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Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

良いお天気!(ケープタウン)

2014-11-07 19:23:41 | 南アフリカ
なにかと心忙しいのだけれど、体がついてゆかないkおばちゃんです。

風邪はなんとか快方にむかっておりますが、この土日も野暮用で休みがない・・というか何時も以上に忙しいのでトホホでございます。

さ、忘れないうちに・・かなりわすれてますけどね。

●3月5日(水)

今朝も、元気にお目覚めでございまして、朝ごはんもしっかりと。
昨日夕方おしゃべりしたウイーンのおねえ様も食堂にあわられてご挨拶。

かなりの人数がお泊りのようで、今日は満室かしらね。

kおばちゃんは今日もツアーを手配してもらってます。おねえ様もJ氏とイロイロお話しをしていて、ツアーを申し込むといってましたが、今日はケープタウンの町歩きつあーだそうです。

ピックアップはkおばちゃんと同じ頃のようなのですが・・kおばちゃんの方が遅かったようです。
お迎えの車がなかなか来ません。どうやら道に迷ったようです。


仕方がないのでお玄関の外で待ちます。

これがお宿のお玄関。


ちょっと大きめな普通の一軒家をペンションにしていると言う感じです。

この左奥の方がダイニングに続いてます。


それにしても良いお天気!!

やっと迎えの車が到着!乗りこみました。今日のドライバー・ガイド氏は黒人のお兄さんというかおじさまでし。
乗りこむ時に名前をきかれました。で、名乗ると『なんて呼べばいい?』と聞かれkおばちゃんの場合は苗字は外人さんには覚えにくいので名前の『k』で呼んでください・・とお願いすると、既に乗車していた先客たちに『kさんです!』と紹介してもらいました。

先客は賑やかなおフランス人の方々。4人ほどだったかしら?
どうやら、今日のツアーは大人数になりそうです。ピックアップのワゴン車がそのまま観光に廻るようなので、一人掛けのシートに座りました。

kおばちゃんを拾ったあとは、メインロードに出て、バス停のようなところに停車しました。何人か待っています。
あとで聞いたら、ここから乗車したお客さんはここまでは別の車でやって来てここで待って入るようにいわれたそうです。
ここで、4人くらい乗車。(忘れてます)
で、その中に東洋人のご夫婦と思われるカップルがいらっしゃいました。ドライバー・ガイドのおじさまは、彼らにも名前をきいていました。耳をダンボにして聞いていたら・・日本人と思われる姓を名乗ってらっしゃる。あれ?日本人かしら。
風貌は・・ちょっと女性が違うかな??どこかの駐在??なんて思っていたら、通路を挟んでkおばちゃんのお隣にお座りになりました。

で、おばちゃん根性でご挨拶。
すると、彼らはなんとブラジルからやってきた日系の方でした。あらまあ。
彼ら曰く、ここケープタウンとブラジルは飛行機で9時間程度できてしまうそうです。ああ、そうか・・
日本で目にする世界地図は太平洋を挟んでアメリカ大陸とユーラシア大陸・アフリカ大陸があるけれども、アメリカ大陸を左側にもってくると・・・右側はユーラシア大陸・アフリカ大陸になって、それほどはなれてないのね・・と認識を新たにしました。

その後、別の街中のホテルに寄って・・またピックアップ。超満員!!ですね。
今日はドイツ人はいらっしゃらないけど、英語だけをしゃべるガイド・ドライバーさんだとおもっていたら綺麗なフランス語もおしゃべりになる方で、フランス語の方がお得意のようで、最初はフランス語、その後英語・・とガイドが始まりました。

で、一番初めに向ったはkおばちゃが日曜日に立ち寄ったキャンプズ・ベイCamps Bay Beachです。

日曜日と違って、今日は良いお天気です。


お天気が良いと打ち寄せる白波も気持ちよさそうですね。


こちらでトイレ休憩もかねての小休止です。


しっかりお土産物販売の車まででているので、名所のようです。


でもね、観光ツアーがはじまったばかりですからね。お土産はまだ買いません。


下に降りる道もあって・・もっと海辺までゆけるようですね。Maiden's Coveというバス停のそばのようです。



シグナル・ヒルの端っこ・・獅子頭 Lion's Head と呼ばれるところを下から臨む感じですね。


良いお天気、あんなベンチに座ってコーヒーでも飲んでたい雰囲気です。


そして、獅子頭の右側はテーブルマウンテンでしょうか。やはり午前中は雲ひとつないようです。


さて、お次はあっちの方に向うのかしらね。
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夕焼けを眺めながら(ケープタウン)

2014-11-05 19:10:44 | 南アフリカ
今日もめっきり寒くなって来た。
朝、一応窓をあけて空気の入れ替えをするのだけれど、早く締めたくなっちゃう。

もうそろそろ夏物をしまわなきゃ・・と今頃になってやているkおばちゃんです。

さて、今日もおでんかな・・一体何日たべているのやらですね。

○3月4日(火)

さて、一応のワイナリーツアーは終了です。
kおばちゃんも念願のワインを(ってほどこだわってたわけじゃないけどね)を入手できて満足してます。

ケープ・タウンの町に向けて走ります。


夕方というかお仕事が終ったころですから、下りというか反対方向の車が混んできていました。

街中に入りました。テーブルマウンテンが見えますよね。


やっぱり夕方近くなると、ばっち頂上は雲が垂れ込めていますね。午前中じゃなきゃ・・というJ氏の言葉がよみがえりました。


さて、街中に戻ってきて我々を降ろすことに。解散はウオーター・フロントでいい?と聞かれたのですが、荷物が重いので宿まで送ってくださいとお願いしました。


他の皆さんも同じく。

で、最初にアメリカ人のおばちゃまをウオーターフロントのホテルで降ろしたのですが・・ああ、彼女ドライバーにチップをあげてます。
そうよね、アメリカ人だし・・問題はその額。アメリカ仕込みの額です。
アメリカって、基本的にサービス業の人件費はチップだからチップの額がヨーロッパに比べると格段に高いですよね。約2割。
で、彼女はその額をお払いあそばしました。

kおばちゃんとしては、ここはヨーロッパの延長だと思っているのでそれほどの額はいらないと思っているのです。
チラッと見てびっくりしちゃったのでありました。

お次はkおばちゃんの番。
kおばちゃんも一応、アメリカおばちゃんの半分ですが彼に渡しました。
ニッコリしてくれたので一応OKだったかな。

持ち帰ったワイン・・約6本ですからね。送ってくれてありがとう・・でした。

さて、宿に戻ったものの・・もう外に食事に出かける気力も買い物に行く気力もありません。
でも、穴倉のような一階のkおばちゃんの部屋でワインを飲むのもなあ・・と思ってワインとワイングラスをもってテラスに上がって見ました。

