遊心逍遙記

読書三昧は楽しいひととき。遊心と知的好奇心で本とネットを逍遥した読後印象記です。一書がさらに関心の波紋を広げていきます。

『輝天炎上』 海堂 尊  角川書店

2013-10-05 22:35:08 | レビュー
 富士山にはいくつもの登山ルートがある。どの道をとるかによって、富士の見え方が異なるだろう。コインには裏と表の両面がある。どの角度からコインを見るかによって、その片面しか見えない、あるいは両面のそれぞれ一部が見える形になる。この作品はまさにそんな意図で本書テーマが描き出されたものだ。
 「八の月、東城大とケルベロスの塔を破壊する」という東城大医学部に送られてきた脅迫状。そう、あの『ケルベロスの肖像』のテーマである。桜宮市南端、桜宮岬の近くにあった碧翠院桜宮病院が焼失した後に、東城大学医学部のAiセンターが建設される。桜宮一族の怨念の地に建てられた建物の破壊攻防戦物語と怨念のあぶり出し。本作品はAiセンター、東城大学破壊という目的・頂上を目指す別側面からのストーリー展開なのだ。

 『ケルベロスの肖像』は東城大学医学部付属病院の高階病院長、Aiセンター所長に任命されたあの愚痴外来の田口先生の側面から主に光を当てながら描かれて行った作品である。東城大、ケルベロスの塔破壊宣告を防御する立場からの謎解きストーリー展開だった。いわば、コインの表の面から裏面に迫っていく。
 それに対して、こちらはコインの裏面から迫る。つまり、破壊脅迫文を送った側、東城大、ケルベロスの塔という言葉で象徴されるAiセンターを叩きつぶそうとする側からのストーリー展開である。
 結果的に、この2作品はお互いが相互補完の関係にあり、碧翠院桜宮病院という医療の陰に押し込まれる局面、死を司る医療の地の怨念を一層明らかにしていく形で、テーマを織り上げていく。本来、大長編のケルベロスの塔破壊攻防戦物語に綴ることができたかもしれない作品である。しかし、それをコインの表と裏という形に二分することによるおもしろい試みによって、結果的に読者に両作品のリンクを考えさせる愉しみを与えている。また、二分することから、どちらか一方には光が当たらず、陰に隠れ見えない部分が、他方で陰から光の当たった見える部分に転換して、ストーリーを巧みに展開していくという梃子となっていく要素、側面が生み出されている。意外性という楽しさがうまく織り込まれていく。ああ、そうか・・・・そんな人間関係、そんな経緯が秘められていたのか、と。そして、ある局面ではまた別の作品のある局面にリンクしているのである。
 まさに、海堂ワールドの一つの結び目として、相互関連のつながりが暗示されている。
 さて、本作品はケルベロスの塔、つまりAiセンターを破壊する意図を抱く側からのストーリー展開であるので、愚痴外来、田口先生が中盤から登場するが主人公ではない。本作品は、桜宮一族の怨霊を体した人々、あるいはそれに関わらざるを得なかったあの『螺鈿迷宮』での主人公の一人、天馬大吉がまずはメインとして登場する。そして、破壊実行を目指す人物にバトンタッチされ、大吉はそれを阻止する側として関わりを深めていくことになる。本書のテーマに関しての読ませどころは、やはりAiセンター破壊工作がどのように進行するかと、ケルベロスの塔が輝天炎上し始めてからの塔内でのプロセスが克明に描かれていくその展開にあるだろう。

 ただの破壊工作物語だけにしないところが著者の巧みなところである。
 本作品は4部構成になっている。いわば起承転結構成である。
 「第1部 僕たちの失敗」は公衆衛生の実習研究レポート作成というストーリーである。研究活動をZ班の一員として行うことになる天馬大吉が、班リーダーとして登場する同年次医学生となっている冷泉深雪(れいせんみゆき)と結果的にペアとなって行動する。研究テーマは『日本の死因究明制度の桜宮市における実態調査』である。天馬大吉が『螺鈿迷宮』で潜入取材目的で、ボランティア医学生として入り込み、結果的には入院体験ともなるあの碧翠院桜宮病院の存在意義に関係するテーマであり、それはAiにダイレクトに関係していくテーマでもある。ここでも、著者の本職としてのフィールドに対する様々な社会的認識の存在を多面的に語り出させている。死因究明における解剖とAiの関係性がサブテーマとして描き込まれていき、桜宮一族の怨念に繋がる「起」の働きになっている。この第1部で楽しいのは、学年一で美人の優等生冷泉深雪と大吉の微妙な関係が軽妙な語り口で描き込まれている点だ。
 興味深いのは、この第1部が単行本397ページのうちで、207ページのボリュームで描かれていることになる。作品全体では「起」でありながら、これ自体が小説の形式で描かれた日本の死因究明制度の実態説明篇というテーマととらえてよいと感じるところにある。
 天馬大吉が田口先生にアプローチされ、Ai創設会議のオブザーバーとしての参加要請を引き受けざるをえなくなるところでこの「起」は終わる。その必然性が長々と描き込まれるのだともいえる。

