“氷姿雪魄”に背のびする……しろねこの日記

仕事の傍ら漢検1級に臨むうち、言葉の向こう側に見える様々な世界に思いを馳せるようになった日々を、徒然なるままに綴る日記。

グラフィーム・カラー共感覚

2010-11-21 19:44:43 | 日記
合格結果から3日が経過。
相変わらず仕事漬けの毎日です。

一昨夜プロフィールを更新し、合格回数を増やしました!

数えてみると、しろねこは今回で15回目の受検らしく、ちょうど4割の勝率です。
なかなか順風満帆とはいかないけれど、これ以上勝率が小さくなリませんように……。

最近は空気が乾燥するため、ドライアイのしろねこは帰宅のバスの中でもう目がごろごろします。日記も入力画面が眩しくて、書きたいことはモヤモヤ浮かんでくるのに、なかなか進みません。


ところで、先日(10月4日)の日記に、


実はしろねこは子どもの頃から、文字や数字に色がついて見え、その色の組み合わせのイメージでことばや数字を暗記しているというところがある


と書きましたが、今日はそのことについてお話しします。

これは「共感覚」と呼ばれるものらしく、インターネットで検索すればすぐに何件もヒットします。Wikipediaにもかなり詳しく載ってます。書いてある説明にはどれもよくよく覚えがあり、漢字は単色ではなく部首やそれ以外の部分ごとに色が違うということ、認知度の低い文字にはあまり色がついていないのに、認識が定着する頃には気が付くと色がついているということなど、みんな同じなんだなあ……と感動。

しろねこが「共感覚」という言葉を自分に当てはめるようになったのはここ2年くらいですが、感覚自体は少なくとも小学校にいたときからあります。ただ、やはり意識的に言葉を勉強しだした中学生、高校生になるに従って色のイメージは細分化したようです。

自分が共感覚の持ち主だという明らかな自覚は、「他の人はどうやら自分のようではないらしい」と知った高校生の時です。

体育の時間、体育館で友達数人と、教科問わずどうやって習ったことを暗記するかの話で盛り上がっていたときに、

「わたし、色で覚えるよ」

と言った瞬間、

「色!?」

と驚かれ、みんなそんなものは知らんと言うので、逆にしろねこが唖然…。

「色の配列がなくて、よくみんなは覚えられるなあ」

と感心してしまいますが、みんなからすれば、

「そんなに色々見えて、よく混乱しないなあ」

と思うらしいです。

文字に色がついて見える感覚を「グラフィーム・カラー共感覚」と言うそうで、基本的には文字や数字ごとに決まった色のイメージがあります。
しろねこの見え方は(おそらく他の共感覚者も)、例えば「黒い文字が黒く見えない」というわけではなく、「黒い文字が見えると同時に、それぞれの文字の色のイメージが重なって見える」と表現したほうが正確です。

音に色がついて聞こえる人もいるみたいですが、その場合も例えば「ソ」は「ソ」の色が固定して感じられるんでしょうかね。
しろねこは、曲の音の流れでは同時にある程度色と光の流れを感じるようですが、単独の音で色が固定化してるかといったら微妙です。

グラフィーム・カラー共感覚の話に戻りますが、しろねこの場合、文字(数字)が並ぶと、隣の色が多少映ったりすることがあります。

例えば、「4148」という数字の配列があったとき、しろねこのイメージでは「4」はワインレッド、「1」は輝く白、「8」は明るめのチョコレート色なのですが、4と1が隣り合うと白にワインレッドが映って、ほんのりピンクになります。また、4と8も同様で、8の4に接する部分がより赤みがかった茶色になります。

漢字になると、数字や仮名やアルファベットのように単色ではなく、部分的に色が異なったり、色が入り混じってきらきら光ることも多いです。

例えば「豈(あに)」は、「山」が青白いイメージで、「豆」が深い青緑であると同時に、「山」まで深い青緑の光に包まれています。
そのため漢文の授業で生徒に「豈」を教えるときは、つい緑のチョークで書いてしまいます。

色は漢字の表す対象に影響されることもあれば、全く関係ないこともあります。

因みに色を表す漢字には、基本的にその色がついていますが、同時にその補色の光がちらついて見えます。

こうして書いているときりがないのですが、勿論漢字を暗記するときは、その字の成り立ちや形や意味や文脈における使用のされ方を総合して、そこに色のイメージをプラスして覚えますよ?
ただ基本、字の形と意味に似合う色が瞬時に浮かぶので、厳密には色をプラスするというより、気がついたら色が記憶のなかに入っているって感じですが。

長文長々失礼いたしました。

早く採点通知が見たいです。