山浦清美のお気楽トーク

省エネ、農業、飛行機、ボウリングのことなどテーマ限定なしのお気楽トークができればと思っております。

常識からは新しいものは生まれない?

2011-09-05 | うんちく・小ネタ

このようなタイトルにするとまたご批判を頂戴するかと思いますが、あえてこのタイトルをつけてみました。

 私は生まれつきのへそ曲がりなのでしょう、人の言うことに素直に頷くことができません。ひところ流行ったギャグではないですが、必ず「何でだろー?」と考えてしまいます。学生時代は特にその傾向が強かったように思います。討論会はもとより、学生同士の議論、果ては飲み会でも、人の意見に反論しておりました。例え、自分の意見と同じか似ていても、あえて反論していました。あたかも反論することを楽しむように。

 議論をしていて「そう、そう、そう。」と皆が頷いてしまうと議論はそこで終わってしまいます。反対論がある間は、双方が疲れ果ててしまうまで永遠に議論が続きます。このような過程を通じて議論は深まっていくものです。

 さて、世間で常識といわれている事柄について、それは最初から常識であったものでしょうか。その多くは当時は非常識とされたものの中から、様々な摩擦を起こし、多くの議論を経ることにより理論武装を強化し、多数派を形成して現在に至ったものではないでしょうか。

 しかし、一旦常識とされると、そのことについて議論されることがなくなります。即ち、常識化によって進歩が鈍化ないしは停止してしまうことになります。そのようなものの中に新たなものを生み出す原動力が如何ほど残っているのでしょうか?

 例えば、議員定数削減は今や政治の常識みたいに語られています。多くの方がそのようにお考えならば、多数決で決めれば済むことですから、直ぐにも実現できそうなものです。しかし、長年に渡り実現に至っておりません。はやり常識化した考え方は、もはや原動力を失ってしまったのでしょうか? この点に関しては、ブログに「議員定数削減」というタイトルで書いております。

 人は他人と違った意見を持ったり、違うことをしていると何らかの違和感を持つのではないでしょうか。他と同じであれば居心地の良さを感じるかも知れません。逆に、多数意見に対して、あえて反対意見を主張することは、それなりの覚悟とエネルギーが必要です。反対意見が少数派の場合には無視すれば済む話ですが、ある一定の影響力を持ち始めると安閑としてはおられません。ネガティブキャンペーンならぬ反論攻勢が始まります。多数意見は今まで議論に勝ち残った豊富な資産をお持ちです。ありとあらゆる反論が行われることでしょう。議論で優勢な間は、悠然と構えておられるでしょうが、形勢不利とみるやヒステリックな言動が目立つようになります。果ては、あら捜しや人格攻撃が始まります。ここまで来るともはや議論による深化は望むべくもありません。

 私があえてこのようなリスクを冒して発信しているのは、悪徳業者による被害をなくすことにあるからです。このためには広く皆さんに広く知ってもらう必要があります。このためには省エネに纏わる多くの情報を提供する必要性を感じたからに他なりません。省エネ・節電の常識と言われていることについても問題提起する必要があります。

 もちろん私の発信する情報が全て正しいから信じてくれと言っているのではありません。大いに議論しましょう。そのきっかけになればと思っております。