今日は観念して医者に帰りに寄った。
おんなじ場所を傷めてしまったので、言われたことは『癖になるからしっかり直すように』とのこと。はい!はい!
kおばちゃんだって気をつけてはいたんですけど。まあ、言い訳でですね。
お年を取った証拠。友達からは『本気でダイエット!』といわれちゃうし・・
でも、傷が直りまでは動けないし・・困ったもんですよ。
とりあえずは、土曜日の予定をこなせるようにしないとね。
○1月6日(木)
一旦お宿に戻ったkおばちゃんですが、夜のご予定の為に再びお出かけです。
目的地は、再びセーヌの向こう側。メトロ2号のテルヌTernes駅で降ります。
地上にでて横をみると・・おお!あれは凱旋門ですね。
パリの街中にいるという実感がわいてきました。
kおばちゃんのお宿の周りのカフェなんかよりはるかに高級でいかにもパリという感じのお店がたくさんあります。
そんなところを通り抜けてやってきたのはここです。
少し早かったみたいですが・・もう他のお客さんたちもきています。
ここは、Salle Pleyelサル・プレイエルというコンサートホールです。
おパリで一番のクラッシックの演奏会場だそうです。世界的ピアノメーカー、プレイエル社PLEYELの専門コンサートホールとして世界的に広く知られ、現在の場所である、フォーブル・サントノーレ通りに移ったのが1924年。パリの歴史的な建物だそうです。
そう、このプレイエル社って、あのショパンのパトロンになっていた会社じゃないでしょうかね。
以前スペインのマヨルカ島の修道院跡にたしかショパンがパリから持ってきたピアノというのがあって、それもプレイエル社せいだったのを覚えています。
で、そのプレイエル社自身もですが、このホールも波乱万丈な歴史に翻弄されて・・2006年10月にリニューアルオープンしたとか。
だからこんなモダンな感じの内装なんですね。
モダンなのは内装だけではありません。この彼女たち同じ服をきているでしょ?
彼女たちはお客さんではありません。このホールでお仕事をしているお嬢さんたちです。案内係、チケットをチェックといったお仕事をしています。
このジャンパースカートの制服とっても可愛かったです。そして右側の女の子が襷掛けにかけている布製のパックとともに似合ってます。
誰のデザインかは知りませんけど、とってもおしゃれです。ただし・・・お年寄りがいなかったからかもしれませんが・・
ちょっと早くつきすぎたようで、ホールの中の座席まではまだ入れません。
kおばちゃんの場合チケットはインターネットで注文!で、今回のほかのおパリの演奏会というか音楽関係のチケットは、予約終了後ダウンロードしてプリントアウトしたものを利用するようなシステムになっていましたが・・ここは『本物』の紙のチケットをわざわざおパリから日本のkおばちゃんのところに送ってきました。
そのチケットはこんなものでした。
ぞうじゃないお客さんはこちらで受け取ったりしているようでした。
ぼつぼつとお客さんが集まってきましたがまだ開場になりません。
ホールの壁にはこんなレリーフがかかっていました。
彼女の名前はラ・アルヘンティーナ La Argentina。本名アントニア・メルセ・イ・ルケ Antonia Mercé y Luque(1890年9月4日―1936年7月18日)というそうです。
アルゼンチン生まれのスペイン人フラメンコダンサーで、フラメンコを舞台芸術にまで出世させた人で、パリでもにんきがあったとか・・このホールでも踊ったのでしょうかね?
こちらは・・・どなたか今でもわかりません・・
そろそろ開場しました。いつも思うのですが、あちらの入場は『団子状』になります。
もっとも、大人ですから我先に押すようなことはないけれど・・なんだか効率的じゃないなとおもうのですが、認識の差でしょう。『公平感』というものの基準がまったく違うように思います。
なんだか、日本はカリカリしすぎです。
バーコードを読み取ってもらおう・・と思ったらなかなkとってもらえませんでした。他のお客さんはこんなチケットじゃなくて普通?のただのかみっぺらのチケットでした。
貧乏kおばちゃんのお席は・・・こんな眺めのとことです。
おんなじ場所を傷めてしまったので、言われたことは『癖になるからしっかり直すように』とのこと。はい!はい!
