Jerry Emma Laura Piano

Mina, Dalida, Barbara, Laura, Lara....美人大好き! あっ、Mihoが一番好き

熊本スイカがスーパーマーケットにあったよ。ラウラ

2016年05月08日 | 毎日の話

今回の地震で大きな被害があった熊本は美味しいスイカが有名だが、数量は少ないがスーパーマーケットで販売されていた。流通が少しづつ戻ってきているのだろう。でもまだまた避難している方々もいるので、早く仮設住宅が建設されることを願っている。

買い物を済ませて、家に戻ってくると玄関先でラウラが待ちぼうけていた。ジェリーは犬舎で寝ていて、さも留守番していたように起きてきたが、耳は開いて緊張感は全く感じない。仕方ないので、散歩に行ってきて、夕飯をぺろっと食べてリビングでまたまったりしている。

ラウラは、ご飯とおやつをもらって、「よっしゃ。寝るぞ」とまた眠りにつこうとしている。ちょっかいを出すと、何か文句あるのという顔をしている。明日から仕事。今日はこれでおしまいにしよう。


源太郎。R&Bも聴くんです。

2016年05月08日 | 音楽の話

 Zuccheroさんについて、過去に娘の行きつけの店の店主が好きだという記事を書いたことがある。しかし、肝心な彼の集大成のようなコンサートのCD+DVDを紹介していなかった。源太郎は美人歌手だけを聴く訳ではない。同世代のZuccheroさんは好きな歌手だ。ついつい美人に目がいってしまうが、是非彼のコンサートの素晴らしさを味わっていただきたいと思い、ここに真面目に紹介してみたい。

 

1955年生まれの彼は、2012年5月20日にボローニャ近くで大地震があったFinale Emilia近くのReggio Emiliaで生まれた(この地震の復興コンサートは空港の滑走路が会場となり史上最大の15万人のコンサートが開かれた。その発起人でもある。もちろんLaura Pausiniも発起人の一人だったが、妊娠していたので大事をとって参加は見送った)。

 

1970年代半ばに、彼は最初のバンドを結成して、トスカーナ地方のForte dei Marmiに移住した。前にも書いたが「Zucchero(砂糖)」というニックネームは小学校で先生から付けられたものだったそうだ。(顔を見ると渋茶のような男だが、子供の頃は可愛かったのだろう)

それから、苦節10年、カストロカーロ新人コンテストに参加して「Canto te」という曲で優勝し、1982年にサンレモ音楽祭に初出場、「Una notte che vola via」で入賞、翌1983年にも「Nuvola」でサンレモに参加している。そして、1986年再びサンレモに出て「Canzone triste」で入賞。傑作とされるアルバム「Rispetto」を発表し、R&Bのスターとなった。それからは、ヨーロッパを代表する歌手として多くの外国人アーティストと共演、ルチァーノ・パヴァロッティの国際慈善コンサート「Pavarotti & Friends」にも常連として参加した。

 

源太郎が彼を知ったのは1992年のPavarotti & friendsのCharity Gala Concertだから、過去のサンレモの活躍は後で知ったことになる。だからLaura Pausiniのようにデビュー当時からのファンではないが、後で惚れ込んだ歌手になったわけだ。この時のコンサートでは、Sting、Lucio Dalla、Patricia Kassが共演している。

 

YouTubeでも多くの楽曲がアップされている。是非ご覧あれ。ここでは2007年と2008年のコンサートを収録したCD+DVDのジャケットを紹介しようと思う。残念ながら映像は輸入盤(PAL)なので、専用再生装置かパソコンで見るしかない。



日曜日の朝、みんな眠りについている。起きろラウラ!!

2016年05月08日 | 毎日の話

日曜日の朝、風もなく、雲もほとんどなく、太陽が「ジリジリ」と夏のように照りつけている。暦の上ではもう夏だが、そこまで暑くならなくてもいいのに。

源太郎は、地域の防災倉庫の点検当番のため、指定時間に倉庫に向かった。ところがすでに点検作業が始まっていたというより、終わりに近づいていた。「時間を守れ」とはインドネシアタイムの常套句だが、逆に早すぎる時間に呆れるが、今回は楽をさせていただいた。

