今後の観光の主流になるのは、「交流」と、私は思っている。
「交流」には、場と橋渡し役が不可欠。
たとえば京都から来た観光客と東京から来た観光客が偶然に○△町で同じ日に、同じ時間にばったり、そうしたことはあるだろう。しかしその二人が、名刺交換しあい、以降末永い交流が、というのは奇跡だ。この奇跡を誰も奇跡にすることもなく、またもとのところに帰って行く。
この町の人たちは何をやっているかということだ。接着、介在をしていない。出会いの場所であり、それを取り持つ地元住民の役割という認識が、ほとんどの観光地に抜けている。
鹿児島大島郡笠利町の(株)ばしゃ山はその「交流」を観光資源の中心に据え希有なところとして、私は高く評価している。
奥 篤次社長を先頭に全員で、観光客同士、観光客と当社のスタッフ、地元住民との交流の場を、積極的に「作っている」のだ。
観光は想い出産業、お客の思い出づくりが私たちの仕事。その想い出は、人と人との出会い、ふれあいに勝るものはない、という奥社長の哲学から生まれたもの。
ここでの数日間は、一生忘れることのできない思い出になると、ばしゃ山村を訪れた観光客は口をそろえて言う。
その理由は、すてきな景色はあくまで背景・舞台。あくまで「人」が主役。この村を訪れるフツーの人たちが、ここでは王様、お姫様になれる。これは人生の絵巻きだ。夢だ。こんな夢ならさめないで欲しいし、何度でも見たいと思うのは当然だ。
だから高料金に関わらず、長期連泊とリピーターで一杯になるのである。
お別れの時には「またここで逢おうね」と、皆で握手する。ドラマの主人公になった気分に浸れて、帰るとき涙ぐむ。
交流、これまでの観光に最も欠けていたこの「交流」を、ばしゃ山村は採り上げただけでなく、観光の資源の一つとしている。
「交流」には、場と橋渡し役が不可欠。
たとえば京都から来た観光客と東京から来た観光客が偶然に○△町で同じ日に、同じ時間にばったり、そうしたことはあるだろう。しかしその二人が、名刺交換しあい、以降末永い交流が、というのは奇跡だ。この奇跡を誰も奇跡にすることもなく、またもとのところに帰って行く。
この町の人たちは何をやっているかということだ。接着、介在をしていない。出会いの場所であり、それを取り持つ地元住民の役割という認識が、ほとんどの観光地に抜けている。
鹿児島大島郡笠利町の(株)ばしゃ山はその「交流」を観光資源の中心に据え希有なところとして、私は高く評価している。
奥 篤次社長を先頭に全員で、観光客同士、観光客と当社のスタッフ、地元住民との交流の場を、積極的に「作っている」のだ。
観光は想い出産業、お客の思い出づくりが私たちの仕事。その想い出は、人と人との出会い、ふれあいに勝るものはない、という奥社長の哲学から生まれたもの。
ここでの数日間は、一生忘れることのできない思い出になると、ばしゃ山村を訪れた観光客は口をそろえて言う。
その理由は、すてきな景色はあくまで背景・舞台。あくまで「人」が主役。この村を訪れるフツーの人たちが、ここでは王様、お姫様になれる。これは人生の絵巻きだ。夢だ。こんな夢ならさめないで欲しいし、何度でも見たいと思うのは当然だ。
だから高料金に関わらず、長期連泊とリピーターで一杯になるのである。
お別れの時には「またここで逢おうね」と、皆で握手する。ドラマの主人公になった気分に浸れて、帰るとき涙ぐむ。
交流、これまでの観光に最も欠けていたこの「交流」を、ばしゃ山村は採り上げただけでなく、観光の資源の一つとしている。