経営コンサルタント田上康朗の雑感帳

経営コンサルタント田上康朗が、気ままに本音で記す雑感帳です。書く日もあれば書かないときもあります。

エラーのメッセージがえらーいこと、教えてくれた

2007年08月16日 | Weblog
昨夜、0時までかけて、白圭通信19-14号の配信を行った。
眠たい目をこすりながら、手作業。3時間かけて送信。ほっとした。さて、今日は4時に起きて、少し働きすぎた。寝ようとパソコンを閉じかけた。そのとき。メール画面から、

「配信の一部が、エラーで送信されていません」

の警告。

 白圭通信送信に対するエラーメッセージである。これは困った。1万以上のIDのどれが届いて、どれが届いていないか、調べようもないではないか。

 かといって、全部送信のやり直しは二重配信になる。
今朝、迷いつつももう一度打ち込みやり直し、再送信した。一部の方には二重送信でご迷惑になるが、どうかお許しください。お詫びいたします。

 さて、その原因だが。いろいろ考えられる可能性を想定し、それを絞り込んでいく。企業再生時の仕事で、不振になった原因究明に常に使う手法だ。


 生まれたときはどうだったか自分で知るよしもないが、私がイメージするに、たぶん 生まれたときは皆、器(うつわ)。ほとんど何も入っていない器、ひょっとしたら立派な器、高貴な鬱、貧しい器、提供の器と、器には様々な違いがあるのかも知れないが、中身が虚ろであることは共通しているはずだ。

 そして、なにか失敗する都度、そのエラー修正。それで「うまくいく」という成功体験を得る。この積み重ね(螺旋階段をイメージしたら良いと思うのだが)で、少しずつ、利口になってくるのだと、私は思う。
 このことは、パソコンとのおつきあいで、パソコンの様々なエラーを通じて学んだことである。

「このパソコン、えらい間違いばかし起こしよって」と、最初の頃はパソコンを責め立てた。パソコンは言い訳もしないが、トラブルをなおしてくれることもしない。仕方がないので自分で取り組むか、専門家になおしてもらう。
 それで徐々にわかったこと。認めざるを得なくなったことは、「エラーの原因、理由、勘違いも含めて、その99%以上は、この自分にあり」ということだ。

 この気づきは私にとっては、内心自分の心を疲れたようなショックであったし、そのことで、人生にとって、大切なことを得ることが出来たのである。

 人のせいに出来ることはある一面幸いなことであるが、ある側面では不幸なことである。
エラーは、間違いの知らせである。こうしたらいけませんよ、という警告である。そうして、間違いを正しなさい。正したらうまくいく、という案内でもある。さらにエラーを正すことで、チョットずつ利口になれる、という普遍性あるアドバイスである。
 
 これは営業でも然りだ、という教えでもあった。
 おおよそ、物が売れないのは(エラー)、そのものが、買う人にとってたいして役立つ物ではない、と受け取られているか、または、そのものの存在をしらないか、大きくは2つとしよう。これでエラーの警告が出たとしたら、どう対処したらいいか。前者なら、買う人にとって役立つのも、喜んでもらうものにと、認知してもらう工夫、といったこと。後者なら、「世界のどこかで、この私を求めている、誰かがいる」という確信の元に、そのものの存在なりを、広く知らしめる、ということ。
 
 こうしたことをパソコンのエラーは、私に教えてくれたのである。もっともパソコンにたいして、怒鳴りつけることをせず、こんな風に謙虚になれるようになったのは、長い間エラー、トラブルをパソコンのせいにして、気が咎めていた私のパソコンに対する反省が、大きいのかも。