帰ってくると、二人は爆睡中。ちょっと証拠写真を。カメラを向けてもラウラは夢の中。そしてジェリーは、「なんだよ」と首だけこちらに向けて再び眠りについた。「くそっ。お前ら寝ている場合か。おとしゃんは一仕事してきたんだ(嘘)」と言っても、「まだこんな時間じゃ」と言わんばかりに寝ている。幸せそうな姿を見れば仕方ないか。

裏庭のエマの枝垂れ桃の実が大きくなった。間引けばもっと大きくなるのだが、自然に任せよう。

そして、桑の実は熟してきた。今日で連休は最終日。そして「母の日」かぁ。


大丈夫か源太郎。知恵熱が出てきた。

2016年05月08日 | 毎日の話

大学まで幸い天気が良かったから、源太郎は愛車で向かった。

守衛さんに「どこに停めたらいいんですか」と聞くと不審者と思われたようで、「おっさんが学校?」そんな顔で見ている。

「こちとら、授業料を払っているんだ。そして電車かバイクで通学すると申請しているんだよ」と言いたいが、ぐっとこらえて「書類」を見せた。

 

「そこに停めて。50ccのバイク専用なんだけど、そこの駐車場で、いいよ」という。カタカナで「バイク駐輪場」と書いてあるし、「まさか、バイクってbicycleじゃないよな」と言いたいがこれもこらえて、ガラガラの駐輪場のど真ん中に停めてやった。(排気量は15倍の大型バイクだけどバイクに変わりはないはず。だから15台分のスペースを使うと思ったのかい守衛殿。逆に、守衛が、”これはmotocycleだ”とツッコミがあれば笑ってやったものを)

 

講義室に入ると、そこは楕円の円卓配置の机。どこに座ればいいのか悩む。マスクをかけたおっさん(弟のような)が、「今日は教材が間に合わなかったのでプリントを配ります」と言って一人づつA3ホッチキス止めの資料を配布した。「彼が先生なのか? いや女性の先生のはず」でなければ契約違反だ。

「どう見ても源太郎が一番年上だから、一番奥に座ってやろう」と思った。ここから歯車が狂った。講義室に入ってくる生徒は、若い女性、妹のような(うまい表現)女性、女子大生には無理がある女性、そしてどうでもいい現役の社会人男子。で、源太郎の周辺は女性だらけになった。源太郎の名誉のために繰り返すが、源太郎が座ってから女性陣が座ったのだ。

 

実はこれが失敗だった。老眼鏡をバックから取り出し、ノートと万年筆、PCMレコーダーを机に並べて顔を上げると、マスクのおっさんが書類を渡している女性の正面だった。「やべっ。先生じゃんか」、そして周りは女性陣。寝ることはできないし、左右を見ることもできない。

 

「おい、おい。自己紹介なしに講義を始めるのかよ」と思う矢先、プリントの2ページを開いてときたもんだ。話し始めて彼女は気がつき「社会学を教えている・・・」と挨拶を始めた。で、急に「発音はわかりますよね」と簡単にしゃべる。「わかんないから、教えてくれよ」と誰も言わないから、ちょっと説明して、順次発声するよう指示された。しかも反時計回りである。源太郎の番は中間で単語の数からしてこの単語だと確信して、順番を待った。

ところが、途中彼女が「これはこう発音するのです。難しいので私が」と答えてしまった。「マジかよ」

 

そして、それが終わると、カップルで挨拶の練習となった。当然人数割を両サイドから割り振られたが、源太郎が奇数席、だから両隣と挨拶する羽目になった。そして、いきなりファーストネームで会話するなんて、「合コン」の流儀に反する。こんな思考はジジイの頭に存在しない。

 

源太郎は初対面の女性と目を合わせて話すことが得意ではない。ましてや若い女性と、女子大生には無理がある女性にいきなりファーストネームで声をかけるなんて。

 

物事には順番がある。お二人の名前を「mami」「minae」と聞いてもどっちがどっちなんだよ。しかも練習はいきなり「ため口」の単語を使えというじゃないか。イタリア語なら初対面なら「Lei」親しくなれば「tu」でいいのに、おいおい、彼女たちとはまだ電話番号も交換していないのにイタリア語でいう「tu」で会話しろというのか。

 

あぁ、何語を習っているのか。まだ、何語と言えるものではない。強いて言えば「幼児語」なのだ。知恵熱が出てきた。