遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『亀が鳴く国 -日本の風土と詩歌』 中西 進  角川学芸出版

2013-10-26 21:45:46 | レビュー
 「亀が鳴く国」 何これ? そして、風土と詩歌とつづくので、興味を抱いて読んでみた。亀が鳴くなんてこと、ないでしょう・・・・じゃ、なぜ亀が鳴く国なんてタイトルをつけるのだろう。大半の人は素直にそう思うに違いない。だから、惹きつける言葉でもある。
 本書に興味を抱かれた人は、まず最後の数ページ「巻末にそえて」を真っ先に読むことをお勧めする。私は、最後にこの文章を読んで、本書の内容、著者の観点や立場についての要約となり、逆に納得度を深めることの役にたったのだが。
 なぜなら、著者自身が「感謝の心をこめて、中味のあらましを記しておこうと思います」と、実質2ページほどで、本書の構成について語ってくれているからだ。

 私流に言うと、本書は、和歌(短歌)と俳句を採り上げ日本の風土と人間の視点から論じた文学評論と作品事例を基に作者を論じた評論を集約再構成したものである。著者の論点から、様々な見方を吸収できて、おもしろくもあり、読み応えがあった。論調がストレートであり、読みやすい。

 さて、まずは本書タイトルが気になるだろうから、そこから始めよう。著者は「俳句の虚」という一文(p33-36)で「亀が鳴く」ということに触れている。勿論、結論は亀はせいぜいかすかな声を出すだろうが、鳴き声といえるかどうかは疑問であるという解説を引用し、自ら安心するとともに、「鳴かない亀に鳴かせて」おもしろいのだと説いていく。 著者の説明に導かれて、手許の数冊の歳時記をひもとくと、「亀鳴く」が春の季語としてちゃんと載っている。歳時記を辞書の如く、気になったときに必要語句を参考にするくらいなので、私は季語であることすら知らなかった。俳句関連の本を読みはするが、自分で句作をすることまでは踏み込めていないので、真面目に歳時記を通読などしていないから。
 著者は上記の小論で物理的に「鳴く」ことそのものに焦点をあてて書いている。そのため、歳時記をひもとくことで、この言葉の典拠を知ることができた。「『夫木集』にある藤原為家の『川越のをちの田中の夕闇に何ぞときけば亀の鳴くなる』という歌が典拠とされている」という。そして、こう続けている。「馬鹿げたことのようであるが、春の季題としては古く、「亀鳴く」ということを空想するとき、一種浪漫的な興趣を覚えさせられる」と。(『ホトトギス新歳時記』稲畑汀子編・三省堂 p188)
 この後半の説明文が、本書著者の立場に連接していく。「鳴かない亀に鳴かせて、それを実在させた上で、さあ句をよもうというのがおもしろい」と述べ、小論の文末で「俳句には、もっともっと虚があってもよいのではないか。いや、すべて虚だと、身構えることが最高の句界の約束なのかもしれない。」(p35-36)と、一歩踏み込んでいる。
 そして、著者は「ウソという想像力」を重視している。事実の記述という「情報のキー」をうつばかりじゃなくて、「ウソのキーをもっと叩く必要がある」と主張している。情報のキーをうつだけでは、詩歌の喜びはおとずれないからと。

 本書と歳時記を読み、ちょっとネット検索して、結構多くの人が「亀鳴く」で作句していることを知った。本書の第3章で著者が論じている「森澄雄」も、歳時記から作句していることを知った。
   亀鳴くといへるこころをのぞきゐる   という句だ。
手許のどの歳時記にも共通に載っていたのが、高浜虚子の句「亀鳴くや皆愚かなる村のもの」である。この「村」は本著者のいう「句界」に重なるのかもしれない。

 さて、本書の構成に触れておこう。
冒頭に「日本の風土と文化」という7ページの小論があり、その後で目次が記されている。3章構成になっている。「巻末にそえて」を参考にしながら言うと、
 Ⅰ 詩は心の器        ← 詩歌そのものを論じる。
 Ⅱ 自然は体の揺籃(ゆりかご)← 風土を論じる
 Ⅲ ことばは人間の証明    ← 人間を論じる。人間とは詩歌の作者のこと。
各章は、それぞれ小見出しの付いた小論の集積である。数ページのものから、長くても20数ページまでという感じか。1987年から2009年の期間に書誌に寄稿されたものが編集されて構成されている本である。

 著者の「文化」の捉え方はわかりやすい。今地球を単一におおっているのは現代文明であり、文化ではない。「文化は、風土を離れてはありえない」(p3)。この点で和辻哲郎の主張を援用している。そして、「文化は個々人の心の世界であるところの教養の総体だから、風土に馴致するものでこそあれ、風土を破壊したり克服したりするものではない」(p4)とする。季節の到来は地球での緯度の違いなので文化の見定めにおいて注意を要すると説く。「風土に働きかける国民の意志が重要になる」(p5)とし、島国日本の外来物への受容力と自国化する変容力に着目する。変容させる「『和臭』こそ大事にすべき文化概念である」とする。四季の大きな変化を積極的に評価し、その中で自らの体験を統合して行く意志が日本文化を作り出したのだという。そして、風物の発見を日本文化に展開してきた側面を事例で説明していく。春の桜、中秋の名月、扇と炉で例示説明している。理解しやすい説き方である。

