経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

脱人の意図

2010年06月01日 | Weblog
の動いた結果が経済である。

人が生きていく過程でモノが不可欠だ。
人が動けばその分腹が減る。コストが必要になる。
その意味で不景気とは人の動きが鈍くなることで、
金と物が流れない状況のことをいう。

なにも金と物に手と足があって動くわけではない。
金と物の動きの停滞は、人が動かないことである。
暗いところでは人の動きは鈍くなる。
だからそこへ明かりをもった人が登場、明かりを持って動き出すと、
人々はその人の後をついていく。
希望とは常に先の存在のこと。明かりがあれば先が見える。
見通しがきけば、人々は先に向かって動き出す。

明るければ、明かりは不要。
明かりを持つ人の存在は明るさで隠されてしまう。
暗いときこそ明かりが不可欠だ。
明かりを指し示す人の存在がもとめられる。

ところが明るいときに自分の存在を際立たせ、
暗くなったら暗さを強調する、といった人が、
肩書き上のリーダーとしてなんと多いことか。

暗いところに暗いリーダーが、
暗さの恐怖をあおるのでは人はますます動けない。

官僚型というのは、良い意味でも悪い意味でも、慎重である。
希望的観測や願望は言わない。

日本の政治家はどうだろう。

「このままでは日本はダメになる」

といった言葉に代表されるように危機感をあおることで、
自分に期待させる手法を採る。一種の恫喝である。

「票を入れないと、えらいことになりまっせ」。
もっと露骨に、
「逆らえば、予算は付きませんぞ」
といったことを、いっている。

そして実務的には官僚の作った感情のない文を読み上げる。

先は明るい、見通しがよい、バラ色だなどといったら
自分たちの存在感、出番と期待度が希薄になるから、
彼らは常に国民を不安に陥れるやりかたを常套手段にしているのである。

それはそれで彼らの一種の販促活動と、心を広くして受け取るにしても
問題は、私たち国民がそうした彼らのやり方に
刷り込みされて、自分の考え、体感、思いを失ってしまうことだ。
一人一人が自分の判断より彼らの意図ある判断を正しい
と受け入れてしまっていることだ。

国民各自、組織の各人、それぞれがそれぞれの判断をする。
このことが奪われて、他者の意図に染まる、
そうした風潮こそが国、組織の崩壊の兆しといってよい。

畢竟、戦争は人それぞれの思いが、
誰かの意図に引っ張られない限り起こりえないのである。
逆に言えば悪のリーダーは、
国民にそれぞれの自分の考え、判断を失わせるやり方を採る。


そうした彼らの意図にはまらないためには、
1に自分の考えを大事にすること。
2に、相手の話の意図を押さえること。
3に、情報は、発せられた情報と発せられなかった情報とで1セット
そういうもの理解しておくこと。
その上で表を見せられたら裏を見る。裏を見せられたら表を見る、


この3点を自分で手と足と口を使って確認することが、
彼らの意図と術中から我が身と我が国を守るための絶対要件になる。