遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『天佑なり 高橋是清・百年前の日本国債 下』 幸田真音  角川書店

2013-10-01 09:39:15 | レビュー
 本書の上巻は日銀総裁川田小一郎に声をかけられ、日本銀行本館建設のために「建築事務主任」として採用され、その手腕を認められて、九州全域を管轄するために馬関の「西部支店」初代支店長として赴任するところで終わった。この下巻は、銀行業務を通じて、実業の世界に深く関わっていく後半生が描き出される。

 時代は封建制度から離脱した日本という近代国家の創世・勃興期を背景とする。明治・大正・昭和初期という時代、世界史視点では、帝国主義の時代といえる。富国強兵を国是として掲げ、西欧列強諸国に対し、よちよち歩きを始めた日本がどう立ち向かっていったかというプロセスである。
 著者は、この時代を、国家財政の実情や銀行・金融の実態に立ち向かい、世界の潮流を見据えて、難局打開のために時代の要請に対処して行った高橋是清の後半人生という形で描いていく。彼の思念と行動、その働きが当時の金融財務と渾然一体化していく。高橋是清の活躍がなければ、当時の国家財政、金融が危機一髪だったということがよく分かる。

 明治後半からの時代は、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、世界大恐慌、第二次世界大戦へと激動していく。戦争は軍事戦略や戦術、戦闘シーンの展開描写という側面でとりあげられることが多い。戦争の是非論は抜きにして、戦争は人と物資の投入戦であり、そのためには戦費という金が裏打ちされていないとできるものではない。高橋是清の後半生は、新興日本という極東の小国が、その国家財政の仕組みを確立し、維持運営していくために何をしたかを語ることになっている。
 下巻で描かれた高橋是清の人生を一言でいえば、「苦しいときの是清頼み」だと言える。日本の国家、金融財政が苦境に直面するとき、国難のときに高橋是清が引っ張り出される。それに彼がどう対処・行動したか。日本の国家財政、金融史を高橋是清の思念・行動を通して学べたという感じだ。学生時代に高橋是清の自伝あるいは本書を読んでいたとしたら、学問分野としての金融財務史にもっと親しめたかもしれないと思う。

 著者は記す。「是清は、机上で理論を練り上げる学者肌の人間ではない。あくまでも現場の生の声を聞き、その裏にある本質的な問題を炙り出す。そのうえで難局を打開していくためになにが必要かを見出したら、迷うことなく実行する。素早く、そして柔軟な思考回路を持った人間なのである。」(p187-188)と。また、こうも記す。「あれだけの危機対応をやってのけながら、『利己』の片鱗すら持たぬのだから。この人の言うことなら、聞くしかない。そう思わせる『風圧』が是清にはあった。」(p272)
 是清の自説は「国にとっても、経済や金融にとっても、欠くべからざるは、信頼(コンフィデンス)である」だったという。(p272)

 本書を読んで初めて知った事実は数多い。高橋是清の後半人生として知ったことをいくつか上げてみる。
 どんな立場で行動したのか。
・41歳目前で、横浜正金銀行本店支配人となる。日本銀行の西部支店から東京に戻った後の転出である。明治29年3月の株主総会で取締役となる。その翌年、副頭取に就任。
・高橋是清は日本銀行の総裁(第7代)となった。それは明治44年 6月 1日から大正 2年 2月20日。桂太郎が総理大臣兼大蔵大臣だった時期だ。総裁としては1年9ヵ月だが、その前に、明治32年3月以来、横浜正金銀行から戻り、12年3ヵ月の期間、副総裁として活動している。
・山本権兵衛(第16代内閣総理大臣)の内閣組閣において懇請され大蔵大臣になったのを皮切りに、国難の時期には呼び出される。岡田啓介内閣のときに、是清が代わりに大蔵大臣に推挙した藤井真信が任期途中で病没したために、請われて大蔵大臣になる。これが生涯7度目の蔵相引き受けであり、2.26事件で凶弾に倒れるのだ。
・大正7年9月、日本初の本格政党内閣として、立憲政友会総裁の原敬が第19代内閣総理大臣となる。このとき、高橋是清は大蔵大臣を引き受ける。その原敬が東京駅で刺殺された後、総理大臣と総裁を引き受けざるを得なくなっている。

 後半の人生で具体的に実行したことをこの下巻の描写展開の中から、いくつかトピック的に抽出してみよう。
 第6章 列強の男たち
 ・明治32年倫敦市場で1000万ポンドの4分利付英貨公債発行
   これに対する、極秘の事前調査を第3次伊藤内閣の井上馨蔵相の依頼で実施。
 ・明治37年(1904)5月 1000万ポンドの第1回6分利付公債発行
   日露戦争における戦費調達のためが主目的。ロシアも欧州で公債発行している。