一応海の方に向っているのですが、前の屋根がじゃま・・


まあ、いいや・・なんてグラスを空けていたら・・丁度kおばちゃんの上の部屋の窓が開いて女性が顔をだしました。で、ご挨拶。
一緒に飲みませんか?と誘って見ます。

年のころなら・・同じ位かな?それとももうちょっと上?わかりません。
kおばちゃんの誘いに乗って下さってテラスにおでましになりました。で、いろいろおしゃべり。

彼女はオーストリア人。ウイーンに住んでいるんですって。で、元外交官。
日本にも駐在した事があると言ってました。日本人はみんな親切だったと。でもとっても昔よ。若かった頃・・ってどんだけ昔かわかりませんけど。

札幌にウイーンのお菓子ショップの開店セレモニーに行ったことがあるのよ。とも行ってました。

色んな所に赴任したとか。中米にも。もちろんこの南アにとのこと。
何処が一番良かった?との答えは『ケープ・タウン』だそうです。まあ、だからわざわざ遊びに来てるんでしょうけどね。

昨日までkおばちゃんがさっきいたフランシュホークFranschhoekで2日かな?滞在していたそうです。で、日焼けしてしまって痛い。といってました。

ケープ・タウンのあとはヨハネスブルグに寄って、昔赴任していた時の保安係の人と会うのよ・・とのこと。

ここ南アにはウイーンからはフランクフルト経由できたとの事でした。旅行会社に手配してもらったと言ってました。
彼女も一人旅。まあ、独身じゃなければ女性で外交官なんかやってられないでしょうね。

ひとしきりおしゃべりしていたらい日没が・・


ちょっと肌寒くなってきたからお部屋に戻ると帰って行きました。

さて、kおばちゃんもこれを飲んだら部屋に戻りましょう。


夕飯は昨日の残りが冷蔵庫にあるので、あれをチンして食べておしまいにしましょう。

今日も楽しい一日でした。
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自由への最後のステップ(西ケープ)

2014-11-04 18:15:48 | 南アフリカ
連休が終ってしまった。
前半は風邪をひいていたので大人しく・・まあ土曜はお天気悪かったしね。
中日にそろそろ車を動かしゃなきゃ・・と思い(車検以来エンジンかけてない)近くの大型スーパーまで出かけるが・・入るのが面倒臭くなり・・駐車場入り口の前を通過して家に戻ってしまいました。

まあ、エンジンかけたからいいや・・

そうそう、そんな休み中に見たTV。『インビクタス/負けざる者たちInvictus』というのを偶然見た。
これって、kおばちゃんがローベン島で散々聞かされたあの、マンデラ氏のラグビー観戦のお話だった。ああ、行く前にみていれば・・と思った次第です。

で、忘れていた事を書いておかなきゃ。

○3月4日(火)

そうそう、最後のワイナリーに行く途中で立ち寄ったところがあったのを忘れていました。
kおばちゃんの記憶が曖昧でしたが、画像の撮影時間をチェックしたら・・昼食後すぐでした。

立ち寄っただけだったので、記憶が薄かったのかな・・

ということで立ち寄ったのはこんなところでした。


といわれても、わかりませんよね。こんな画像じゃ。

現在はDrakenstein Correctional Centreと呼ばれている場所です。


観光バスが止まっていますね。

ここは昔の名前を Victor Verster Prisonビクター・バースター刑務所。
あのマンデラ氏が最後に収監されていた刑務所です。

現在は刑務所というよいりもより監視のゆるい矯正施設となってるようです。


ローベン島の刑務所からPollsmoor Prisonに移送されたマンデラ氏は、11988年12月9日にこちらに移送されてきたそうです。
その後、1990年2月11日に自由の身となるまでの14ヶ月間この中でくらしていたらしいです。

ここからマンデラ氏の自由への第1歩が始まった・・という場所ですね。

入り口の前には若き日のマンデラ氏の姿・・と思われる像がたっていました。


kおばちゃんの参加しているこのツアーはワイナリーめぐりなので中にははいりませんけどね。

フェンスの外側にはこのような標示が・・・発砲禁止??

ちょっとした寄り道でした。
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見つけたお気に入り(西ケープ)

2014-10-31 19:27:28 | 南アフリカ
すっかり風邪をひいてしまったみたいです。
寝床で肩口がすーすーするな・・と思いつつも眠さに負けていたのが敗因。

まあ、ちょっと疲れていたのもアリかも。
しかたがありません。連休は金欠もあるのでおとなしくしています。

○3月4日(火)

さて、お昼も頂いて・・でもまだワインセラー巡りは続きます。

お昼を頂いたFranschhoekフランシュホークというところからほど近いところです。


このあたりはパールPaarlと呼ばれる地域で、ワイン畑には最適な場所と言うことです。

ここに向うと中・・だったと思うのですが、大きな建物の脇を走りぬけました。
KVWとガイド氏は言っていました。ここによると、KWVはアフリカ語で「南アフリカブドウ栽培協同組合」を意味する“Ko-operatieve Wijnbouwers Vereniging Van Zuid-Afrika Beperkt”そうですが、現在は株式会社として運営しているようです。ガイド氏は南アフリカで一番大きなワインメーカーと言っていました。
そのワインは世界中に輸出されており、現在の一番の輸出先はなんと『中国』だとも言っていました。
この会社では小規模ワイナリーのワインをいわゆる樽買いして製造しているということらしいです。

まあ、我々の廻って入るようなワイナリーではない・・ということを言いたいのだとはおもいましたけどね。

やってきたのは・・こんなところ。


ここも由緒正しき、入植者ということなんでしょう。オランダ様式の家屋が保存されています。

こちらのワイナリーはLaborieというとこのようです。


ここからだとわかりませんが、あの山々のなかに頂きがまるで真珠の玉のように丸くなっているところがあります。


で、このあたりをパールPaarl(オランダ語)真珠と呼ばれている・・と聞きました。

たぶんここが最後のワインセラーになるんだとおもいます。


目のに前は・・葡萄畑が広がります。


やけにたくさんグラスが並んでいますが・・・


まずは、こちらスパークリングから。


すっきりしたお味・・・だったと思います。(忘れてます)

そしてお次は白ワイン、ソーヴィニョン・ブランです。


それからお次に登場したのはこちら。冒頭の画像といっしょですけど。


メルローとカべルネ・ゾーヴィニョンの赤ワインです。
ううう・・美味い!!


すっかりとりこになってしまいました。

そしてこちらは・・ピノーPineauと呼ばれる食前酒。


こちらのワイナリーはどうも、フランスのポワトゥー=シャラント地域圏からの入植者が先祖のようですので、そのあたりの食前酒のようです。


この地域はあのコニャックで有名なんですって!

