FORZA世界史inBLOG

世界史の復習をサポートするブログです

引退を迎えている高3生や、まだ部活を頑張っている諸君に

2014年06月25日 | 何かの足しになれば

 部活動をやっていると「自分ひとり」という世界から「縦横の関係」という世界への広がりを自覚できる機会を得ます。横との関係とは「仲間意識」だあったり「一体感」です。またより重要なのは縦との関係です。縦との関係とは「先輩のために」とか「後輩のために」といったこと。自分の行動が先輩や後輩に与える影響、自分ががんばることで後輩たちがその苦労を少しでも和らげることができるという配慮。このように「自分」という存在が何かを通じて受け継がれていくという体験はなかなか中学生や高校生ではできるものではないでしょう。
 たとえば、受験勉強と部活動との両立に自分が苦しんでいるとします。自分が部活動を引退した後、受験勉強でよい結果を残すことが、後輩のためにしてあげられることでしょう。このように今の自分が何らかの形で「残り香」を残していく。大人に一歩近づく瞬間のように思います。


共和制ローマ 04明治学院(法)

2014年06月25日 | 復習用入試問題

04明治学院(法)共和制ローマ

次の文章の空欄【A】~【J】に最も適切な語句を記入し,下線部(1)~(6)に対応する問~問6に答えなさい。

 前4世紀ころから,中小土地所有農民(平民)が自弁で武装した【A】を中核としたローマ軍は,イタリア半島内の諸民族や諸都市と戦いをつづけ,前270年ごろには北部をのぞくイタリア半島を制圧した。ローマは,【B】街道に代表されるような車道や植民市を建設する一方,各都市・各民族に対して巧妙な個別的協定を結んで【C】統治の支配を行った。
 こののちローマは,西地中海を勢力圏とする【D】人の植民市カルタゴと衝突し,3回にわたる(1)ポエニ戦争で勝利した。また,ローマは,東地中海にも進出して,前2世紀半ばには【E】(アンティゴノス朝)を滅ぼした。こうしてローマは,征服地を属州とし,西アジア~地中海世界に君臨する大勢力となった。
 イタリア半島の同盟都市はローマに対し軍事義務を課せられていただけだが,属州となるとこの軍役に加えて(2)納税義務を負わされた。こうして各属州から莫大な富がローマに流れ込み,ローマは貨幣経済の波に洗われることになる。うち続く海外遠征と貨幣経済の浸透によってローマ市民に貧富の差が広がり,(3)中小土地所有農民は経済的に没落していく。無敵を誇ったローマ市民軍の一角が崩れていったのである。
 ポエニ戦争当時から出征兵士には日当が出されていたが,それではとても兵が集まらない状況になってきた。そうこうするうちに,前111年【F】戦争と呼ばれる戦いが始まった。これは北アフリカにあるローマの同盟国ヌミディア王国の内乱に端を発している。ローマは直接軍事介入を決意した。しかし思うように兵が集まらない。そこで当局は兵役資格資産の額を大幅に下げて兵を掻き集めた。それでもローマ軍は苦戦を強いられた。ローマ市民に当局弾劾の声が巻き起こる。そして前107年,平民出身の【G】が(4)コンスルに選ばれる。
 【F】戦争の総司令官となった【G】は思うように兵が集まらないことに業を煮やし,思い切った軍制改革に着手する。すなわち兵役資格の撤廃である。これは兵制を徴兵制から志願兵制に切り替えることを意味する。志願兵といっても,たとえば1936年から始まったスペイン内戦のとき,【H】将軍率いるファシスト軍に抵抗した人民戦線側に自分たちのイデオロギーを賭けて志願した【I】軍のようなものではなかった。【G】の呼びかけに応じて志願したのは貨幣経済の嵐の中で農地を失ったり,失業に追いやられた人間が大半であった。つまりこの軍制改革は失業対策の一環でもあったのである。軍に志願すれば給料がもらえるのである。こうしてローマの軍役は,市民にとっての義務ではなく,職業に変わったといえよう。この軍制改革でたしかにローマの軍備増大は果たされた。1軍団は,歩兵6000が基本となった。しかし同時に軍団兵の質の低下が急速に訪れる。没落市民が戦利品や土地配分を求めて軍隊に殺到する。だが,軍団は常備軍ではなく戦争のたびに編制される。すなわち戦争が終了すれば兵士はたちまち失業となる。兵士たちは生計の道を軍団長の将軍にすがるしかない。将軍たちも莫大な借金をしながら兵たちを養う。こうなると各軍団は将軍たちの「私兵」と変わらなくなる。この(5)「私兵」を背景に将軍たちが群雄割拠するようになる。ローマは内乱に突入し,独裁権力を握った【J】を経て,最終的にその養子(6)オクタヴィアヌスが内乱の1世紀を収拾した。

