よい子の使いの猫が転がした婿の絞り出した歯磨き粉の匂いに惹かれるまいこさんの足取りに魅せられて、雪ん子の中を太古よりの怨念を引きずりながら小麦粉にまみれながら太鼓の騎士団がやってきたので、それまで倉庫の中に隠れていた振り子の子犬が声を上げて、さあ立てろ、さあどけろとにわかに慌ただしくなってきたものだから、のんびりとそちは湯の中に浸かってもいられなくなったのだった。
「コンビニの10倍のポストを設置することが義務付けられたからな」
ぐつぐつ沸いて溌剌とした狐の化身に似せた赤装束の男たちの一年の命運を賭けたレースが、チートスを落とすコイントスから始まって、誰もが手に入れたい目標めがけて駆け抜ける、白の中の祭典。雪だるまはそれぞれに丸まって、転がって、大きくなりまた美しくなり、手に手に旗を取り飯を取り武器を取り掃除道具をとり、主役であり脇役であり、また援助者であったり、邪魔者であったりした。
一戸建ての家を作る準備段階で作られた小さな行程の一つが先頭ランナーの勢いづいた足に掛かった時、約束された栄光を飲み込んで、その時は合戦の最中ではあっても、怒声であろうと飛び道具であろうと空中で動きを止めて虚ろになった。頭の骨の中に作られた夢の洞窟なのか、板挟みの種葡萄と金目の物を積んだ2トントラックに吠えた鮫の肩胛骨なのか、はたまたそれは何なのか。
「土のレースだったらね」
馬鹿なことを言った人もいるにはいたけれど、もしもそうならここにいる誰もがここにいないはずだから、全く意味も何もないお話なのだ。
「だとしても、人がくつろぐのを妨害する権利はないはず」
とそちは煙の中から黙々と主張を上げる。
うちその値打ち全然わからなかったからいつまでも出すことをためらっていた。いつ出すとも言えない手紙がいつも鞄の奥に眠っている。出さなくてもいい、いつ捨てたっていい、けれども一番いいのはそのままそこに残しておいて、ずっと忘れていることだ。なのにそんな余計なものが町中に設置されたら、いつもいつも思い出してしまうかもしれない。思い出すことは、結論を急がせることだ。
「布団は洗えません」
なるべくなら興味を持たないようにしていたけれど、ちょうど3行目にさしかかったところで誰かがそう言うのが聞こえてしまう。それから後は細々とした注意書きが述べられているだけで、新しい人は誰も顔が見えなかったから、このままいつまでも平和が続くのだろうかとぽかぱかとして、また恐ろしくもあったのだけど、案の上というかある偶数ページをめくった時から、質問者が殺到して、次々と最初の決まりについて問いかけ始めた。
「毛布は洗えるの?」
「羊は洗えるの?」
「茶碗は洗えるの?」
それぞれの質問者にはそれぞれの事情があったから、その質問は切実なものだったけれど、そのすべてがうちには何の関係もないことばかりだったし、たとえ問いかけるにしても、それらはみんなうちの考える次元のものとは遠くかけ離れている。
現実の人間でないだけ、彼らのことはまだ信じられたし、多少の期待もないわけではなかったけれど、その向こう側に紙とペンを持った生身の人間が見えてしまった時には、ページページにしがみついた愚かな人間たちとまた少し、距離ができてしまい、うちが学ぶべきことは、無知が予知するような朽ち果てた未来ではなく、緩やかに縁取られた人形の中にこっそりと進入した人間の姿を見ないようにすることなんだ。破れたジッパーの隙間から、細い尾が見えていたとしても、何も気にせずにいることなんだ。
「お相撲さんは洗えるの?」
「車は洗えるの?」
「魂は洗えるの?」
「本を閉じておかないと登場人物の誰かが逃げ出しているということがよくあった。うちはわざとそうすることを覚えて、人間を整理したのよ」
豊かさは泡沫の肩叩き。額の上をなで上げた煮玉子に期待した二人に似た、片栗粉で閉じた歌を得た痛いほどの頭の重いリターンエース。またはくたくたのお宅を拝見するキタキツネをつれた蹴手繰りの得意なスタバのカップを手にした肩幅の大きな男のニタニタ笑い。
「私はレンジでパスタを作った。けれども、それはミストのように消えてしまったんだ」
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