私は議員の世襲そのものを否定するつもりはない。同様に業界団体から選出をされた議員も否定しない。何故なら、選挙という民主主義的な手続きを踏んで有権者から選ばれているからである。
世襲議員は政治家の家に生まれている。幼い時から政治という世界に接している。私はサラリーマンの家に生まれ育った。政治とは直接的には縁のない世界に育った。この違いは大きいと思うが、どちらが議員になった時、優位かどうかという問題でもない。大切なことはそれまでの社会キャリア、バックボーンである。様々なバックボーンで構成される議会こそ必要なのである。
本来世襲議員がけしからんとか言う議論は、政治家が行うことではなく、有権者が選挙で決めるべきことなのだと思う。しかし、残念ながら我が国は政治家がそれを議論しなければならないところにまで来ている。
もう、あまりにも世襲議員の数が多すぎる。資料を見ると驚くばかりである。これでは、意見が偏り、政治家の家庭に生まれた人達の意見ばかりになってしまう。でも、それを議論するときに履き違えてはならないのは、その世襲議員を選んでいるのは地元有権者なのである。
もはや、次期衆議院総選挙で世襲制限を設けることは必要であろう。しかし、同時にそこまで制限を掛けなければならなくなったひとつの責任として、有権者の意識が確実に存在していると思う。繰り返すが、世襲であろうがなかろうが、地盤看板カバンがあろうがなかろうが、議員を選ぶのは、有権者なのである。
因みに、公務員の゛世襲と思われるような部分゛は議員のこの問題とは全く異なる。それが本当に世襲ならば許されることではない。
世襲議員は政治家の家に生まれている。幼い時から政治という世界に接している。私はサラリーマンの家に生まれ育った。政治とは直接的には縁のない世界に育った。この違いは大きいと思うが、どちらが議員になった時、優位かどうかという問題でもない。大切なことはそれまでの社会キャリア、バックボーンである。様々なバックボーンで構成される議会こそ必要なのである。
本来世襲議員がけしからんとか言う議論は、政治家が行うことではなく、有権者が選挙で決めるべきことなのだと思う。しかし、残念ながら我が国は政治家がそれを議論しなければならないところにまで来ている。
もう、あまりにも世襲議員の数が多すぎる。資料を見ると驚くばかりである。これでは、意見が偏り、政治家の家庭に生まれた人達の意見ばかりになってしまう。でも、それを議論するときに履き違えてはならないのは、その世襲議員を選んでいるのは地元有権者なのである。
もはや、次期衆議院総選挙で世襲制限を設けることは必要であろう。しかし、同時にそこまで制限を掛けなければならなくなったひとつの責任として、有権者の意識が確実に存在していると思う。繰り返すが、世襲であろうがなかろうが、地盤看板カバンがあろうがなかろうが、議員を選ぶのは、有権者なのである。
因みに、公務員の゛世襲と思われるような部分゛は議員のこの問題とは全く異なる。それが本当に世襲ならば許されることではない。