問1.(a)第2回ポエニ戦争で,ローマは,アルプスをこえてイタリアに侵入した名将ハンニバルの率いるカルタゴ軍に前216年に大敗した。この戦いを何というか。
(b)結局,第2回ポエニ戦争は,ローマの勝利に終わるが,その勝敗を決定した戦いを何というか。また,このときローマ軍を指揮した将軍は誰か。
問2.属州の徴税は,これを国家との契約で請け負った徴税請負人が行ったが,彼らの多くが属する身分は何か。
問3. (a)こうした中小土地所有農民の没落に拍車をかけたものとして,奴隷使用に基づく大土地経営があったが,これを何というか。
(b)中小土地所有農民の没落により,もはや市民軍の維持は不可能となりつつあったが,共和政再建のための最後の改革が前2世紀後半に行われた。この改革を行ったのは誰か。
問4.2名のコンスルのうち,1名は平民より選出することを定めた前367年に制定された法を何というか。
問5. 私兵化した軍団を率いた将軍たちの中で,ミトリダテスの反乱を最終的に鎮圧した将軍は誰か。
問6.(a)オクタヴィアヌスは,エジプトのクレオパトラと結んだアントニウスをギリシア西北海岸沖で破り,内乱の1世紀を収拾した。この戦いを何というか。
(b)また,この結果滅んだエジプトの王朝を何というか。

正解
重装歩兵 アッピア 分割 フェニキア マケドニア ユグルタ マリウス フランコ 国際義勇 カエサル
カンネーの戦い ザマの戦い 大スピキオ
エクイテス(騎士)
ラティフンディウム グラックス兄弟
リキニウス=セクスティウス法
ポンペイウス
アクティウムの海戦 プトレマイオス朝


古代ローマ史 混乱の1世紀

2014年06月25日 | 高2用 授業内容をもう一度

【前146】年は,古代地中海世界の歴史の中でも注目すべき年である。この年に,地中海の西部と東部において,それぞれ数百年間にわたって栄華を誇っていた2つの有力な都市国家,【カルタゴ】とコリントが破壊され,地上から姿を消したのである。この両市を破壊したローマは,当時,事実上、地中海世界の支配者であった。
 一方,勝利したローマでもその社会の歪みが目立ちはじめていた。ローマ市民層の中核となる【中小自営農民】の一部が,打ち続く海外戦争の負担で没落しはじめていたのである。このローマ社会の危機に対処するために,【前133】年から【グラックス兄弟の改革】が始まった。彼らは,【護民官】に就任して、没落市民たちの救済に努めたが,反対派の抵抗で改革は挫折した。その後,ローマでは【閥族派】と【民衆派】との対立が激化し,社会の混乱が著しくなった。閥族派の【スラ】と民衆派の【マリウス】は,小アジアのポントスの【ミトリダテス】との戦争の指揮権をめぐって激しく対立し,内乱が勃発した。この戦いはスラが勝利し,彼が独裁官となった。この時期は,地中海世界各地で反ローマの抵抗連動が活発化した時代でもあった。王は,地中海東部でローマ軍と長期にわたる戦争を続けていた。また小アジア南部を本拠地とする海賊たちも地中海の海上交通路を脅かしてローマに大損害を与えていた。ローマの本拠地であるイタリアでも,剣闘士奴隷であった【スパルタクス】を指導者とする大規模な奴隷蜂起が勃発した。
 スラの勝利後,ローマでは閥族派優位の元老院が政治を指導する時期がしばらく続いていた。【前60】年,この体制に不満を持つ3人の有力政治家が手を結んで第1回三頭政治をはじめ,政治の実権を握った。三頭政治の一員であった【カエサル】は,【ガリア遠征】の功績で勢力を伸ばし,独裁官となった。彼はしばしば共和政の伝統を無視する政策を実施したため,【前44】年に共和政擁護派の【ブルートゥス】等に暗殺された。その後,カエサルの養子【オクタヴィアヌス】と旧部下の【アントニウス】・【レビドゥス】の3人が第2回三頭政治を結成し,反対派を打倒してローマの政治を支配した。
 第2回三頭政治を構成した3人の政治家の中で,【レヒドゥス】は一早くに失脚し,残りの2人が政治権力を分け合うこととなった。オクタヴィアヌスは地中海西部を、アントニウスはヘレニズム文化の影響が強い地中海東部を支配した。アントニウスは,マケドニアのアレクサンドロス大王の部将【プトレマイオス】の子孫であるエジプト女王【クレオパトラ】と親密となった。オクタヴィアヌスはアントニウスとクレオパトラヘのローマ市民たちの反感を煽って,エジプトに対して宣戦を布告し,勝利をおさめた。ローマと地中海世界の支配者となったオクタヴィアヌスは,【前27】年に元老院から【アウグストゥス】の名前を与えられ,事実上の帝政をはじめた。この体制は,アウグストゥスが【市民の第1人者】を,意味する【プリンケプス】の呼称を採用したことから,【プリンキパトゥス】と呼ばれる。