で、最後に提供されたのはこちら・・


この琥珀の輝き・・ブランデーです。


すっかり良い気持ちになってきているkおばちゃん。

で、こちらが注文表なんですけど・・・とってもお安いのであります。
今までのワインセラーの・・・半分くらいの値段。

一緒にいたドイツ人カップルも真剣に選んでました。

まあ、そのはずかも。なんせ、ボトルキャップはコルクではなくスクリュー式ですからね。
でも、kおばちゃんは気に入りました。

いままで、南アフリカにいながらちっともワインを飲めなかった!!ということもあり、またケープタウンに戻っても、購買できる時間かどうかもわからないので、自分用に買いました。2本も。

そして、ブランデーもお買い上げに・・2本。

こちらのタンクが呼んでいたような・・(嘘)・・気がしたりしてね。


kおばちゃんたちの試飲が終る頃には、20人ほどの団体さんがテイスティングにいらっしゃいましたが、彼らはちょっと違うコースのようで、こちらでは3種類のみのテイスティングのようでした。


そういえば、我々のガイドさんもこちらでワインをお買い上げになっていました。
やっぱりお好みなのね・・と思ったkおばちゃんです。
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ランチはフランシュホークで(西ケープ)

2014-10-29 18:34:06 | 南アフリカ
このごろ、TVなんぞを見るとぞっとすることがある。
それは何か・・というと、昔お馴染みだったタレントさんを見かけると、その老化ぶりに・・ということです。

kおばちゃんが子どものころというか若い頃、親しんでいたE六輔さんとか、K柳徹子さんとかなんですけど・・あれれれ・・とびっくり。
まあ、普段あまりTVをみないせいもありますけどね。

そうなんです、人のことは言えないのです。kおばちゃんだって同じだけ年をとってるんですからね。

でも、心の中は成長してないのでしょう。彼らの歳月の経過を目にして・・・ああ、そんなに時間がたっちゃったのね。とのんきにも浦島太郎のような感想を発してしまうのです。

でもね、このまえ久しぶりにお会いした先輩からのきつーーい一言。『あらーーーあなた、どうしちゃったの??!!』
はい、返す言葉もございません。経年劣化が激しゅうございまして、失礼致しました。

○3月4日(火)

結局、さっきのワイナリーでも1本記念にお買い上げのkおばちゃんです。でも、kおばちゃん以外は・・お買い上げにならないようです。

再び車に乗って移動です。


山が近くなって来ました。


なかなかの迫力です。


山の中腹に文字が・・まるでハリウッドですね。Franschhoekフランシュホークというらしいですが、kおばちゃんの耳にはフレンチホックと聞こえました。


町の中に入ってきました。


ここで、お昼。ランチタイムです。
kおばちゃんたちの参加しているツアーは、ランチは自前です。ガイドさんは美味しいお店を紹介してあげるよ・・とkおばちゃんたちを案内します。


メインストリートには何軒か同じようなおみせがありました。




そんなお店の一軒に案内されたのですが、気がついたらドイツ人のカップルはいませんでした。kおばちゃんとアメリカンなおばちゃんだけです。
で、2人で食べることにしました。

kおばちゃんはお隣のテーブルを覗いたら美味しそうだったので・・ビーフ・ストロガノフです。


ちゃんとお店で頂くのは・・しっかり頂きたい・・と思ったのですが、アメリカンなおばちゃんは軽めのパスタ。


あーーそのほうが健康的だったかも・・でも美味しく頂きましたよ。

店内の化粧室に行くと中で、店内で座っているガイドさんに遭遇。美味しかったでしょ?って聞かれました。
どうも、彼はここが定例の休憩場所になっているのでしょう。スマートフォンの充電をしていました。
もしかすると、キックバックがあるのかもね。でも、どこでも知らない場所にはかわらないので時間節約のためにもお勧めには素直に従うことにし割りとしています。

気持ちの良い昼食でした。お隣は白いクロスでちょっと高級そう・・


食事のあとは町歩きです。アメリカンなおばちゃんとは別々に廻ります。


なかな面白いです。


こんな路地の奥にもなにかありそうです。


奥にあったのはアートな空間。


なかなかモダンな感じです。


こちらのショップもアフリカンテイストのアートを扱っているようでした。


こちらのお店でアメリカンのおあばちゃまは何かお買い上げになったようです。

さらに進むとこんな一角も。


丁度お昼寝時間??あまり人は歩いていませんが、なんだかお店があるようです。


ショッピングモールのようなところです。


ここのエリアのお店でkおばちゃんまたまたワインを買ってしまいました。まあ、お土産・・ということで。

さて、かけ足のお散歩。そろそろ集合場所に帰りましょう。

こちらの裏の方です。ここはフランシュホーク(フレンチホック)の市庁舎だそうです。


そうそう、この町はフランスからのユグノー教徒によって開発された町のようです。だらかフレンチなのね。
このあたりのワイン産地の中心的な町ということです。
で、ここはヨーロッパからの観光客の人気の町だそうです。なるほど・・アフリカンなテイストよりもヨーロピアンな香りがするわけれですね。
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獣肉とともに(西ケープ)

2014-10-28 18:35:51 | 南アフリカ
すっかり怠け癖がついてしまいました。
まあ、更年期というやつもどっぷりつかってるのですけど、根が怠け者だからいけませんね。

それでも、脳細胞は日毎に少なくなってしまっているので忘れるのも早い!とっとと記録して置かないと、何にもきえてなくなっちゃいそうですね。

ぼちぼち再開しないとねということで、たらたら続けます。

○3月4日(火)

工場内を見学して、いよいよ試飲タイムです。
ここの試飲席はテラス。気持ちの良い屋外のです。


まずは、ロゼから。


葡萄ともに。。


テーブルの上にカタログはおいてあるのですが・・あまり興味のない私達です。


興味をひいたのは真中部分。今日のテイスティングリストと・・・動物の絵です。


実は、ワインのアテというかつまみというか・・にこのようにドライジャーキーがまいりました。


左端から・・こちらは、ブレンドワインでいただきました。


で、このお肉の正体は・・・こちら。スプリングボックスです。


食べちゃうんですね。

お次ぎの真中のお肉はこちらです。


前のスプリングボックスもそうでしたが、ちょっと癖がありますね。で、この正体はこちら。クドゥ(クーズー)です。


こちらもサファリにいる動物。これはカベルネ・ソーヴィニヨンとともに。

最後、右端は・・ばればれですね。これはどこにでもあるやつ。


牛ちゃんですね。所謂ビーフジャーキー。


アメリカンなおばちゃまは、かたくなにビーフジャーキーしか召し上がりませんでした。試して見てもいいのに・・とおもっちゃったkおばちゃんです。

こちらはデジラードと呼ばれるワインと頂くはずが・・・何故かメルローでした。


なかなかイケメンのお兄さんが説明をしてくれましたよ。


遠くの山を眺めながら、気持ちの良い試飲タイムでした。


さっきの仕込みの工場の脇には葡萄畑が連なっています。


Marianneというところでした。

獣肉はお土産に買いたかったけど、日本の検疫でひっかかりそうだったので辞めました。

今日は本当に良いお天気です。
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陽気な葡萄選別(ステレンボッシュ)

2014-09-29 08:50:45 | 南アフリカ
ちょっと手抜きのkおはちゃん。
またまたしばらくおサボリです。

良いよう気になったので・・虫がうずいてます。

○3月4日(火)