 第7章 人として
 ・明治37年11月 第2回倫敦と紐育で合計1200万ポンドの6分利付公債発行
 ・明治38年3月 第3回の公債発行。総額3000万ポンド。表面利率4.5分。
   今後1年の軍費調達が目的。償還期限をそれまでの7年から20年という好条件に。
 ・明治38年7月 第4回英米独で各1000万ポンド引き受けの公債発行。第3回と同条件。
   この年8月、アメリカのポーツマスで日露講和会議、9月日露講和条約調印である。 ・明治38年11月~39年 第5回4分利付公債、総額5000万ポンドの発行。整理公債。
 この二章で、高橋是清の培ってきた欧米での人脈を軸にした外債発行の背景が、当時の日本の財政・富国、軍備・強兵にどのように関係していたかがよくわかり、読み応えがある。ある意味で、まさに日本が綱渡りをしていた状況であることがわかる。一方において、欧米の冷徹な視点や判断が窺えて興味深い。ユダヤ資本の底力を感じさせる。
 
 第8章 国難のとき
 第1次世界大戦の戦争特需は、結果的に日本経済の活況に貢献したが、戦後はその反動で不況になり、さらに世界大恐慌に連なっていく。この経済的国難の中で、高橋是清は大蔵大臣、総理大臣、再び大蔵大臣を引き受けざるを得ない立場に置かれていく。高橋は国家財政の歳入を無視した軍部の国防計画に対峙していく。時代状況がよくわかる。
 高橋是清は、大正時代後半に、緻密な金融理論を次々に発表していったという。学生時代に、経済学をかじりながら、このあたりのことは無知無関心できたことに愕然とする次第だ。
 大正10年11月、原敬亡き後、高橋是清は第20代内閣総理大臣となるが、厳しい財政緊縮政策を執ったことが引き金となり、7ヵ月足らずの短命内閣となる。

 第9章 それども言はむ
 この章は大正12年9月1日の関東大震災の記述から始まっている。再び、日本経済復興という苦境の到来である。大正14年には普通選挙法(有権者は25歳以上の男子に限る)が成立する。震災による未曾有の被害は「震災手形」を生み、鈴木商店の倒産、台湾銀行の存亡の危機に及ぶ。国難は高橋を呼ぶ。再び大蔵大臣を引き受けることになる。
 その経済環境が、昭和7年(1932)、のちに「高橋財政」と呼ばれる「赤字国債」発行に展開していく。アメリカでルーズベルト大統領がニューディール政策を掲げて登場するのは昭和8年である。ニューディール政策の理論的裏付けはケインズの提唱した経済理論だ。いわゆるケインズ経済学。この理論を多少とも学んだのだが、当時、私には高橋是清とのリンクが全くできなかった。高橋是清がケインズの考えを一歩先んじて実際に政策として動き出していたということは、驚きでもある。
 クレオパトラの鼻の喩えではないが、もし高橋是清という人物がいなければ、日本の明治維新後の日本はどうなっていただろうか・・・・・。
 まさに、歴史は人が作り出していく。波瀾万丈の人生を送った人物の存在に改めて、歴史のダイナミズム、また、人のつながり、関係性に思いを馳せている。


ご一読ありがとうございます。

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本作品の下巻の時代背景関連のネット検索をしてみた。覚書を兼ね一覧にしておきたい。
日清戦争 :ウィキペディア
蛮勇演説 :ウィキペディア
日清講和条約 ← 下関条約 :ウィキペディア
日清媾和條約 データベース『世界と日本』:「東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室」


二百円紙幣 :ウィキペディア
 二百円紙幣の写真(裏白200円):「YAHOO!知恵袋」
  日本銀行兌換券の項の最初に写真が載っています。
  これが1927(昭和2)年の金融恐慌時に緊急発行されたものだとか。 
  「印刷が間に合わなかったため片面刷りで発行された紙幣」
    :「知らなくても生きていける雑学がならぶブログ」
 二百円紙幣の写真(幻の200円札:実際の流通はなし。大正12年9月):「かんぽう」
 二百円紙幣の写真(藤原鎌足二百円札) 1945(昭和20)年 :「野崎コイン」
 
日本銀行 歴代総裁一覧 :「日本銀行」
  第7代総裁:高橋是清のページ
 
2.26事件 :ウィキペディア
中橋基明 :ウィキペディア
 本書に2.26事件は「兵士」という表記があるだけである。ウィキペディアで知ったので事実理解の一環として載せておきたい。
陸軍大臣 :ウィキペディア

ジョン・メイナード・ケインズ :ウィキペディア
ニュー・ディール政策 :ウィキペディア


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1 コメント

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安慰 (tour from hoi an to hue )
2018-08-02 12:14:30
年の金融恐慌時に緊急発行されたものだとか
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