 第Ⅰ章の詩歌そのものの評論から、考え方や見方でなるほどと思う学びが多かった。詳細は本書を読んでいただきたいが、覚書を兼ねて、その論点・見解をいくつか抽出してご紹介しよう。鍵括弧表記は本文の引用であり、ないものは要約したものとご理解いただきたい。
*「われわれのもつ伝統詩は、ほとんどが個別性の解体をしいるものを本質としているように思う。いわく本歌取り。座。季語。」(p21)つまり、既存の言語の表象を取りこむことで、「ひとつの文体が型との黙契によってなり立つ」(p23)のであり、そこにはそれを可能とする単一文化があるとする。和歌や俳句は、それ以前に存在したものを踏まえているという側面を内包するので、それを知らないと真に鑑賞できないところがあると理解した。「他者とにおい合うことをこの上なく求めるのが、伝統詩という機械であった。」(p25)
*「何よりも『場』や型によって規制される肉体の、その表現として伝統詩の文体を捉えることが必要なのではないか。それがじつは日本文化への大きな見通しをもつからである。](p25)
*「日本語が具体的、肉体的な認識を基として成立していることも、大きな特徴のひとつである。」(p27)
 和歌を理解するのに、古代語についてそういう原点を押さえておく必要性を説いていると受け止めた。幸福を意味する「さいわい」(古くは「さきはひ」)を例する。「さき」=花が咲くこと。「はひ」=這うとか延(は)え縄漁法の「はえ」。だから「花が咲きつづけること」が幸福なのだということになる。著者は日本語の視覚的なことを強調している。「いたし」という語についても説明しているが、おもしろい事例説明だ。
*「漢才、洋才は和魂に対するアンチテーゼでえあったが、それが時と処に応じて生じたのではない。つねにあらゆる文学活動において漢才・洋才は和魂とからみ合い、格闘し合い、いずれを主とすることなく他者を活性化しつづけたと思われる。」(p37-38)
*「短歌は『こと』の文学であり、俳句は『もの』の文学だとわたしは思う。短歌は心を叙述するのであり、俳句は物に即して詠むのである。俳句は漢語ばかりでも成り立つが、短歌は序詞の助けを借りなければならない。・・・(俳句は)和歌文脈に対して自立すべき異文脈の根源の話である。」 p38
*「俳句の根幹は和歌の鬼子にあり反逆にあり、もう一つ別の文化文脈の中にある・・・短歌に泥(なず)んでは俳句にならない。」(p40)
 和歌への反逆の成果は正岡子規において出た。芭蕉は未だ連句の延長上にあり、アイデンティティづくりに苦慮している。蕪村は俳諧の背景にある膨大な漢籍の量からみて、反逆の第一であり、俳諧の世界に自適している。と、著者は説く。おもしろい見方だ。
*「世界各地の各国語で俳句を作ることの意義は、日本の俳句と同じように五七五のシラブルの三行詩を作ることにあるのだろうか。違う。・・・シラブルにも字数にも、また行数にもこだわらない超短詩を作ることがいま求められており、その一つが日本の俳句の真似をすることだといいうのが、正しいのである。」(p50)
*「名句とは、たっぷりと心のふるさとへのノスタルジーをもつ句のことだとわたしは主張している。」(p52)
 著者は、「ふるさと」をもちつづける国民詩に目を向ける動きを予測している。それは巨大で空しい現代文明への疑いの所産だと。
*「短歌は、和歌の古巣を見つめ直して、言語の初動性をもう一度大事にすべきではないか。・・・詠むべき感動を大切にすることで、短歌は魅力を取り戻すことができるだろう。」(p56)
*「枕詞とは一種の神話体験だったとさえいえよう。」(p58)
 著者は枕詞に「わたくしも呪言性を強く認めたい」(p58)という。「要するに自由な連想が枕詞自体にも、語と語の関係の中にも働くところに、枕詞という、二語の関係によって初めて成立する言語形態の特質がある、ということである。」(p61)

 第Ⅰ章の末尾には「世界の中の俳句」という小論がある。俳句のもつ短詩型の普遍性を語る一方で、俳句を季節詩として制約する考えや約束事の限界を指摘する。「日本の現代俳句も、すぐれたものは世界的共通性をもつといえる」と論じている。興味深い。