ステレンボッシュの街中は木陰が気持ち良いですね。


こちらの道はランド・アバウトが多いのですが、その端っこによく黒人の青年が佇んでいるのをみかけました。
最初は何か乗りあいバスでも待っているのかな?と買ってに思ったのですが・・どうも、どこの角にも立っている感じがして・・きいてみました。

すると、ガイド氏は『アレは、日雇い仕事を求めてる姿だよ。』と教えてくれました。
つまり、今日の仕事にありつきたいものがああいうところで、人手の必要とする人が拾ってくれるのを待っている・・ということらしいです。


kおばちゃんたちが通りかかった時間は・・もうお昼近かったとおもいますので、そんな時間に日雇い仕事をピックアップするものが入るのか疑問でしたが、たしかになにもすることがなければあそこで待っていればいいわけですからね。

いままで、ケープタウンの事情しか見ていなかったkおばちゃんにとって、なんとなく南アフリカの現状をみせられたような気がしました。

ちょうど葡萄の収穫時期にあたるのでしょうか。畑の中では作業する姿が見受けられます。


ただ葡萄畑にもなっていないような土地も多く見かけました。


そろそろ次のワイナリーでしょうか。細道にはいりました。


こちらのようですね。



Marianneというメーカーのようです。


車を降りて少し歩きます。


コテージもあるのかしらね。


近代的な建物のなかに入りました。


まずは工場内見学


仕込みのタンクも上からながめることが出来ます。


さらに進むと・・アレ下でなにか作業しています。


なんか黒っぽい人が多いような・・


kおばちゃんたちに気がついて、ニッコリと・・してくれました。


ただし・・作業の手は止めていませんね。

入り口付近では・・白人系の人達が運び込まれた葡萄を吟味?しているようにみうけました。ここのご一族かな?


奥の方では黒人系の若者が働いています。


さっきの人達のようにように、ランドアバウトでみつけてもらったんでしょうかね?

今からがワインの仕込みのシーズン到来のようです。
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ミーティングポイントは教会(ステレンボッシュ)

2014-09-25 23:38:19 | 南アフリカ
今日は出稼ぎ。なんとなくわさわさで落ち着かない。

神戸の女の子は残念な結果に。出稼ぎ先はこっち方面なので朝からそニュースが目立つ。
同じくらいのお子さんをお持ちの方々、恐怖でしょうね。隣にたたずむおっちゃんが・・

個人情報の保護とかなんとかいわれて、危険情報も隠れてしまう世の中。
なんだかなあと思うのであります。

○3月4日(火)

ワインツアーの私たちが次に連れてきてもらったのは、このケープタウン、ワインランドの中心の町。といっても、ワインに取り立てて関連しているという理由ではないけど。

ある意味、ケープタウンの町そのものよりもこちらステレンボッシュStellenboschのほうが文化的歴史はながいようです。

現在でも大学の町として機能しているようで、数字は忘れましたがかなりの学生が人口をしめている・・と言っていたと思います。
また、キャンバスも町全体に広がっているみたいです。

そんな街の緑豊かな一角で車は止まりました。で、自由時間。30分くらいだったかな?

Moedergemeente Stellenboschという教会が目印だから・・と解き放たれたのですが・・さて、どこへ行ったらよいものやら。

地図もないのであまりぐるぐるとは回れません。


車から降りるとみんなチリジリに・・・
緑の木陰のう気持ち良い町ですが、さっき通った大学がどこにあるのかはさっぱりです。


それでも、こんな送金屋が目につくのは、国際的だからでしょうね。


あまり離れない距離でうろうろ。オランダからの入植当時の生活の展示のある博物館なんかもありましたけど、いまいち興味をひかなかったのでパス。

その代り、文房具屋さんでお土産用のカードを買ったり、民芸品のお店を冷やかしたりです。


民芸品というのは間違えね。手作り風ということかな?

町並み全体は白い建物。これもオランダ風なのでしょうね。


こちらに来るまでは南アフリカといえば、イギリスの影響が大きかった・・という認識しかなかったのですけど、本当はオランダの影響を大きく受けているのね・・と実感しました。

そういえばカラードという呼称。有色人種と訳されるのは、黒人だけを指しているのではな、このオランダ時代に東インド会社を通じで入り込んだインド系の人たちも沢山いるので、彼らのことも含んでいるということも実感したのはこちらに来てからです。
なんと無知なkおばちゃんでしょうね。

でもね、オランダでこんな白い家の町並みがあったか・・思い出せないのも事実なんですけどね。




さて、おいてゆかれると困るので、そろそろ戻ります。

集合場所はこの教会のあたり・・なので、教会の中にも入ってみました。


やはり心なしかヨーロッパ本土よりも明るい感じがします。


立派なオルガンもありました。


受付の机の下ではかわいいワンちゃんも・・暇そうですね。


待ち合わせ場所に戻ったら・・同じようなバンが何台も・・どれっだったかしらね

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意外と美味しいシーラーズ(ケープタウン)

2014-09-22 18:40:15 | 南アフリカ
このお休みは、なにかと車に乗りました。
久々の日本での運転。曲がり角をで曲がったときに意識をしてないとヒヤッと思想で怖かった。

さて、車検がもうすぐ切れてしまいます。どうしたものか・・あーーまた諭吉さんとさよならしないと・・

○3月4日(火)

Zevenwacht』でのテイスティングがはじまりました。

グラスとともに配られたのはこんな紙。


どうも、本日お買い上げできるワインのリストのようです。

全部試飲できるのかと思ったら大間違いでした。


高いのやら、安いのやら・・ま、飲んで見ないとわかりません。

本日のおつまみはこちらのチーズ。これもここで購入することができるようです。


3種類の試飲だったのですが・・これもなかなか良いワインでした。


このピノタージュPinotageという種類の葡萄は南アフリカ原産?というかここで生み出された種類だそうです。
ピノ・ノワールとサンソー(エルミタージュ)の交配種だそうです。

このあと頂いたワインがちょっと美味しかった。
シーラーSyrahという品種だそうで・・無知なkおばちゃんは知りませんでした。
フランス・ローヌ地方が原産地だそうで、ローヌ地方はのユグノー教徒が持ち込んだのかもしれませんね。

試飲のあとは・・製造工程?の見学です。

ワインの醸造というのは、なんとなく地下の藏で・・というイメージがありましたけど、ここは違うようです。

ボケてますが・・・近代的なエアコンのきいた室内です。


もっとも、南アフリカのワインの生産は20世紀の終り頃から本格的になっったようですからね。
そしてもっぱら『輸出』されているそうです。国内の消費量なんかたかが知れているのでしょう。
現在の大得意先はなんと『中国』だということですから。

樽の説明を聞いた気がするのですが・・内容は忘れました。

そしてこちらは醸造途中の樽。


ここから香りがかすかに・・


樽にはこんなシールが貼ってありましたが、部外者には???


丁度ワインの仕込みはじめのシーズンのようで、このように葡萄が運びこまれていました。


一通り見学を終え、お買い物も済ませて・・再びワゴンに乗車です。

お次は・・ステレンボッシュStellenboschの中心に向うのでしょうか?


