「IFを大切に」
第一感の手がどうも上手く行かない。
一通り考えてみても詰む形がみえてこない。
困ったものだと局面を眺めているとふと、
「もしもこの香がなかったら……」
何かが変わりそうなのだけどな……。
問題に行き詰まった時には、そのような発想がとても重要になる。現局面から少しだけ何かを変えた局面。IF的発想を働かせて、今はない形を想像することによって、道が開ける。
「もしも……だったら、……なのにな」
それがすぐに解答につながらなくても構わない。
このような形になれば詰むかもしれないと閃くということは、1つのストーリーをみつけたということである。(詰将棋を解くことは物語をみつけること)
「攻め駒は多いほどよいとは限らない」
これはサッカーなどにも言えることだが、戦力というのは数の他に効率を重視しなければならない。味方同士が重なってシュートが打てない、ドリブルのスペースを潰してしまったということはよくある。他のどんな競技、仕事においても同様だ。人数をかけたから上手く行くということはない。意思の疎通に手間取ったり、ポジションが重なって渋滞してしまっては、かえって効率が悪くなる。指し将棋で言えば相談将棋などがいい例だ。チームを組んだから強くなるか、100人が相談したから強くなるかと言えば、そうはならない。長所だけを融合できれば上手く行くかもしれないが、実際には方針が分裂し、ちぐはぐになってむしろ弱くなる可能性さえある。
詰将棋の中で効率の重要性を理解する機会になるのが「邪魔駒」の存在である。
「邪魔駒消去の手筋」~攻め駒がスペースを潰している
ここに攻め駒の香がなければ、桂を打てるのにな……。
発見したIF/ストーリーを実現させる道を探る。
(なかったら)と言っても、実際にはあるのだから、それはどうしようもないようにみえる。しかし、詰将棋には捨て駒の手筋がある。
「捨てる捨て駒/取らせる捨て駒」
盤上の駒を捨てる(消す)には2種類の方法がある。
1つは捨てたい駒を動かして捨てる方法。(基本の方法)
配置上自らは王手として動けない駒にはもう1つの方法を使う。他の攻め駒と相手の玉の力を借りて、流れの中で玉に取ってもらうのだ。
(邪魔駒が消えたらもう一度玉を呼び戻す)
捨てる捨て駒と取らせる捨て駒の手順を組み合わせることによって、IF発想の形(邪魔駒を消去した局面)を作り出すことができる。
「もしもこの香がなかったら……」
という局面を実現させて、香がいた場所に桂を打つスペースを生み出す。
これが詰将棋の邪魔駒消去の物語である。
「IFの発見(狙い)が先に必要」
1つの香を消し去るためだけに、多くの犠牲が払われた。
それはおよそ合理的ではない。
無意味にさえ思える手順にたどり着けるには、先に狙いをみつけていなければならない。IFの閃きがあってこそ、複雑な手順を発見することができるようになるのだ。
詰将棋は捨て駒が活躍するパズルである。
しかし、ただ捨てるのではなく、捨てる先にビジョンが描けていなければならない。
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