうのは。それほど周りの人を恫喝しまくっていたということなんでしょうか?檻のなかに収監されても未だに怖くて、とても自分からは提出できない・・ということなんでしょうか?

それとも・・・本当の正体というのが判らないのか、何処の誰か・・というルーツがわからないのか・・

粗暴な事件ではあるけれど、頭を使った頭脳犯と言う感じでもなさそうだし・・なにがなんだかわからないと言う結論で昨日の飲み会は終りました。
まあ、しいて言えば『○ウム』の○原の女性版といったところなのかしら??謎だ?

○1月4日(水)

さて、トラムに乗ったkおばちゃん。ここからトラムを乗り次ぐのだけれど・・平日のお昼ということだからか、何だかガラガラです。


いつも気になるんだけど・・このぐらいの乗車率で赤字運営にならないんでしょうかね?
まあ、最近は値上げが・・という話は聞きますけどね。

再び通るナッシュマルクトには、朝よりはお客さんがおりました。


が・・・やっぱり夏場に比べるとねぇ・・


さっきスーパーで買った荷物をとりあえずお宿に置いてから・・向います。
お宿に向う途中にあるのがこの劇場です。


アン・デア・ウィーン劇場Theater an der Wienです。このアン・デア・ウィーンan der Wienというのは『ウイーン川沿いの』という意味だそうで、つまり川のほとりに建っていたのです。
その『ウイーン川』は現在暗渠になってしまっていて、その上に設営されているのがナッシュマルクトということらしいです。

あら、知らなかった。そしてウイーン川のきれっぱし?は市民公園の中の運河としてながれているそうです。

さてさて、ウイーン川沿いの劇場のルーツはモーツアルトにさかのぼるとか。
モーツアルトの晩年のオペラ『魔笛』で一山あてた、脚本家でもあったエマヌエル・シカネーダーEmanuel Schikanederが建てたそうであります。ただし・・1801年に完成したのですが・・運営は下手だったようで、1807年には人の手に渡ってしまったそうです。

ただし、劇場としてはずーーと現役だったようで、あのベートーヴェンも交響曲の初演(2.3.5.6番)を行っており、彼自身も劇城内に住んでいたことがあるそうです。あれま。。

最近でこそオペラの上演も行われるようになっていますが、それ以前はどっちかというとポピュラー系?ミュージカルやオペレッタなんかが近年上演されていたようです。

本日の演目はこちらのようでした。


とうぜんお昼ですから・・開いてマセン。


そういえば、前にウイーンに来た時、この劇場でモーツアルトのオペラを上演していたのだけれども、チケットが売りきれで悔しい思いをしたことがありました。

この劇場の横を入ったところにkおばちゃんの今回のお宿はあります。


ピンクの建物です。

そしてこの脇の道沿いにこんなプレートが掲げてありました。


ベートーヴェンのことが書いてありますね。オペラ『フィデリオFidelio』の初演もこちらだそうですね。

で、お宿の向い側にこの劇場のこんな入り口があります。


この部分は現存するオリジナルの部分にあたるようです。パパゲーノ門、旧正門(1801)だそうです。
シカネーダー氏のあたり役だったそうで、脚本を書くと同時に出演もしていたようで、座頭といったところでしょうね。

この門の上部・・翌日、お宿の朝食会場から撮ったのですが・・


エマヌエル・シカネーダーEmanuel Schikaneder氏と3人の息子がモデルだったそうです。

上から見ルとこんな感じです。


お宿に荷物をおいて・・一休み。

で・・お次の場所には歩いて向いました。


このあたりのはず・・なんですけどね。
コメント (2)
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