年月に関守なし…… 

古稀を過ぎると年月の流れが速まり、人生の終焉にむかう。

嘆きのトマト

2013-07-11 | フォトエッセイ&短歌

 第68代横綱:朝青龍は関取には珍しいサウスポーだった。八百長疑惑、仮病疑惑、脱税疑惑など話題の尽きない横綱で土俵を去ったのも相撲史上初となる横綱審議委員会の引退勧告によるものものだった。国技・横綱の品格という事が盛んに云われた。
 その急先鋒に立ったのは「朝青龍の天敵」とマスコミを賑わした女性唯一の横綱審議委員会・内館牧子(脚本家)である。朝青龍も内館牧子も強烈な個性の持ち主で近づくだけで閃光が飛び散ったのであろうか。しかし、こうも云っている。「私はプロのアスリートとして朝青龍は超が3つつくほど好き、150%好き」「師匠(高砂親方)がダラしなくビシィッとさせないから、私は鬼のように怒らなきゃならなかった」
 2010年1月に内館は横綱審議委員会を辞任、時を同じくして六本木騒動で朝青龍も横綱を引退し角界から退いた。最近、内館の新聞掲載の「季節を失った野菜」のエッセイを読で快哉を叫んだ。相撲の話しではない。
 近頃のトマトは完熟だとか、甘いとか、ジューシーだとか、本当のトマトは何処へ行ってしまったのか!トマトは尻に青味が残っているのをもいで頭から囓るのだ。私が父に隠れて畑で食べたトマトの味はなくなった…… 朱い部分の微かな甘さ、酸っぱい、苦い、えぐいと舌触り歯触りで食べ尽くすのである。こんな文脈だったかと思う。
 野菜の食感をこんな風に感じている人がいてくれたのか、と私にはうれしく懐かしかった。まだ電気冷蔵庫がなかった時代の夏休み、尻の青いトマトをもいで食後の果物にするために井戸の中に放り込んで置くのは子供達の仕事である。真夏の太陽の下で、青臭いトマト畑の中で、先ずは一つ隠れて囓るのである。朱い部分の甘さ、酸っぱい、苦い、えぐいと複雑微妙な野暮ったい舌触り…これがトマトなのである。
 トマトもキュウリもとうとう年間を通してスーパーマーケットに並べられるようになった。野菜や果物は通年売られ季節を問う事もなく地域を選ぶことも事もなくなったのだ。50万円の苺、メロン、リンゴが店頭に並ぶ。
 自動車を造るようにトマト製品が工場で生産されるのである。チャップリンは人間の尊厳を失い、機械の一部分となった労働者の悲劇を『モダン・タイムス』(Modern Times)で喜劇として描いた。チャップリンが問題にした『モダン・タイムス』の資本主義はいま深刻な事態に立ち至っている。
 『嘆きのトマト』脚本・演出:内館牧子 口上-雪国に送られて来たトマトが吹雪に直面し、ここは我々の来ると所ではない。我々は人間共に季節を忘れさせられている。故里に戻ろう!団結して人間共の横柄と戦おう。トマトの逆襲がはじまる。特別出演の朝青龍(ドルゴルスレンギーン・ダグワドルジ)の演技にも期待がかかる。モンゴル国ウランバートル市立劇場にて<劇場に問い合わせたところそのような興行はないという事だ>

トマトは天然の露地栽培にかぎる!


  

  露残るトマト畑に踏み入れば青き匂いが溌剌と立つ

  漿液が迸し出る爽やかに歯応えもある朝取りのとまと

  未だ青きトマトを護る傘となる夏日を受くる鋭き蔕(へた)は

  涼しげに青色残す大ぶりの薄くれないの蕃茄は重し      *蕃茄:ばんか=トマト

  青き実に薄紅の気配あり赤きトマトの影に隠れて

  道草のとまとドロボーその一つ湧き水のあるあぜ道を駈ける