 「第2部 女帝の進軍」はまさに視点を切り替え、ストーリーを実際に発動させるための「承」になっている。医療ジャーナリスト西園寺さやかの登場である。もちろん、西園寺というのは、仮の姿。それは誰かは、手品の種あかしに通じるのでやめておく。舞台が極北市監察医務院から始まるのだから、おもしろい。極北市の闇を司る南雲忠義が西園寺さやかとどういう関係にあるかが明瞭になってくる。一方で、あのマリアクリニック、三枝茉莉亞とのつながりも明らかになる。海堂ワールドにおける人間関係の網の目が一層濃密に理解できていく。まあ、これは他作品へのリンクになるのだが。

 「第3部 透明な声」でまさに話は意外な方向に「転」ずることになる。『ケルベロスの肖像』では、まったく陰に隠れてしまう局面だったと思う。たしかその片鱗さえも登場していた記憶がない(単に精読しきれていないのかも・・・・)。ここで、再び舞台は極北市で、鶴岡美鈴という名前の住民票と保険証を手渡された人物が登場する。手渡した人は鶴岡さんとは、あの極北市民病院に長年勤めた師長の鶴岡さんだ。「生まれてすぐ亡くなったひとり娘でね。しのびなくて、手を尽くして生きていることにしてもらったけれど、私もそろそろお迎えが来るから、あんたにすべて託すのさ」と、住民票、保険証、餞別代わりの赤い携帯電話を手渡されるのだ。そして、社会的実存となった人物が、桜宮市に戻っていく。なぜ、極北市に・・・・。それにはもちろん理由がある。このストーリー展開では重要な要素になっている部分。本書でご確認願おう。

 「第4部 真夏の運命」は、まさに「輝天炎上」へのカウントダウンの始まりであり、炎上での終わりとなる。「結」である。『ケルベロスの肖像』の後半のシーンを点描的に描き込みながら、この作品では陰になった破壊工作の準備のプロセスが明らかにされていく。ケルベロスの塔の炎上に至る最終ラウンドの状況が、両作品を重ねることで一層立体的にリアルなものに化していく。読み応えのある部分であり、炎上に至るプロセスでの意外性がなんといってもおもしろいところである。

 一つのストーリーを、光と影(陰)に切り分けて、独立した作品している。そして、読者の想念の中で一つのストーリーに織り上げなおさせ、統合融合させていくという手法の導入が実におもしろい。一作品としてしまえば、意外性というインパクトが減じざるを得ない形となる、もしくはストーリー展開として描けない局面がある。一方の作品では陰に潜めて光を与えない、表にさらさないことによって、他方の作品で光にさらして、あっという驚きとなるほどと思わせるおもしろい手法が導入されている。そのことによって、読者自身が読みながら、ヴァーチャルに織り上げる一作品の中で奥行きと広がりになっているようだ。
 著者による新機軸の作品でもある。独立作品での楽しみが、二作品を読書の時差により合体させるプロセスを通して相乗効果が生み出されるというたのしみ。著者にとっては、2つの作品が売れるという余録にもなる。たまにこんな作品が組み込まれるのもおもしろい。


 ご一読ありがとうございます。

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今までに、次の読後印象を掲載しています。お読みいただければ幸です。

『螺鈿迷宮』 角川書店

『ケルベロスの肖像』   宝島社

『玉村警部補の災難』   宝島社

『ナニワ・モンスター』 新潮社 

『モルフェウスの領域』 角川書店

『極北ラプソディ』  朝日新聞出版