高速道じゃない道をひたはしります。


あまりあてにならないkおばちゃんのスマホの現在地情報ではこんなところでした。


遠くに山がみえてきました。


道沿いにも葡萄畑がちらりほらり・・


平場よりも山の斜面のようなところの方が日当たりがよいのでしょうかね。


街中に入ってきたみたいです。


ほらね。


人も車も、そして建物も混んできました。

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心ウキウキ・・ツアー開始(ケープタウン)

2014-09-19 19:45:54 | 南アフリカ
秋風が吹き始めた・・と思ったらお鼻がムズムズ。
困ったものです。

さあ、すっかり忘れかけているので記録しなきゃね。

●3月4日(火)

夕べも寂しく焼酎の部屋飲み・・しょうがありません。
南アフリカのアルコール販売がこれほど厳しいとは・・調査不足でした。

でも、今日は大丈夫!

ということですっきり目覚めて・・・朝ごはんもきちんと頂きました。
もちろん一人分ですけどね。

で、今日は8:30分にG氏が手配して置いてくれたツアーの出発なのです。

ということで、待ち遠しいkおばちゃんはお外で待機!だって置いていかれるのがいやなのでした。


良いお天気です。

そうそう、今日のツアーはワインランドめぐりの一日ツアーです。
やっと、南アフリカの本も物のワインを味わえるのです。この日をどれだけ待ったことか・・というのは大げさですけどね。

kおばちゃんをピックアップに来たのはワゴンカーでした。kおばちゃんの前にはすでにカップルが乗りこんでいました。

その後は、昨日うろついていたウォーターフロントのホテルにてお一人様をピックアップです。女性でした。


うーーむ。このエリアのホテルは高いんですよね。ここにお一人様で宿泊しているとは・・

今日のワインランドツアーはこれで総勢だそうで・・なんと4人のツアーでした。

kおばちゃんたちを乗せた車は高速道路?に入りました。


この国は去年kおばちゃんが訪問したタンザニアと同じアフリカにあるんですよね・・物凄く道路が整備されています。
下手すると東欧よりも素晴らしいです。


ドライバー氏兼ガイド氏の話しによるとヨハネスブルグまで続いているそうです。

テーブルマウンテンがあんなに遠くにいってしまいました。


といっても、20分も走っていないようなきがします。

でも、どんなに素晴らしい道でも渋滞は避けられないようですね。


ノロノロ走っている車をみて、ドライバー氏『ああ、東ケープのヤツか!』と一人ごとが。
聞いて見ると、西ケープのほうが『都会』東ケープは『田舎もの』とういのが通説だとか。なんだか可笑しく思いました。

そんなやりとりをしているうちに、第一番目の目的地に到着です。

あ、そうそう、南アフリカにおけるワイン栽培の歴史なんかも説明してもらいました。
南アとくにケープタウンはその地理的状況からヨーロッパ文化が早くから持ち込まれていたのはしっているのですが、そのはじめはオランダ人だったとか。
そういえば、昨日の街歩きでも『東インド会社』関係の施設がありましたよね。
東インド会社にはイギリス系とオランダ系というのが存在して痛そうで・・世界はつの株式会社になったのはオランダの方かな?
まあ、いずれにしてもオランダ人がはやくから入植していたと言うことでしょうね。
で、オランダとワイン・・ちょっと結びつかないようなきもしますが、ここに宗教がからんできます。

kおばちゃんの理解が正しいかどうか・・それ保証できませんが・・

そこに宗教がからんできたというのは、当時フランスでは『カソリック』が主要なキリスト教。
そんな中で新興のユグノー派はユグノー戦争にまで発展してしまうのですが、虐げられていたということです。
そんなフランスで虐げられたユグノー派の農民達が入植者にまじるようになり、元々彼らが作っていたワインがこちらの気候ともあいまって発展していった・・ということでした。

あら、そんな歴史があったんんですね。

で、最初に訪問したワイナリーはオランダ語の名前がついているところでした。
Zevenwacht』オランダ語で『7つの希望』というらしいです。


ステレンボッシュワイン街道沿Stellenbosch Wine Routeにある、美しいコロニアル様式の館ですね。
1800年という年号が見えました。

でも、我々が入るのはこちらの建物のようです。


片隅にはこんなものが・・


何かを絞る機械でしょうか?

さて、kおばちゃんも遅れないようにしないとね・・


ガイド氏が待っています。

席に案内されると、このような紙とワインのアテになるチーズのセットが運ばれてきました。



やっと生粋の南アフリカのワインとご対面です!!

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やっぱり今日も・・だめだった・・(ケープタウン)

2014-09-18 18:40:22 | 南アフリカ
このごろオオボケの激しいkおばちゃん。
昨日は友だちのとの約束をみごとにすっぽかすところでした。

すっかり忘れていて・・気のきくお友だちが『今日は大丈夫?』とメッセージを直前に送ってくれたので思い出したのでありました。
危ない危ない・・

おかげで楽しい夜を過ごすことができました。

○3月3日(月)

ウォーターフロントの観覧車から降りたkおばちゃん。
お次は・・もうそろそろ暗くなるので帰ります。

いくら治安のよい地区といっても、真っ暗の夜に歩くのはねぇ。それに去年のタンザニはでも思ってのですが、黒人って暗くなると顔がみえなくなるから、ちょっと急に現れるとギョットします。

ということでそそくさと・・

敷地を出て、お宿の方向に歩いて行くと、最初にNew Somerset Hospitalという建物の角を通るのですが、ここがどうもタンザニアでゆうところのダラダラ(乗りあいタクシー:南アではコンビと呼ぶようです)の乗り場になっているようで、ひっきりなしにワゴン車がやってきてはお客さんを拾って行きます。
その利用者は殆どカラードと呼ばれる有色人種ですけどね。

そこを通り過ぎて・・広い通りまで出ます。 Helen Suzman大通りです。これがまるで高速道路のようで、最初は渡ることができないんじゃないか・・と思ったのですが、ここにはちゃんと信号機がついているので渡れます。

このあたりで、テーブルマウンテンを仰ぎ見ると・・雲が・・


テーブルマウンテンの頂上?からこぼれ出ていますね。


まるで綿菓子がのっかってるみたいです。
そういえば、宿のG氏が言ってました。テーブルマウンテンを訪問するんだったら午前中じゃないと、風がつよくなってしまうよって。

Helen Suzman大通る途中というか、上り線と下り線の間の中の島のようなところには、大きな地下鉄の入り口のようなものがあるのですが・・どうやらこれは、グリーンポイントのサッカースタジアムの稼動した時に利用できるところのようです。
今日は閑散としてますからね。

この通りを越えて、さらにメイン通りを渡って・・右の方向にしばらく歩くと、昨日夕食のお買い物をしたデリGiovanni'sの前を通ります。
で、結局ここに今日も吸い込まれましたが・・今日も酒類の販売は終了です。平日でも午前9時から午後の6時までしか販売できないようです。

