今日はちょこっとTVの委員会中継をみたのだが・・・相変わらずの勘違い○主党のお白州との勘違いにはちょっと腹が立った。いったいこの委員会開催に幾らの税金がつぎこまれてるの??と言いたいです。
あれを聞いていると、まるで自分が『遠山の金さん』にでもなってるつもり?
時代はもう違うのよ。いまは地方の疲弊から『公共工事をなんとか作ってくれ』と叫んでル時代になっちゃったでしょ。頭切り替えなさいよ!と・・ね。
他の野党の方々の質問はおおむね、建設的というかちゃんと時代にあって、生活感のある質問で好感をもてました。
ま、与党の答弁は相変わらずののらりくらりではありますけどね。
まるで恫喝しているような質問の仕方もう辞めてくれません?もっと大事な問題がここ半年で起こっている事も判らないような政党なんですか?
○12月31日(水)
SARAY HOTELを後にしたkおばちゃん。次ぎの目的地に行くまでに、ちょっと道筋に自信がありませんでした。
手元のガイドブックを眺めながら佇んでいたら一台の乗用車が・・・あらら・・
運転していたのは女性です。彼女は窓を開けてkおばちゃんに『何かお困りですか?』と声をかけてくださいました。
丁度、kおばちゃんは現在地がわかったので『大丈夫です』とお答えしましたけど、通りかかりの車から声をかれられるとは思ってもいなかったのでちょっとびっくりでした。
さっきのまでいた、商業の中心地は政治経済の中心地・・から考えると、ちょっと荒涼とした感じの漂う地区にいた・・というのもあるので、きっと道に迷った外国人だと思ったんでしょうね。ま、確かにあってましたけどね。
やっと辿り着いたのは冒頭の画像のお家です。ブルーのペンキが美しいおうちですね。
ここは、Dervish Pasha Mansionと呼ばれる所です。日本風にいえば、デルヴィッシュ邸ですね。デルヴィッシュときいて日ハムのダルビッシュを思い出したkおばちゃんですが・・
このTuccarbasi Haci Dervish氏というのは、ここキプロスで最初にトルコ語の新聞Zaman(時間?)1891年に出版した人だそうです。
そして、この家は1807年に建てられた伝統的な邸宅だそうです。1978年に国有化されトルコ政府援助などを背景に1988年に内部は民族博物館として、また建物自体を19世紀初期の館として公開するようになったそうです。
kおばちゃんが辿り着いたときは、誰もおらず・・もう終了可と思いましたが、良く見たらお姉さんがひとり受け付けというか
待ち合い室のようなところに座っておりました。
kおばちゃんはご挨拶をして『中を見せていただけますか?』と聞くと『もちろんです。』と答え、
料金を払うとこのパンレットをkおばちゃんに手わたすと、バタバタと去って・・ゆきました。
何処へ??と思ったら、この館の各部屋には鍵がかけてあり、そのうえ電灯も消えていたのでわざわざkおばちゃんのために各部屋を空けに行ったのでした。
今日はもう店じまい・・のはずだったのか、はたまたお客さんが全然来なかったのか・・わかりませんけどね。
見学に順番はないようですが、とりあえず下の階から周りましょう。
まず最初に向った・というかあったのはオオボケの写真ですが、お台所のような部屋です。女性が2人で何かしてますね。
このお部屋は天井もすごくシンプル・・天井兼2階の床になっているのか、2階をばたばたと開けているお姉さんの足音がドタドタします。
もう一つの部屋は作業場のような感じで、機織機や糸繰り機のようなものが置いてありました。
これで絨毯でもおるのかしら???
各個室のつなぎのような空間はこんな感じです。土間のような雰囲気ですね。
これは何に利用するものかわかりませんけど洗濯板のお化けのようですね。
説明文をみたのですが・・忘れました。
もう一つのお部屋は展示室のようになっており、このようなモノや、
このようなものややややのような生活用品と
よくトルコの兵隊さんが腰に下げているような刀も展示してありました。
そいてここは中庭のようなところ。
真中の木にはこんな実がついており、ちょっと小ぶりの蜜柑のような感じです。
L字型に建てられたこの屋敷は外壁は白く塗られ、窓枠などはブルー、そして屋根はテラコッタで作られているそうです。
2階部分には外側の階段を使って上がります。
階段の下のこの空間はいったいんなでしょうね?雨水でもためるのでしょうか?