 第Ⅱ章では、日本の詩歌を生み出した風土について論じている。「桜と梅の歴史」「花と人のいのち」「花と心の交響」「万葉びとの四季」の4編が収められている。
 「桜と梅の歴史」は、私には目から鱗であった。日本人の心にとって古来永遠の花は桜だったという点だ。奈良・平安時代以前、花は梅をさすのだと聞いた記憶があった。そんなものかと思い、それ以上深くは考えなかった。著者は、歌集に編纂されて伝わる歌に、梅を詠み込んだものが多い事実を当時の中国文化からの影響であり、それをよしとした知識人に偏するからだという。「まず梅を愛する人はその精神性を忘れるわけにはいかなかった。なにせ中国の文人に愛された梅である。その意味づけをこそ、日本の知識人たちは愛したのであろう」(p92)と。一方、「サクラという花名はもちろん外国渡来のものではなく、日本語として古い花名である。桜は神話にも登場するほどに広く日本人に愛好されている」(p86)「古代の桜は平安時代にまでおよんで山桜であった」。(p89)一方で、当時、「梅は桜と別物として導入された美ではなかった」「彼らには桜と梅の間に今日ほどの差がなかったことと思われる」とも述べている。
 桜と梅の風姿の違いで、小論をしめくくっているのは、なるほどである。

 「花と人のいのち」では、花をよんだ歌や花に関わる文を通覧して、著者はこういう。「古代人は、花を深く愛することによって、今日自然科学的に証明される花の生命を、感覚的に、みごとにとらえていたのである」と。(p101)
 「花と心の交響」では、著者自身が植物のまゆみとなでしこを家の庭で育てた体験をから「万葉集」の歌に遡っていく。そして「万葉びとは植物の生命を貴び、その生命に心を交響させることによって、わが生命を豊かにした」(p105)と推察している。著者自らの体験を絡めていった展開での説明に納得感がある。
 「万葉びとの四季」では、弥生時代から書き始め、万葉集の四季折々の歌を採り上げて、四季の花々を論じている。万葉集の鑑賞法を学べる楽しい一文だ。

 第Ⅲ章は「ことばは人間の証明」。「人間の証明」に「レーゾン・デートル」とルビが振られている。このルビから、ここで採り上げられる俳句・短歌の作者に対する評論に哲学的視点が加わるニュアンスを感じる。著者の視点からみた各作者の代表句を採り上げて、俳句の鑑賞ではなく、俳句を通して、それを作句した必然性、その作者の考えや在り方、作者その人、人間に著者は迫っていく。人物評論と言える。
 ここで著者が採り上げた人々の名前を列挙しておこう。
 種田山頭火、永田耕衣とF・カプラ、石原八束、森澄雄、藤田湘子、大峯あきら、鷹羽狩行、倉橋羊村、父のこと・友のこと、斎藤茂吉と塚本邦雄、孫戸妍、金田弘。
 それぞれの人に対する、代表作を通しての著者の論評は鋭利であるが、その人を見るまなざしに暖かさを感じる。評論対象者の秀でた側面を小文の中で引き出していると思う。ここに採り上げられた人々の著作、作品に一歩踏み込みたくなる気に導くのはさすがである。

ご一読ありがとうございます。

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本書に出てきた語句や人名で関心をもつものをネット検索してみた。一覧にしておきたい。

季語刻々:亀鳴くと言うて波長の合ってきし :「毎日jp」
夫木集 → 夫木和歌抄 デジタル大辞泉他の解説 :「コトバンク」
藤原為家 :ウィキペディア
 

国際俳句交流協会 ホームページ
 英語版のホームページ
 世界の「俳句・ハイク」事情 :「HIA]
  中国(三) 俳句事情 
 「俳句・ハイク」名句選 :「HIA」
 
世界俳句協会 ホームページ
 英語版のホームページ
 世界の俳人・Poetry
 
世界俳句連盟のホームページ
 

サクラ :ウィキペディア
ウメ  :ウィキペディア
 

以下は、著者が採り上げた人物の作句・作歌の一部を読めるサイトである。(著者が採り上げている句や歌という意味ではなく・・・・)

漂泊の俳人・種田山頭火
永田耕衣 :「俳句案内」
石原八束 仮幻の詩 :「日本ペンクラブ 電子文藝館」
森澄雄の風景
藤田湘子 てんてん 抄 :「日本ペンクラブ 電子文藝館」
大峯あきら句集『群生海』・鑑賞  :「草深昌子のページ」
大峯あきらの句 :「増殖する俳句歳時記」
鷹羽狩行『十三星』  閑中俳句日記(12):「-俳句空間-豈weekly」
倉橋羊村 有時(うじ) :「日本ペンクラブ 電子文藝館」
斎藤茂吉  赤光 :「短歌案内」
韓日間の愛と平和を祈って…孫戸妍さんの短歌 :「MINDAN 在日本大韓民国民団」
 寄稿 中西 進
塚本邦雄 百首 :「蔦きうい」
塚本邦雄の破調
会津八一     :「短歌案内」
金田弘 (詩人) :ウィキペディア
 


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