kおばちゃんだって気をつけてはいたんですけど。まあ、言い訳でですね。
お年を取った証拠。友達からは『本気でダイエット!』といわれちゃうし・・
でも、傷が直りまでは動けないし・・困ったもんですよ。
とりあえずは、土曜日の予定をこなせるようにしないとね。
○1月6日(木)
一旦お宿に戻ったkおばちゃんですが、夜のご予定の為に再びお出かけです。
目的地は、再びセーヌの向こう側。メトロ2号のテルヌTernes駅で降ります。
地上にでて横をみると・・おお!あれは凱旋門ですね。
パリの街中にいるという実感がわいてきました。
kおばちゃんのお宿の周りのカフェなんかよりはるかに高級でいかにもパリという感じのお店がたくさんあります。
そんなところを通り抜けてやってきたのはここです。
少し早かったみたいですが・・もう他のお客さんたちもきています。
ここは、Salle Pleyelサル・プレイエルというコンサートホールです。
おパリで一番のクラッシックの演奏会場だそうです。世界的ピアノメーカー、プレイエル社PLEYELの専門コンサートホールとして世界的に広く知られ、現在の場所である、フォーブル・サントノーレ通りに移ったのが1924年。パリの歴史的な建物だそうです。
そう、このプレイエル社って、あのショパンのパトロンになっていた会社じゃないでしょうかね。
以前スペインのマヨルカ島の修道院跡にたしかショパンがパリから持ってきたピアノというのがあって、それもプレイエル社せいだったのを覚えています。
で、そのプレイエル社自身もですが、このホールも波乱万丈な歴史に翻弄されて・・2006年10月にリニューアルオープンしたとか。
だからこんなモダンな感じの内装なんですね。
モダンなのは内装だけではありません。この彼女たち同じ服をきているでしょ?
彼女たちはお客さんではありません。このホールでお仕事をしているお嬢さんたちです。案内係、チケットをチェックといったお仕事をしています。
このジャンパースカートの制服とっても可愛かったです。そして右側の女の子が襷掛けにかけている布製のパックとともに似合ってます。
誰のデザインかは知りませんけど、とってもおしゃれです。ただし・・・お年寄りがいなかったからかもしれませんが・・
ちょっと早くつきすぎたようで、ホールの中の座席まではまだ入れません。
kおばちゃんの場合チケットはインターネットで注文!で、今回のほかのおパリの演奏会というか音楽関係のチケットは、予約終了後ダウンロードしてプリントアウトしたものを利用するようなシステムになっていましたが・・ここは『本物』の紙のチケットをわざわざおパリから日本のkおばちゃんのところに送ってきました。
そのチケットはこんなものでした。
ぞうじゃないお客さんはこちらで受け取ったりしているようでした。
ぼつぼつとお客さんが集まってきましたがまだ開場になりません。
CD売り場でお買い物をしても良いですね。
ホールの壁にはこんなレリーフがかかっていました。
彼女の名前はラ・アルヘンティーナ La Argentina。本名アントニア・メルセ・イ・ルケ Antonia Mercé y Luque(1890年9月4日―1936年7月18日)というそうです。
アルゼンチン生まれのスペイン人フラメンコダンサーで、フラメンコを舞台芸術にまで出世させた人で、パリでもにんきがあったとか・・このホールでも踊ったのでしょうかね?
こちらは・・・どなたか今でもわかりません・・
そろそろ開場しました。いつも思うのですが、あちらの入場は『団子状』になります。
もっとも、大人ですから我先に押すようなことはないけれど・・なんだか効率的じゃないなとおもうのですが、認識の差でしょう。『公平感』というものの基準がまったく違うように思います。
なんだか、日本はカリカリしすぎです。
バーコードを読み取ってもらおう・・と思ったらなかなkとってもらえませんでした。他のお客さんはこんなチケットじゃなくて普通?のただのかみっぺらのチケットでした。
貧乏kおばちゃんのお席は・・・こんな眺めのとことです。