国会前でのデモ活動、沖縄の米軍基地反対運動などの市民運動は、民主主義国家において、思想信条、言論の自由に基づき、絶対に排除されてはならないと考えますし、私もこれを保証します。
同時に、市民運動が、勢い余ってノリを超えてしまい、その行為が客観的かつ限定的に犯罪の構成要件を満たしてしまえば、これは反社会的行為となります。その行為は断固排除されなければなりませんし、そしてその実態は報道され、ある種の社会的制裁を、場合によっては刑罰を受けなければなりません。法治国家として当然です。
これら反社会的行動は、報道されるべきものであるということを強く主張します。もしも報道されなければ、世論は何も知らずに形成され、世論は歪んでいくのです。
ところが沖縄メディアにおいては、これら反社会的行動の実態が殆ど報道されず、仮に報道されたとしても、違法行為に対する逮捕、検挙、拘束などの公権力発動に、「不当」というレッテルが貼られ、極めて批判的な印象をもって報道されるのです。
なぜなのでしょうか?
常日頃この様な問題意識がありましたので、6月25日の「文化芸術懇話会」における、「沖縄の特殊なメディア構造をつくったのは戦後保守の堕落だ。沖縄の世論はゆがみ、左翼勢力に完全に乗っ取られている」という発言に至りました。
勉強会当日、私は、言論弾圧につながる発言は一切しておりません。
ところが、言論弾圧をしたと報じられました。私は、報道すべきことを報道しないのは不思議でならないという意味合いから、その問題解決の為に質問をしただけなのです。
折しも平和安全法制議論の重要な時。私の事情説明が意に反して混乱を招き、審議に悪影響があるならばそれは本意ではなく、自主的にかかる問題についての発言をこれまで控えてきました。
今、改めて私自身で、私自身の発言を振り返りたいと思います。
“沖縄の世論はゆがみ、左翼勢力に完全に乗っ取られている”
は不適切でした。明らかに誤解を招く不正確な表現でした。心から反省します。
“報道されるべき事実を沖縄二紙が報道せず、市民運動を隠れみのにした反社会的行動をしている人達が守られている”
と表現すべきでした。
特に“沖縄の世論”という表現は不適切でした。沖縄県民すべての皆さんを示すと解され、心が傷ついた県民の皆様には、心から深くお詫び申し上げます。
歪んでいるのは沖縄の世論ではなく、沖縄に対する誤解された県外世論と、沖縄県民を取り巻くメディア環境を作り上げた、「沖縄二紙の報道姿勢」なのです。
現地に間違いなく存在する米軍基地賛成の世論や、報道されるべき反社会的行動の実態が報道されなかった場合、沖縄県外の沖縄に対する世論は「正しい世論」とはいえません。 基地に反対する人もいれば、賛成する人もいるという事実がありながら、「基地反対が沖縄県民の総意だ」、「オール沖縄だ」と、基地賛成派の存在に一切触れない報道のあり方には大いなる疑問を持たざるを得ないのです。沖縄にある事実を知らされていない日本全体の世論は、当然歪んだものになります。
言論封鎖ではなく、「正しく報道して欲しい」というのが一貫した私の主張です。
両紙は、報道の自由という「権利と自由」を行使するのですから、事実に基づき、公正、公平、両論併記という「義務と秩序」を履行して頂くよう願いたいと、衆議院議員である私が発言すれば、またまた、「言論弾圧だっ」、「政治的介入だっ」と捉えられ、糾弾されるのでしょうか?? 全くもって理解できません。
私たち国会議員もある種の権力者です。そして、マスコミも権力の側にあるという自覚がおありでしょう。お互い権力をお預かりする立場のものとして、権力に対する怖れ、謙虚さというものを持ち続け、正しく行使したいものです。勿論、私も自身を更に戒めます。
次は、現実にある報道されない反社会的行動について、これまでにたくさんの視察をしていますので、具体的に明らかにしていきます。つづく・・・。
同時に、市民運動が、勢い余ってノリを超えてしまい、その行為が客観的かつ限定的に犯罪の構成要件を満たしてしまえば、これは反社会的行為となります。その行為は断固排除されなければなりませんし、そしてその実態は報道され、ある種の社会的制裁を、場合によっては刑罰を受けなければなりません。法治国家として当然です。
これら反社会的行動は、報道されるべきものであるということを強く主張します。もしも報道されなければ、世論は何も知らずに形成され、世論は歪んでいくのです。
ところが沖縄メディアにおいては、これら反社会的行動の実態が殆ど報道されず、仮に報道されたとしても、違法行為に対する逮捕、検挙、拘束などの公権力発動に、「不当」というレッテルが貼られ、極めて批判的な印象をもって報道されるのです。
なぜなのでしょうか?
常日頃この様な問題意識がありましたので、6月25日の「文化芸術懇話会」における、「沖縄の特殊なメディア構造をつくったのは戦後保守の堕落だ。沖縄の世論はゆがみ、左翼勢力に完全に乗っ取られている」という発言に至りました。
勉強会当日、私は、言論弾圧につながる発言は一切しておりません。
ところが、言論弾圧をしたと報じられました。私は、報道すべきことを報道しないのは不思議でならないという意味合いから、その問題解決の為に質問をしただけなのです。
折しも平和安全法制議論の重要な時。私の事情説明が意に反して混乱を招き、審議に悪影響があるならばそれは本意ではなく、自主的にかかる問題についての発言をこれまで控えてきました。
今、改めて私自身で、私自身の発言を振り返りたいと思います。
“沖縄の世論はゆがみ、左翼勢力に完全に乗っ取られている”
は不適切でした。明らかに誤解を招く不正確な表現でした。心から反省します。
“報道されるべき事実を沖縄二紙が報道せず、市民運動を隠れみのにした反社会的行動をしている人達が守られている”
と表現すべきでした。
特に“沖縄の世論”という表現は不適切でした。沖縄県民すべての皆さんを示すと解され、心が傷ついた県民の皆様には、心から深くお詫び申し上げます。
歪んでいるのは沖縄の世論ではなく、沖縄に対する誤解された県外世論と、沖縄県民を取り巻くメディア環境を作り上げた、「沖縄二紙の報道姿勢」なのです。
現地に間違いなく存在する米軍基地賛成の世論や、報道されるべき反社会的行動の実態が報道されなかった場合、沖縄県外の沖縄に対する世論は「正しい世論」とはいえません。 基地に反対する人もいれば、賛成する人もいるという事実がありながら、「基地反対が沖縄県民の総意だ」、「オール沖縄だ」と、基地賛成派の存在に一切触れない報道のあり方には大いなる疑問を持たざるを得ないのです。沖縄にある事実を知らされていない日本全体の世論は、当然歪んだものになります。
言論封鎖ではなく、「正しく報道して欲しい」というのが一貫した私の主張です。
両紙は、報道の自由という「権利と自由」を行使するのですから、事実に基づき、公正、公平、両論併記という「義務と秩序」を履行して頂くよう願いたいと、衆議院議員である私が発言すれば、またまた、「言論弾圧だっ」、「政治的介入だっ」と捉えられ、糾弾されるのでしょうか?? 全くもって理解できません。
私たち国会議員もある種の権力者です。そして、マスコミも権力の側にあるという自覚がおありでしょう。お互い権力をお預かりする立場のものとして、権力に対する怖れ、謙虚さというものを持ち続け、正しく行使したいものです。勿論、私も自身を更に戒めます。
次は、現実にある報道されない反社会的行動について、これまでにたくさんの視察をしていますので、具体的に明らかにしていきます。つづく・・・。