未だに判らないkおばちゃんであります。
あれを聞いていると、まるで自分が『遠山の金さん』にでもなってるつもり?
時代はもう違うのよ。いまは地方の疲弊から『公共工事をなんとか作ってくれ』と叫んでル時代になっちゃったでしょ。頭切り替えなさいよ!と・・ね。
他の野党の方々の質問はおおむね、建設的というかちゃんと時代にあって、生活感のある質問で好感をもてました。
ま、与党の答弁は相変わらずののらりくらりではありますけどね。
まるで恫喝しているような質問の仕方もう辞めてくれません?もっと大事な問題がここ半年で起こっている事も判らないような政党なんですか?
○12月31日(水)
SARAY HOTELを後にしたkおばちゃん。次ぎの目的地に行くまでに、ちょっと道筋に自信がありませんでした。
手元のガイドブックを眺めながら佇んでいたら一台の乗用車が・・・あらら・・
運転していたのは女性です。彼女は窓を開けてkおばちゃんに『何かお困りですか?』と声をかけてくださいました。
丁度、kおばちゃんは現在地がわかったので『大丈夫です』とお答えしましたけど、通りかかりの車から声をかれられるとは思ってもいなかったのでちょっとびっくりでした。
さっきのまでいた、商業の中心地は政治経済の中心地・・から考えると、ちょっと荒涼とした感じの漂う地区にいた・・というのもあるので、きっと道に迷った外国人だと思ったんでしょうね。ま、確かにあってましたけどね。
やっと辿り着いたのは冒頭の画像のお家です。ブルーのペンキが美しいおうちですね。
ここは、Dervish Pasha Mansionと呼ばれる所です。日本風にいえば、デルヴィッシュ邸ですね。デルヴィッシュときいて日ハムのダルビッシュを思い出したkおばちゃんですが・・
このTuccarbasi Haci Dervish氏というのは、ここキプロスで最初にトルコ語の新聞Zaman(時間?)1891年に出版した人だそうです。
そして、この家は1807年に建てられた伝統的な邸宅だそうです。1978年に国有化されトルコ政府援助などを背景に1988年に内部は民族博物館として、また建物自体を19世紀初期の館として公開するようになったそうです。
kおばちゃんが辿り着いたときは、誰もおらず・・もう終了可と思いましたが、良く見たらお姉さんがひとり受け付けというか
待ち合い室のようなところに座っておりました。
kおばちゃんはご挨拶をして『中を見せていただけますか?』と聞くと『もちろんです。』と答え、
料金を払うとこのパンレットをkおばちゃんに手わたすと、バタバタと去って・・ゆきました。
何処へ??と思ったら、この館の各部屋には鍵がかけてあり、そのうえ電灯も消えていたのでわざわざkおばちゃんのために各部屋を空けに行ったのでした。
今日はもう店じまい・・のはずだったのか、はたまたお客さんが全然来なかったのか・・わかりませんけどね。
見学に順番はないようですが、とりあえず下の階から周りましょう。
まず最初に向った・というかあったのはオオボケの写真ですが、お台所のような部屋です。女性が2人で何かしてますね。
このお部屋は天井もすごくシンプル・・天井兼2階の床になっているのか、2階をばたばたと開けているお姉さんの足音がドタドタします。
もう一つの部屋は作業場のような感じで、機織機や糸繰り機のようなものが置いてありました。
これで絨毯でもおるのかしら???
各個室のつなぎのような空間はこんな感じです。土間のような雰囲気ですね。
これは何に利用するものかわかりませんけど洗濯板のお化けのようですね。
説明文をみたのですが・・忘れました。
もう一つのお部屋は展示室のようになっており、このようなモノや、
このようなものややややのような生活用品と
よくトルコの兵隊さんが腰に下げているような刀も展示してありました。
そいてここは中庭のようなところ。
真中の木にはこんな実がついており、ちょっと小ぶりの蜜柑のような感じです。
L字型に建てられたこの屋敷は外壁は白く塗られ、窓枠などはブルー、そして屋根はテラコッタで作られているそうです。
2階部分には外側の階段を使って上がります。
階段の下のこの空間はいったいんなでしょうね?雨水でもためるのでしょうか?
未だに判らないkおばちゃんであります。