気分をとり直して・・ここのデリは店内でイートインできるようになっているのでそれにチャレンジです。
御惣菜売り場のケースのところで、すきなお惣菜を注文。あれと、これと・・それにこれもね・・ってな具合。
で、精算をすると、こんなカードが渡されます。



で、お隣というか一角にあるカウンター席に座っていると、さっき注文した品ものを皿にもって、おばちゃんが番号を言いながら来ます。

kおばちゃんはこんなものを注文して見ました。


タコのオリーブマリネとチキンのトマト煮とブロッコリーやポテト。

ここで、本来らいはビールかワインを頼みたいと思ったのですが・・周りを見てもだれもアルコールを飲んでないんです。
えーー飲んじゃいけないのかな???みんなコーヒーを飲みながら歓談してるだけです。

なんだか気後れしてしまいました。
注文できるか聞きもしないで、涙を呑んだkおばちゃんです。
だってね、アルコール飲んだのを見られて、一人で夜道を帰るのがいやだったんです。

しょうがないので、お宿に帰って持参の焼酎でを飲んだkおばちゃんでした。

南アフリカまで来たのになにやってんでしょうね・・
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夕日を眺めながら(ケープ・タウン)

2014-09-16 19:40:34 | 南アフリカ
3連休終ってしまいました。残念。
良いお天気に恵まれて、雑用多々。主に外仕事。腕はキズだらけです。

でも、寝ても寝たり無い。困ったもんです。

そうそう、ネットで見かけた記事
このケープタウン旅行の時の機内誌に就任記事が掲載されていた、ハンナ・チャン女史。
カタール・フィルを辞めちゃったようです。あらまあ。
海外公演の最中だとか。何が合ったんでしょうね?残念。

久しぶりにセンター街なるところを歩いて、浦島太郎というか、なんで皆がここに来るか良くわからないオバチャンでした。
うーーん。ひきつける魅力はなんでしょうか?まあ、夕方歩いたからかな。
ショッピング街というわけでもないのにね。

○3月3日(月)

さて、港に着いて・・そういえばお昼もろくすっぽ食べてません。
でもね、時間が夕食にはまだ早いしなあ・・とか思いながら、あの稼動橋を渡ってみました。するとこんな標識が・・


ケープタウンからの距離でしょう。
大阪が14330キロ、オークランド(ニュージーランド)が14227キロ・・まあ似たような距離ですね。
マイアミ(アメリカ)が12311キロ・・あら日本より近い。
リオデジャネイロが6061キロ・・あら日本より半分以上近いんだ。
一番遠そうなのが・・サンフランシスコが16990キロ。

結構な距離でございますね。でも何故か大阪はあるけど、東京はありませんでした。

こちらは、もっと近場の標識です。


明るけれども、も午後7時近く。だから湾内クルーズ船ももうお終いです。


そういえば、レスキューの裏アタリに、由緒ありげな・・いえ、古い船がありました。


なんだろうな?

イロイロ考えながら歩いていたのですが・・ウォーターフロントのお洒落なカフェやレストランは夕暮れ時にどうも一人じゃ入り辛いな・・と思い食事はあきらめました。

で、みつけたのがこれです。


○カと煙は高いところ登る・・ということで、早速乗りこむことに。


Cape Wheelというらしいです。
ワールドカップ開催にあわせて設置されたようですが、その後評判がよい?のでずーーと営業しているそうです。

ちょっぴり並びますが、それは観覧車の止まる車輌がなかなかこないため。いたって長閑です。


誰かと相席になる・・という無粋なことはなく、kおばちゃんお一人様で貸切です。


エアコン完備・・で屋根の上に室外機が・・


ちゃんと非常用のボタンも確認!


徐々に登って行きます。


テーブルマウンテンが良く見ます。


頂上にすこーし雲がありますね。


少し下がってきて・・港の方向を見て見ました。


ショッピングモールとホテルのある方向です。


雲が段々多くなって来ました。


あれはロベン島かな?とおもったのですが、方向が違いますね。それに、あんな小山になってないともいます。


ブロウベルグシュトランドBloubergstrandと呼ばれる地域でしょうか?
あのアタリは日没が綺麗にみえるとか・・ということは日没はこちらの方向・・あ、太陽がいます。


グナル・ヒルの方向です。

もう少しで日没だけど・・その前にこの観覧車止まってしまうでしょうね。


けっこうぐるぐる廻ります。

下の広場の片隅からアフリカンなリズムが聞こえてきます。それに昨年セレンゲティのロッジなんかで聞いたあのマリンバのような楽器の音も・・


どうも、ライブパフォーマンスをしているようです。
顔にはあのマサイの儀式の白塗り・・だけど洋装ですのでマサイさんたちではないでしょう。

そろそろ影が長くなってきたので・・日没が近いですね。


右側の屋根は・・サッカースタジアムかな?逆光でよくみえません。


あちらのコンテナの中は・・沢山お乗りのようで。・・でもみんなでわいわい楽しそうですね。


こちらの方向は、さっきロベン島からの船の発着していたクロックタワーのあるところです。


屋根に隠れて、黄色いクロックタワーの先端だけ見えますね。

海も夕焼け・・


何回ぐらいぐるぐる廻ったのでしょうか?10回は廻った気がします。
そういえば、降りるところで、乗る時に撮影された画像を売りつけられました。
ただし、画像そのもの・・というよりは、画像の納められたCDロム。しょうがないから・・というよりも記念にお買い上げ。
で、説明では1ヶ月間だったかな、ネットでもだうんろーどできるとのことでした。(但しためしてません)

お一人でも結構楽しかったです。高い所は。

そういえば、ここで見かけた面白い自転車駐車機。


これが本とのバイクスタンド??おもしろいですね。でも場所を取らなくて良いかも。


さあ、宿にもどりましょうかね。

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波濤越えて(ケープタウン)

2014-09-12 20:10:03 | 南アフリカ
なんだか良い季節なんだけど、心せわしいこのごろです。

某新聞が誤りをやっと認めた・・と騒いでいますが・・新聞をとらなくなって久しいので余り関係ないかな。
でもね、8月の記事訂正の表現のしかた及び、今回の会見の内容といいなんかやっぱりピントが来るってると思ってしまいました。

女性の権利ウンヌン・・これをたてにとってまだごねてる感じがします。
強制はなかったんだけど、その他の部分はあったのだからということなのでしょうけれど、それは私達の国に限ったことじゃないでしょ?だから日本は悪くないとはいいマセン。

他の国でもこういう行為はなされていて、だから女性を守る為にも声をあげなきゃいけない・・っていうんなら判ります。
でもまるでこの国だけが悪者のように言いふらされるのは違うと思いますよ。
国益をそこねるなんてものじゃなくて、国の品格を傷つけられたのだと思っています。

戦争だからしょうがない。という論法も違うと思います。戦争はこんなことも平気でおこなってしまえる怖い物なんだ。というなら話はわかります。

いったい何処を向いて、どう言う未来を作って行きたいのか・・わからない記事は読みたくないですね。

○3月3日(月)

さて、ロベン島見学を終えたkおばちゃんたちご一行は、この島の出発地点だった港に戻ってきたのですが、ここであることを聞かされました。
それは・・荒波のため、kおばちゃんたち14時発のツアーのあとツアーはキャンセルされてしまったとのこと。
だから、この船が今日この島から出発する最後の船になってしまったとのことを聞かされました。
くれぐれも乗り遅れのないように・・

出発時間まで10分もありません。だからトイレに行くかお土産物を物色するか・・どちから一つしかkおばちゃんに残された道はありませんでした。
どうしよーー

ま、とりあえずお土産物を物色。それから絵葉書を買って、切手を買って・・投函しました。ここの消印ほしさに。

kおばちゃんがお店を出る時は、店員さんも戸締りをして・・一緒に船に乗りこむようです。


えー!この船に全員乗りこむの???来た時とは違う船で、大きさも半分ほどでしょうか?


