長尾たかしの・・・未来へのメッセージ

自民党衆議院議員長尾たかしのブログ。平成11年からネット上で情報発信を継続。サラリーマン生活を経て政界へ。

映画「ヒロシマナガサキ」

2007-08-13 08:58:06 | 安全保障
話題の映画「ヒロシマナガサキ」を見た。

ドキュメント映画として原子爆弾の威力、被爆された方々の凄惨な人生模様が描き出されていた。目を覆いたくなる悲惨な現場。被爆者の叫び。胸に突き刺さる。その一方でエノラゲイに乗り込んだ当時の原爆投下を実行した当事者達のコメントは戦勝国としてのコメント以外の何ものでもない。

戦争というものはそういうものである。その戦争に我国は負けた。負けたことで失ったものは計り知れない。命、幸せ、生活、未来、文化、歴史、精神、、、、、書き切れない。

私の亡き父は原爆が投下される10日前まで長崎にいた。私は父や父の友人から原爆の悲惨さを聞かされる環境にあった。核兵器は廃絶されるべき人類最悪の科学技術であることを子供の頃から叩き込まれた。今でもそう思っている。

しかし、人類最悪の科学技術は実は人類最高の科学技術であることも確かである。文明の矛盾点だ。最新最高の科学技術はもれなく「兵器」に利用されている。これが現実である。よって、核兵器を廃絶するためには、核兵器を超える科学技術の誕生が必要であるという理屈も成り立つ。核を超える「脅威」というところであろうか。しかし、時代は少しずつ変わってきた。今日、核兵器など使わずとも一国を滅ぼすことは可能な時代となった。細菌兵器などはすぐ思い浮かぶ。また、核兵器を動かすためのコンピューターにウイルスを注入する。一国の金融システムを破壊してしまうなど、要は時代は「ドンパチの時代」ではなくなってきている。

戦争は悲惨である。だから起こしてはならない。仕掛けられてもいけない。しかし、戦争はなくならない。我国が仕掛けずとも、仕掛けられないという保証はどこにもない。つまり、戦争をどう回避するか、どう有事を想定するか。戦争を仕掛けられぬようにする抑止とは何か。国家として個人として有事を想定できるか。これらの議論に、現実の科学技術や、歴史観、経済事情、外交事情、時には宗教が絡み合い、微妙なバランスを保って、ギリギリ平和が維持されていくのである。平和とは相当な国家間の駆引きの元、ようやく手に入れることが出来るものなのだと思う。

問題なのは、我国の防衛はアメリカに依存しているという事実。アメリカが他国に対しての抑止力という役割を負ってくれている。これが「核の傘」である。余談だが、ブラジル人の友人に「日本は核廃絶を語れない。唯一の被爆国を連発するだけで、現実にはアメリカの核の傘にあるのだからね。傘から出て語るなら理解できるけどね。」といわれたことがあった。グゥの音も出なかった。実にインターナショナルな発言である。

そして、今までに存在し得なかった概念、「テロとの戦い」が加わった。テロリストには抑止力は通用するだろうか。通用しないと思う。話し合いなど、対国家以上に無駄なこと。では、どうする、どうする?

更に云えば、米軍のトランスフォーメーション、これは事実上の米軍沖縄撤退というのが私の理解。アメリカの国益を損ねない攻撃にも日米安全保障条約が効力を発揮するとはどこにも記されていない。どうする、どうする?

平和を維持するために必要なことは何か。幅広い知識で議論できるよう精進していきたい。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする