遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『仏師から見た日本仏像史 一刀三礼、仏のかたち』 江里康慧 ミネルヴァ書房

2022-03-07 22:39:41 | レビュー
 日本仏像史は、山本勉氏が研究者の立場から書かれた『仏像 日本仏像史講義』が別冊太陽40周年特別号(2013/3)として平凡社から刊行されている。大きなカラー写真で数多くの仏像を掲載していて、実に有益である。以前に読後印象を記している。私にとっては座右の書の一冊になっている。

 新聞広告で本書のタイトルを見たとき、「仏師から見た」というフレーズに惹きつけられた。早速に入手して先日一応読み終えた。今はあくまで通読したにすぎないが。
 奥書を読むと、著者は仏師松久朋琳師・宗林師に入門。独立後、父・宗平とともに仏像制作に専念されたという仏師である。大学の客員教授、嘱託講師なども歴任されているようだ。本書は2021年12月に刊行された。

 本書で著者は6章構成で日本仏像史を論じていく。その捉え方は章立てを見るとわかりやすい。以下の章タイトルで大凡の流れがお解りになるだろう。
 第1章 日本の仏教黎明期 - 飛鳥・白鳳期
 第2章 国家仏教として  - 奈良期
 第3章 仏教文化の絢爛  - 平安期
 第4章 藤原氏の栄華   - 摂関期
 第5章 作善の仏像    - 院政期
 第6章 慶派の隆盛    - 鎌倉期
冒頭に記した山本勉氏と同様に、本書でも論じているのは鎌倉時代までである。
 山本本では、鎌倉時代の後は「南北朝時代」「室町時代」「桃山時代」「江戸時代」と大括りながらそれらの時代の仏像制作について概説を加えてはいる。一方、本書は直接には語らない。江戸時代の円空と木食に言及するに留まる。

 本書は最後に「終 仏師の冬、そして現代へ」という章が付されている。ここで著者が鎌倉時代の後について言及しているのは、仏師の目からみた時代の転換である。それが「冬」という語に集約されている。仏像史を鎌倉でほぼ終え、それ以降をなぜ論じないのか。著者の論点ははっきりしていて、仏師から眺めた理由がなるほどとわかる。
 この点について私の理解として要約してみる。
*為政者を対象とした仏教が、各宗派とも庶民を対象とする方向に転換した。
*大寺院の建築、巨大な仏像のニーズがなくなる。仏像は家庭内の仏間のニーズに移る。その結果、「中世までの仏像に秘められた精神性や生命感といったものが次第に薄れる傾向が生じていくる。」(p190)
*中世までの仏師は僧侶であり、それ以降は仏師が職業化した形跡がみられる。
つまり、それまでの発展として仏像史を論じる時代ではなくなったという視点がそこにあるように受けとめた。
 さらに、著者は明治維新における拝仏棄釈と神仏分離令による打撃及び太平洋戦争前後の仏師の危機を付け加えている。仏師にとっては厳しい冬の時代に直面しているという認識である。

 本書の特色をいくつか挙げることができる。
1.各期のポイントを押さえる上で、仏像の写真が掲載されている。しかし、その掲載数は思っていたほど多くはない。モノクロ写真のみ。本論の中で、仏師としての著者の作品も掲載されている。
 なお、内表紙の次に著者の制作した仏像だけがカラー写真で掲載されている。
2.各期の仏像について、そのの特徴と発展を説明するにあたり、各期で活躍した仏師の意識面、仏像制作における技法の考案などについて仏師の視点から論じている。
 特に、第3章の後半に「一木造から割矧造、そして寄木造へ」の箇所は、木の材質と技法を、仏師の立場から説明されていて、わかりやすい。
3.各章で各期の仏像を論じることと照応する形で、コラムが所々に挿入されている。このコラムの内容が仏像と仏像史の説明とうまくコラボレーションする形になっている。仏像について基礎知識を提供するタイミングがよい。
 コラムの見出しを列挙しておこう。コラムを読むだけでも一読のメリットがある。
  仏天蓋/ 三十二相とは/ 仏像の後背と台座/ 木の材質と道具のこと
  光背/ 台座/ 木を敬う心/ 開眼法要/ 様々な素材の仏像 
  現代の拡大法、かすかな思い出/ 尋常でない短期間での完成-技法の謎
  平安京の規模/ 僧綱とは/ 割矧造や寄木造の接合/ 平等院/ 即成院
  その後の七条仏所/ 長講堂/ 法住寺/ 載金について
4.「あとがき」の後に、特筆すべき仏師を著者の視点で抽出し、仏師のプロフィールを概説している。

著者の視点での記述を第1章~第4章の範囲から参考にいくつか引用しておきたい。
*本尊を秘仏として、厨子の扉を固く閉ざす寺院は多い。本来、不可視であるほとけの存在を、形を通して信知せしめるのが仏像ではあるはずだが、結界が緩むと畏怖する心と敬いの心が薄れることは否めない。あわせて偶像崇拝に陥る危険も孕んでいる。 p9,13
*絵画や彫刻は肉眼で見えない世界に導いてくれるが、肉眼ではなく、「視於無形」こそが大切なのであろう。 p14
*樟は仏像を彫刻する素材である前に香木、霊木、神木と考えられ、重んじられたのではないかと想像できる。  p27
*[白鳳期の仏像について] 全体的に写実が進み、大らかで自由で自然な表現へと変化をみせ、生命感とぬくもりを感じさせるようになっているのがあきらかである。 p34
*[奈良期] 当時は律令制度により組織の下で事業に臨んだことから、仏師は後世のような作家という意識はもっていなかったと思われる。  p43
*仏教においては、毘盧遮那仏の大きさは現実界の寸尺ではなく、無限大を意味しているので、大きくなければならなかった。  p50
*鑑真和上の来朝の影響もあって、それまで主流であった金銅仏、塑像、乾漆像と入れ替わるように木彫像が復活し、日本の仏像はほとんどが木像へと変化を見せていった。p57
*空海と最澄を対比するとき、法相宗の僧、徳一(生没年不詳)を通して見ることで双方の関係が浮かんでくる。  p76
*定朝の作風は円満具足をもって流麗で中庸を保ち、優美さと気品に満ちており、高度な美意識を具えた王朝の貴顕に愛好され、さらに大衆に至るまで万人から尊ばれた。p120
*七条仏所は定朝以来、一族、師弟、子孫が長く住んで仏像が造られた工房で、鎌倉時代には運慶・湛慶・快慶ら慶派の仏師が活躍し、剛健で写実的な多くの名作が生まれたところである。  p128

 著者は本論の末尾を次の一文で締めくくる。
「仏教美術の研究が進んだ恵まれた時代に生きる者として、古典に学び、少しでも近付いていくことを目指したい。」
 ここに著者のスタンスが表明されているように感じる。

 座右の書をまた一冊加わえることになった。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『仏像 日本仏像史講義』  山本勉  平凡社