来た時はスーザンクルーガーSusan Kruger、今度のはディアスThe Diasという船だそうですが・・あとで考えたら、コの船じゃないとだめだったのかもしれません。

1階の船室は小さくてもう満杯。デッキで過ごすしかないけど、デッキも1階部分は満杯です。立って帰るの??

kおばちゃんが乗りこんだ頃には何処にも席がなくて・・しょうがないので2階の部分に上がる階段のところにころに腰掛けました。


さ、出発です。さよならローベン島。いろいろとお勉強させてもらいました。


出発して、港から外洋にでると・・・ものづごい波です。中途半端なところに腰掛けてると波を被りそうです。
2階に移動して・・船室脇のシートに腰掛けていましたがここでも波をまるかぶりしかけて・・2階の後部にうつりました。

が、すでに満杯。絶対これ定員オーバーもいい所です。


物凄い揺れと高波・・うかうかしていると振り落とされそうです。
kおばちゃん必死に船室のドアーにしがみ付いてました。

風もつよく、だんだんみなさん表情に余裕がなくなってきした。


kおばちゃんも波を被らないように・・気をつけながらこれを撮るのが精一杯でした。

そう、さっき書いた『この船じゃないと・・』というのは、馬力だと思ったのです。
とにかく荒波の中を突っ走ります。こっちが振り落とされないようにするのが精一杯です。

でも、この画像を撮っているころはまだ余裕があったんですよね。


いかにここ、ロベン島が行き来しにくい島であるかわかりました。すぐそこ・・見えるところですよね。
ケープタウンの町から。

そういえば・・面白いなと思ったのは、こういう命の危険さえも感じる時って船酔いなんかしないんだな・・ということです。
下手すれば海の藻屑ですからね。日本だったら絶対に危険回避で運行しないでしょうけど、ここはアフリカですからね。

そんな必死な航海でしたが、kおばちゃんはラッキーな事にというか・・あまりに悲惨に見えたのかもしれませんけど・・
船員さんが操舵室に入れてくれました。
操舵室のドアーを背にドアーノブを握っていたのですが・・振り向いたら『入っておいで』と合図してくれたのです。
ああ!助かった!早速転がり込みました。

操舵室の中は天国です。でも、座っていても・・シートから滑り落ちそうになりますけどね。


こちらが、kおばちゃんを操舵室に誘ってくれた青年です。ありがとうね。


船長さんも、荒波に負けないように天井のバーに捕まっての操舵です。


ようやく波が静まってきた・・と思ったら港に入ってきたようです。


船長さんが一番気を使うのは着岸でしょうか?助手君も緊張してます。


なんとか無事にクロックタワーの側に戻ってくることができました。

kおばちゃんは、皆さんが下船されてから・・そっと降りました。


いえ、別に堂々と降りれば良いのですけど、なんだか一人特別に入れていただいたので・・ちょっぴり後ろめたかったのです。

ここに滞在させていただきました。


さよなら、そしてありがとう!ディアス号。オツカレサマでした。


波濤を越えて、無事到着して一安心です。

クロックタワーの方面に歩いている途中で何だか人だかりが・・覗いて見るとこのこがいました。


はぐれアザラシ・・でしょうか。1頭だけでしたが、人を怖がることはないようで愛嬌を振りまいてました。


さて、午後6時を過ぎてしまいました。次ぎはどうしようかな・・
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ロベン島名物?ペンギン!!(ケープタウン)

2014-09-10 19:35:32 | 南アフリカ
今日は朝からどよーーん。まあ天気予報では晴れないとは言っていましたけどね。

で、今日はカードのひき落とし日。あわてて銀行に金策?に。
いえ、いつもカードで落ちる口座はわざと定期収入の無い口座にしてあるのです。
でないと、これだけ使った・・という自覚がなくなるんじゃないかと思っているからです。使っちまったものはしょうがないんですけどね。

残高不足にはならないと思っても、やっぱりメインの口座から自分で移行して自覚しないとね。
久々に銀行のCDを使ったらシールが貼ってあって『この機械の操作で還付金は戻りません』と注意書きが。
あれほど注意喚起されてていもだめなんですね。
kおばちゃんも、たまたまかかってきた携帯をいじくりながらのCDの操作。あやしげなおばちゃんにみられたことでしょう。

○3月3日(日)

さて、刑務所から出所した!?kおばちゃんたちを出迎えたのはこちらのバスでした。


一台では間に合わず、2台やってきましたが立っているお客さんもいました。


ガイドさんも交代です。若いおにいちゃんです。


ちゃっかり一つ空いていた席に座っちゃったkおばちゃん・・あ、ガイドさんの席?イイ?ゴメンネ。とズーズーしく座りこんでました。

バスで島内を走りながらの見学です。最初は・・お墓です。


収監されていたらい病患者や島民のお墓だったと思います。

その他には石組の教会?だったかな。近すぎてわかりませんね。


暑かったためか、何故かドアーを開けながらの走行です。まあ、スピードは全然出てませんけどね。


これは・・なんだったかな・・観測所??忘れました。


白いギャリソン教会 英国国教会 1841 年建立、島内でも最も古い建物のひとつだそうだが・・と中だけじゃね。


このあたりは教会通りだそうです。


で、こちらが小学校?


赤い屋根は職員住宅だったか?


風の強さで樹木が真っ直ぐ育たないそうな・・


正面に大陸!テーブル・マウンテンが!


車窓から眺める海はあれていますね。海鵜でしょうかね?


なんて眺めていたら・・ペンギン!!!!!!ケープペンギン発見です。


うおーーー!!

どうやらあそこでトイレ休憩だそうです。


トイレなんかどうでもいいや!!

あそこへダッシュ!!


