経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

歪む事実

2011年08月22日 | Weblog
歴史は、その後の者によって微妙に歪められる、

ということも、あって当然。



とりわけ、信長が短気であったとする説は、

私が今更検証するまでもなく、後世の俗説、作文である。



徳川の時代に生きる者が、どうして徳川の悪口を記せようか。

ヨーロッパ中世期時代の肖像画に描かれている人物は、皆美男美女である。

当然である。

生活の面倒を見てもらっていたお抱え画家達が、

そのまんまを描くことは生活基盤を失うことになったろうから。



家康をあがめるには、信長を遠回しに落し、

家康を婉曲によいしょした苦心の表現といっていい。





否、そもそも現象的なみて、短気とか長気とか判断し、

それを全体的かつ固定的な「性格のせい」である、

と決めつける見方こそ、間違いである。



それは短期戦を用いる武将を、短気。長期戦をなす武将を

気が長い、とレッテルを貼るに等しい。



性格如何に関わらず信長、いや彼らは、短気も、中気も、長気も、

時と場合で、使い分け、戦略の具現のための戦術として使う。

それでないと、生死をかけた戦に望めるわけはないのだ。



当時の武将だけではない。

だれしも性格は、固定的なものとせず、

どこかで意識し、あるいは無意識に使い分けをしている、

といったところがある。



子供の頃には、「うつけもの」を装い、

成人してからも奇行で知られる信長だが、

それはすべて戦略に基づく、科学的計算性に戦術の表れであった。



それは先に述べた桶狭間の戦い、武田の崩壊の切っ掛けとなった

長篠の戦いなどに、明確に見ることができる。



当時としては、あるときは短気に、あるときは気長に、

あるときは不遜に、あるときは謙虚に、大願成就のために

自在に使い分けた信長は、ことの是非、好き嫌いは別にして、

まさに戦略家の典型といえる。