ペンギンちゃん!可愛いですね。


あーーでも海が荒らそう。背後に見えるのはケープタウンの街ですが・・これでは脱獄なんてできませんね。


野生のケープ・ペンギンですから、どこまで近づいて良いのかわかりません。
でも、自然界の物に餌づけをしちゃいけないのもわかっているし、手をだしてはいけないことも皆さんわかってらっしゃるので遠巻きに撮影です。


もちろんkおばちゃんもです。さあ、そろそろバスに戻りましょうかね。


結局この建物には一歩も入らないで終ってしまいました。


再び乗車観光です。


お次は第2次世界大戦のときの遺構


だけど・・現役?ではありませんね。


で、こちらは収監されていた人達の作業場の石切り場。ここでマンデラ氏も作業をさせられていたそうな・・


画面中央右よりのところにある石の小山をアップにして見ました・・ボケてる。


1995年2月にここを再訪したマンデラ氏とその1000人を超す収監されていた仲間達が積み上げたものらしいです。最初の石をおいたのはもちろんマンデラ氏。その後彼らが続いておき、モニュメントになったそうです。

バスは進みます。カモメ?でしょうか沢山飛んでます。


次にやってきたのはこちら・・でも下車はしません。


犬小屋と・・ロバート・ソブクウェ収監棟。


ロバート・マンガリーソ・ソブクウェRobert Mangaliso Sobukwe氏もマンデラ氏同様アパルトヘイト撤廃運動に生涯を投じた陣部だそうです。

非凡なる彼の才能に恐れをなしたのでしょうか。特別待遇の独房というか隔離収監所をつくってここに服役させておいたそうです。
マンデラ氏のように、他の収監者とはまったく離された環境で、犬と専用看守に監視されていたそうです。

さて、そろそろバスでの見学もお終いでしょうか?入り口にあった塔が見えてきました。


塔の手前、右側にみえるのはモスク状の建物はイスラム聖人廟だそうです。1754年に亡くなったマドゥーラの首長セィッド・アドゥロマン・モトゥル氏の墓の上に立てられたそうで、イスラム教徒の聖地だそうです。

さあ、港に戻ってきました。

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愛すべきマンデラ氏(ケープタウン)

2014-09-09 18:05:01 | 南アフリカ
今日は清々しい・・とまではゆかないまでも心地よいお天気だった。
テニスは残念でしたね。でも、あそこまで勝ち進めるなんてたいしたもの・・と思ってしまうのは一般人のkおばちゃんの感想。
いつぞやの某議員の発言ではないですが、『2番者ダメなんですか?』と言いたいところだけど、やっぱり一等賞じゃないとね。

まだ、道は開けるとガンバッテクダサイ。でも・・あそこまで辿り着くのだって大変ですよね。

○3月3日(月)

ロベン島の見学は続きます。


一通りセクションGの見学を終えて・・今度は建物の外へ・・


陽射しがつよくて、夾竹桃のピンクが鮮やかです。


さらに建物を廻って・・


あちらの方向へ・・


建物の中に入りました。


と、思ったら・・又出るようです。


出たところは・・・こんな広場というかテニスコートのようですが、高いそして分厚い塀に囲まれた場所です。


ここでは、幾つ物グループがガイドさんを伴って説明をうけているので、声が交錯して良く聞きとれません。
私達のガイドさんの説明は・・


こちらです。
ま、記憶力と理解力の乏しいkおばちゃんですので・・適当な解説ですけど、

こちらの運動場でマンデラ氏はテニスをしたり花壇つくりをしたりしたそうです。
で、テニスボールに手紙をしのばせて外部との連絡を行ったり、花壇に日記を隠していたとか。

たしか、ここで聞いたのだとおもうのですが、マンデラ氏の愛すべきキャラクターも紹介してもらいました。
ネルソン・マンデラNelson Mandela氏は一言で言えば、アパルトヘイトを撤廃させた人物・・とでも言えば良いのでしょうか。
略歴だけ聞くと、物凄い政治活動の『闘士』のような気がします。
だって、反アパルトヘイト運動に身を投じ、1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受けたあと27年間も投獄されていたんですから。

彼はこのロベン島に18年間閉じ込められていたそうです。
18年・・子どもが成人してしまうような年月ですね。そのなかで志を翻さなかったと言う意味では、闘士だったと思います。
そしてそれこそが、一番の功績なのかもしれないけれど・・

ただ、ここでガイドさんに聞いた話はマンデラ氏のおちゃめな一面も教えてくださいました。

ある裁判の時(詳しくはkおばちゃんが忘れてます)、他の被告にメモを渡したのを咎められたそうです。で、取り上げられたメモに書いて合ったのは『あの、判事(?)、なかなかハンサムじゃない?』ということだったとか。
自分の行く末がきまる裁判の最中に、こんな余裕というかユーモアーというか、こういうセンスがあるってすごいなと思ったのです。

それと、開放され、初めてラグビーの試合を観戦する招待を受けたときには、きちんと襟元の一番上のボタンを締めて臨んだそうです。
ラグビーと言えば当時は白人のイギリス系の人達のスポーツの代表だったようですが、その観戦にきちんとした格好で臨む、つまり相手の立場を慮る度量がかれには合ったのですね。
ですから、その後の政治の進め方の『白人社会を打ち壊す』のではなく、『白人も含めた国民で切り開いて行く』という選択肢を示して行く事に繋がったそうです。

現在進行中の「アラブの春」に代表される政権交代劇とは根本的に違うのだということです。

但し、末端では悲しい出来事、闘争も存在しているでしょうけれど、基本的にリーダーの姿勢としては『相手を尊敬し、ともに歩む』ということですね。

長年の投獄生活で、ある種の『悟り』を開いたのか、そもそもこういう『愛すべきキャラクター』だったのかは判りませんが、皆に愛され尊敬される人物であったことは確かのようです。

どこかの国の政治も『○△×に反対!!』とか『だからあいつらには任せていられないんだ!!』とかの闘志むき出しではない国造りになってもらえないでしょうかね。

ほら、あっちにもグループが・・


どうやら、あのあたりは人気スポットのようです。


テニスコートの名残のポールだとおもいます。


再び中に戻ります。


振り返って全体を眺めるとこんな広さですね。


中にはいると・・あれ、渋滞中


とくにあの扉の前が渋滞の先頭のようです。


みなさん辛抱強く自分の番がくるまで待っています。そう、ここはこんなところです。


格子の向こうに見えるのは、独房です。


これこそ、マンデラ氏が収監されえいた独房だそうです。

中の備品は当時のもの・・かどうかはわかりませんが、左側の蓋付きの赤いバケツはオマルだったとか。


寝具は先程セクションGで見た物とおなじですね。やはり石の床の上に寝ていたのですね。

あの窓の向こうは、先程いたテニスコートです。


この窓から何を思い、空を眺めていたのでしょうね。
なによりも、内なる闘争心をなくさないようにする・・これが最重要課題だったのでしょうか。

マンデラ氏の独房は人気の場所。


ただ、日本と違ってゆっくり、各自のペースで見られるのことができます。

そして、建物から出る時に前に立ちはだかっていたのはこの扉です。


この厚さ・・・いかに厳重にあつかわれていたか・・ということでしょうね。

さらに外に出るにはこの塀を出なければいけません。


出たところでまっていたのはこちらのバスです。


ここからは、バスに乗っての見学です。
但し人数が多くて1台では収まりきらないようです。
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